- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582767520
作品紹介・あらすじ
横尾忠則は三〇代の時、総持寺、永平寺、青苔寺などの禅寺に毎月通っていた。数回の坐禅、掃除などの作務、食事、就寝など、朝から晩まで修行をしている。いったい何のために?そこで何かをつかんだのか?そして悩みの種を"安楽死"させることはできたのか?スティーブ・ジョブズの禅体験が話題になっている今、坐禅を知るための待望の一冊。
感想・レビュー・書評
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キャッチーな題名だ。
禅体験後に書いたエッセイや対談をまとめた本。
人の行いの全ては業だ。
けれど業とはそもそも何だろう?
目標を立てたり、目的を見つけた時、それが本当に自分の人生に重要かどうか、どうしてわかる?
本人が満足していても、それは自分の人生を肯定したいだけじゃないの?
無になったら悩みも苦しみもなくなる。でも、他者に認められて初めて一人の人間として立つことができているのに、底から生まれる何もかもを消していこうだなんて、馬鹿げていない?禅について書いているのを見ると、人間はあんまり賢い人間じゃないな、と思う。それとも、自分の姿を投影しているだけかしら。
けれど無心になりたいとも思う。どうしたら無心になれるの?我欲や妄想で心を汚すのは、もううんざり。
創作上の約束事は、作品を豊かにするの?貧しくするの?
何かをとことんやってみるには、どうしたらいいだろう?
因縁とは何?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「わが坐禅修行記」から写真と幾つかを省いて、幾つか追加
何度も振り返ることになるあとがきが興味深い -
30年前の内容だとは思わなかった。現在、著者の方は坐禅をやっていないようだけれど、参禅しに行き体験を通して書かれた文章は読んでいて興味深い。今でも変わらず、僧侶は坐禅をしているのだろうか?インタビューは禅への疑問や問いを率直に聞いて、意見を出していて面白い。
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坐禅をしてみたくなった