- Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582767643
作品紹介・あらすじ
「泉のやつ、またはじまった」と仲間にいわれるほど無類のおばけずき。長短篇小説や戯曲で名高い鏡花だが、一方で怪異にまつわる小品群もまた格別に味わい深い。小説をはじめ、随筆・紀行、創作とも実話ともつかない逸品まで、喜々として異界に遊ぶ鏡花文学の知られざる真髄を編む。
感想・レビュー・書評
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『言葉に艶(つや)がある』
これに尽きます。
短編やエッセイなど、小品を集めたアンソロジーですがどれもが美しく幻想的。"湿っぽい不気味さ"が味わえるのが日本ならではの怪談の特徴なのでしょう。今では滅多に使わない語句も多いのですが、きちんとルビが振ってあるので入門編としてもお薦めです。
人間の抱える深い闇。それが古語を交えた流れるように鮮やかな文体で語られると、色も匂いも、そして肌触りまで伝わってくるように感じられ、中毒性が高いこと請け合いです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「黒壁」がいちばん好き
それから、東日本大震災を経て関東大震災の随筆3篇は身に迫る感じがした。
小品ばかりなので、泉鏡花の短編作品が好きな私は嬉しい。
最後の解説を読んで、「雨化け」も好きなのであのくらいの長さのお話をまとめてほしいなぁ。 -
泉鏡花怪異小品集。小説だけではなく、随筆等の収録作品も多いのだけれど。どれにもそこはかとなく怪異の気配が感じられます。文体が古いので読みにくくはあるけれど、それもまた雰囲気、かも(でも本音を言えば、ちょっと注釈がほしいです)。
お気に入りは「妖怪年代記」。いかにもな因縁のまつわる三つの不思議が存在する屋敷の怪。面白半分にそれを探る主人公の身に降りかかる怪異。と、ぞくぞくさせられる物語に訪れる、このオチ! なんだそれは、と思いつつ、いやいや実はこちらのほうが怖いんじゃ? などと思ったりも。
「くさびら」も面白いなあ。そうか、きのこは生えるものじゃなくって出るものなのか(笑)。可愛い気もするのだけれど、そればかりでもないかなあ。 -
鏡花の幽霊奇譚の短編を、新しい仮名遣いで読むことができ、大変読みやすい。講談、または落語のようにテンポのよい文章は、ときにユーモアもあり、描写された場面が目に浮かぶようだ。
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泉鏡花の小説は、内容とは別にたまにプッとふきだしてしまうようなおかしさがあって、今回随筆篇によりそのおかしさが感じられて、楽しかった。おばけ隊長の鏡花先生なのに、意外と苦手なものが多くて、面白い。加えて「露宿」の幻視、「雛がたり」のテンポの良さなどが素晴らしかった。とても気のきいた編集になっていて、じっくりと読めました。
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初泉鏡花デス。たまたま手にしたのが初心者向けの小品集だったので、耳慣れない言葉も何とかついていくことができた…のかな?という感じです。とにかく言葉が綺麗。難しいけどテンポ良く、ユーモアがあってもっと色々と読んでみたくなりました。特に関東大震災の三部作、被災体験記は今も参考にしたいところがちらほらでした。
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「とにかく言葉が綺麗」
鏡花の文体ってゾクゾクっとします。
難しい漢字もルビが振ってあると、スラっと読めちゃって良いですよね。「とにかく言葉が綺麗」
鏡花の文体ってゾクゾクっとします。
難しい漢字もルビが振ってあると、スラっと読めちゃって良いですよね。2012/12/18
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読みやすい。
鏡花の小説は注釈をたくさんつけてもらわないと理解できない現代人の悲しさなのですが、ゆっくり読めばわかるので抵抗はない。理解できないのは、雅文というより、芝居などからの引用のこと。けれどこれは特に読みやすい文章を集めていて新鮮。
とはいえ鏡花の良さ、美しい日本語、明るく親切な江戸っ子たち、がらっと雰囲気を変えて盛り上げる終わり方、は健在で楽しめました。
終わり方が明るく可愛らしいのも多くて、小説以外の作品も最高ですね。
それに小説だけでは知り得ない鏡花の人となりも垣間見えました。妖怪好きのくせに臆病で、自分を卑下しすぎなくらいひねくれていて、それでいてユーモラス。
尾崎紅葉先生のもとで他の弟子たちと楽しく過ごしている青春時代も素敵。
力の強さが何よりも大切であった時代には、文学なんて繊細なものを志す人たちには生きにくくて、悔しい思いもたくさんしたのかもしれない。昭和になれば川端康成はあの強面で骨董品屋の取り立てを追い返していたとか、三島由紀夫がボディービルダー並みに鍛えていたとか聞くけれど。
なんにせよ、何を読んだって鏡花のことはずっと好き。
ただしマザコンものは除く。
ちなみに私はこの本を読んで、粥という字を書けるようになりました。弓、弓、間に米。弱い、ではいけない。盥も書けます、もちろん。 -
猛暑に荒ぶった心を静め、お盆気分を高めるため怪談など。
怪異といっても、ちょっと不思議だと感じる程度で、あらすじらしいあらすじも複雑に絡み合う登場人物もない。
「……トントントン、たたらを踏むように動きましたっけ。おやと思うと斜(はす)かいに、両方へ開いて、ギクリ、シャクリ、ギクリ、シャクリとしながら、後退りをするようにして、あ、あ、と思ううちに、スーと、あの縁の突あたりの、戸袋の隅へ消えるんです。変だと思うと、また目の前へ手拭掛がふわりと出て……出ると、トントントンと踏んで、ギクリ、シャクリ、とやって、スー、何(ど)うにも気味の悪わったらないのです。」
縁側の手拭掛が歩いた、それだけ(⁎˃ᴗ˂⁎)
「どういう話だったかといわれると、すんなり筋を通して語るのはあまり楽ではない。ただ作中のきらめきが、記憶にこびりついて、慕わしい思いをそそり立てるのである。
(中略)
そうした文字通りの小品が、規模の大小と関わりなく、凝集した幻視のきらめきを核としていることに注目したい。(川村二郎)」 -
講談、小唄を彷彿とさせるリズムのある文章は泉鏡花ならでは。小説、随筆、百物語…とカテゴリ分けはされてても、何を描いても鏡花の世界になるのは流石。
印象に残ったのは以下の三点
関東大震災の被災記録である「露宿」「十六夜」「間引菜」。先日、井伏鱒二の被災記録(荻窪風土記)を読んだのだが、筆者の性格の違い等々からくるのであろう、おなじ関東大震災でも描かれ方の違いが見て取れて面白い。特に泉鏡花の幻視を盛り込んだ避難所の描写は、この世のものではない何かが覗きこんでいるようで、こんな状況でも鏡花ワールドかー!みたいな気分に。
随筆「春着」は紅葉先生、尾崎一門門弟の仲良しっぷりが感じ取れて微笑ましい。
百物語の辺りのエピソードは、ちくま文庫から出ている文豪怪談傑作選 鏡花百物語集 にも同じ時期の作品が収録されてますが、そうか、この頃がちょうど仕事が減ってお金の面で苦労してた時期か……とちょっと切なくなった。(ちくま文庫の方だとそこが読み取れなかったので) -
文語体の読みづらさよ。しかし、不惑も近くなっているのに、読書好きであるのに、文語体苦手というのはいかがなものか。精進が足りません。文語体でもさらりと読み進める、というのに年少の頃ほのかに憧れていたりしたものです。
とはいえ、怪しげな雰囲気を醸し出すのに、ひと役もふた役も担っているのは事実。もちろん、鏡花自身はそんな効果期待していたわけではないですけどね。文語体を使用することが、まずない時代になったからこその感想でしょうか。仰々しい語り口調に思えたのですよ。
関東大震災の時の体験談は一読の価値あり。震災の不安と恐怖と動揺。それでも、観察・記憶・記録してしまう性というのが、怪しの所業だと思いました。