新装版レズビアン短編小説集 (平凡社ライブラリー)

  • 平凡社
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582768152

作品紹介・あらすじ

幼なじみ、旅先での出会い、姉と妹。言えなかった思い、ためらいと勇気……見えにくいけど確実に紡がれてきた「ありのままの」彼女たちの物語。多くのツイートに応え待望の再刊!

<目次>
マーサの愛しい女主人 セアラ・オーン・ジュエット
ライラックの花 ケイト・ショパン
トミーに感傷は似合わない ウィラ・キャザー
シラサギ セアラ・オーン・ジュエット
しなやかな愛 キャサリン・マンスフィールド
ネリー・ディーンの歓び ウィラ・キャザー
至福 キャサリン・マンスフィールド
エイダ ガートルード・スタイン
ミス・オグルヴィの目覚め ラドクリフ・ホール
存在の瞬間――「スレイターのピンは役立たず」 ヴァージニア・ウルフ
ミス・ファーとミス・スキーン ガートルード・スタイン
無化 デューナ・バーンズ
外から見た女子学寮 ヴァージニア・ウルフ
女どうしのふたり連れ ヘンリー・ヘンデル・リチャードスン
あんなふうに カースン・マッカラーズ
なにもかも素敵 ジェイン・ボウルズ
空白のページ イサク・ディーネセン

解説 利根川真紀

感想・レビュー・書評

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  • 自分としてはもう少し女性同士の関係にクローズアップした短編集だと思っていたが、同性愛が異性愛にうつり変わっていく過程、また異性愛を知ることを拒否した少女を隠喩した作品などが多かった。私のように濃密な同性愛を望んだ人には合わない作品だろう。

  • 同じく平凡社ライブラリーから刊行されている『ゲイ短編小説集』と対をなすのが本書、『レズビアン短編小説集』。長らく入手困難な状態が続いていたが、新装版として復刊された。
    収録作家の中で馴染みがあるのはヴァージニア・ウルフ、イサク・ディーネセンの2人だろうか。他の作家は余り馴染みが無い……と思われる。今の感覚で読むと『これってレズビアンか?』と首を傾げるものもあるが(これは「ゲイ短編小説集」にも言える)、テーマ性のある文学史上ではそう判断される……んだろうなぁ。学術的なことはよく解らない。ついでに言うと、男性同士であれ女性同士であれ、『同性愛文学』の定義もイマイチはっきりしていないような気もするw 誰かはっきりさせてくれないかw

    前述のヴァージニア・ウルフ、イサク・ディーネセンの短編がやはり抜きん出ていると感じたが、その他で印象的だったのは『マーサの愛しい女主人』『ミス・オグルヴィの目覚め』。また、『女性同士』と聞いて想像されそうな、ロマンティックさ、リリカルさが殆ど感じられなかったのも面白い。

  • BOOKMARK 第10号 特集『わたしはわたし、ぼくはぼく』掲載
    http://www.kanehara.jp/bookmark/

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    幼なじみ、旅先での出会い、姉と妹、ためらいと勇気。見えにくいが確実に紡がれてきた「ありのままの」彼女たちの物語。待望の再刊!
    http://www.heibonsha.co.jp/book/b181256.html

  • 2022I027 933.78/W
    配架場所:A4

  • レズビアンと冠しているが、この本の女性と女性との関係性は、同時代の男性作家が描く男性と男性の関係性と変わりなく見える、彼らも彼女らと同じように、ときには相手に心奪われたり、生涯にわたる絆を築いたりするのだから。それらはどちらも恋のようにも、恋ではないようにも見える。だから、レズビアンと呼ばれるのはむしろ、小説あるいは社会の中で許された関係性における男女の非対称性がそうさせている(いた)のだと思う。

    印象的だったのはマンスフィールドの「至福」。

    ぴょんぴょん飛び跳ねる未だ少女のようなバーサ30歳が、美しく物憂げな女性に恋をして成熟を知る(満開の梨の花)、成熟は彼女に夫への欲望をもたらし、夫への欲望はその夫が欲望を向ける先を指し示す。

    ふたりの夫はともかく(夫たちのみが社会的な生物として描かれ、自由な魂を持たないように見える)、黒猫のエディも猿のフェイスも大層魅力的だ。

    梨の木といえば、萩尾望都「訪問者」でオスカーが(二度と帰れない)家の前で咲く満開の梨の花を回想する情景が忘れられない、幸福とその喪失の象徴たる梨の木の美しさが重なることで私には一層印象深い一篇だった。

    「庭の隅の塀ぎわには、背の高いほっそりとした梨の木があり、見事に満開の花を咲かせていた。その立ち姿は完璧で、あたかも翡翠色の空を航海しているさなかに凪にあったかのようだった。咲き遅れた蕾もなければ、早すぎて今はすでに萎れかけた花びらもひとつとしてないことが、こんなに遠く離れていてもバーサにはおのずと感じられた。(略)すると、完全に満開の花に覆われた素晴らしい梨の木が、自分の人生の象徴であるかのようにまぶたにあらためて浮かぶのだった。」

  • ガチでの同性愛だけじゃなくて、親愛とか友情とかそういう感情も含めた大きなくくりでのレズビアン短篇集

  • 「マーサの愛しい女主人」新人メイドがうまく働けるように気遣ってくれた一度会ったきりの主人の姪を思い続ける

    「ライラックの花」が咲く頃になると何もかも投げ出し懐かしい修道院へ帰らずにはいられなくなる女優のアドリエンヌだが、ある年修道院は門を閉ざす

    「トミーに感傷は似合わない」父に代わり銀行を切り盛りする男勝りのトミーは連れてきた大学の友人と幼馴染のハーパーが恋に落ちるのを応援してやる。トミーの立場はクィア的。

    「シラサギ」標本作りにシラサギが欲しい青年に10ドル提示されるがシルヴィアは居場所を答えられなかった。

    「しなやかな愛」ディナーを終え彼女とホテルの部屋に戻ったら失ったと思った若さを再び見出した

    「ネリー・ディーンの歓び」町一番美しい彼女が望まぬ結婚して子供を産んだが彼女は死んだ。親友だった主人公は育て親達と子供の元を訪れる

    「至福」ミス・フルトンに恋をしているバーサだが、夫は妙に彼女に興味なさげ、しかしディナーへ呼んだ帰りに夫が告白しているのを目撃する。
    夫をパートナーとして慕っているが、フルトンに恋して始めて愛しく思うってのも愛の複雑さ深さを表していて面白いし他の登場人物も魅力的だった。

    「エイダ」結婚せずとも家族を愛し好きな女性と完璧に幸せになることができた女性の話

    「ミス・オグルヴィの目覚め」男勝りの生き方を好んできたミス・オグルヴィはある時訪れた島で前世に目覚める
    壮大。孤独の井戸も読まなくちゃ。

    「存在の瞬間ーースレイターのピンは役立たず」と言われた時からこれまでのことを回想し、彼女の言葉の意味を悟る。そのように立ち上らせる色気の空気感がさすがウルフだ

    「ミス・ファーとミス・スキーン」わざとくどくどしい繰り返しの文体を重ねて行く。そうして彼女達がいかにきちんきちんと何度も楽しく過ごしてきたか、生活を堕落させず、自立して、男抜きでちゃんと楽しかったことを強調させているのだと思う。

    「無化」病的な女性に息子のいる家に連れていかれ、一年すごすが、彼女に息子と同じような閉じ込められそうな発言を聞いて出ることに。話し手のドイツの印象はその体験に終始するようだ

    「外から見た女子学寮」何かになる前のある少女のモラトリアム。

    「女どうしのふたり連れ」男と付き合ってると喧嘩になり突き放されたネコの方が母が安心するから男と付き合うと言うが、やはり生理的に男を拒絶してしまう。そんな彼女をタチは愛おしげに抱き寄せる完璧な百合小説だった

    「あんなふうに」5歳上の姉が彼氏と喧嘩してメソメソしたりしているのを見て、悲しくなるしぶちたくなるし、そんなように男の子を好きにならないと決意する13歳の妹。
    ボカァこういう姉妹百合大好きですね。仲良しだった姉が恋でメソメソするなんてみてらんないムカつくって妹最高だと思う。最初の喧嘩が姉の初潮だったのも最高。

    「なにもかも素敵」週の半分はイスラム教徒の家で残りはキリスト教徒の家で過ごすジーニが出会った現地人ゾリアーティとの出会い。エキゾチックな魅力。

    「空白のページ」婚礼のシーツについた処女の証で花嫁を占う風習がある中で、唯一血の跡がないシーツがある。一体これは何を意味するのか? 物語は空白だからこそエクスキューズが膨らむ。ディーネセン、さすがの面白さ。

  • 言葉から想像されるより遥かに広い意味でのレズビアン短編集。
    “しなやかな愛””存在の瞬間”など、分かりやすく面白いものもあるが、この本を入り口に小説の渉猟をしようという目論見は潰えた。次に手を出したい・出すべきものが見えてこない。
    吉屋信子の偉大さを再確認した次第。

  • ハーブキャンディみたいな1冊。甘さを抑えた大人テイストで、ほんのりと風味を味わうことができる。諸外国のレズビアンがどういう過程で人を好きになり、その愛を伝えるためにどういう表現をするのか知れたらなぁと思ったけど、どの話もなんだか色々と控えめだったように思う。泉のように溢れてくる愛情を抑えきれずに我を忘れて突っ走る激情型なわけでもなく、もやもやする思いを伝えられずに甘酸っぱく残した記憶を美化する純情型でもない、恋愛感情というよりも憧れや畏怖に近いのかもしれない。修道女がよく出てくるのもあるけど、宗教が生活のベースにあれば自ずとそうなるのか。甘美なテーマで甘美でない、大人な1冊でした。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:933.78||R
    資料ID:95170883

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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