たそがれの人間 (平凡社ライブラリー)

著者 :
制作 : 東 雅夫 
  • 平凡社
3.33
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本棚登録 : 89
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (383ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582768305

感想・レビュー・書評

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  • 冒頭の「歩上異常」に出てくるR・W君って、大坪砂男(和田六郎)かなあ。佐久だしそんな気がする。
    小説から随筆、掌編のようなものまでいろいろ収録されててどれも面白かった。(与謝野晶子関係の話もなんでここに入ってるんだろう?と想いながら読むと、なるほど……!な感じで)おつきあいのある文豪たちの幅の広さも流石です。
    気に入ったのは、短い作品ですが「柱時計に噛まれた話」。詩人の佐藤春夫がチラリとでてくるとことが良いです。
    あとは表題作、「たそがれの人間」の中に出てくるT・Iが誰だか判らず読んでましたが、文体から立ち上る香気から「あ、これタルホだ!」と気づかせる佐藤春夫の筆力は凄いです。

  • 佐藤春夫はほとんど知らなかったのだけれど、佐藤春夫の実話怪談を集めたらしいというので興味深々で読んでみた。
    ら、やっぱり面白くて最高でした。
    現代の怪談に比べたら地味なんだけれど、そこはやっぱり色々上手いですから滲み出るものがすごいです。いや、深いというべきか。洞察とかそういうのではなくて、手応えというのでしょうか。
    ともあれ、読めて良かった一冊。ありがたやありがたや。

  •  短編集なので、時間がある時に少しずつ読み進めていた。
     「化物屋敷」というそのものずばりの作品が気味悪くて記憶に残る。遺児にまつわる「幽香嬰女伝」や指示した与謝野夫妻にまつわる「永く相いおもふ」などの死んでしまった人達との交流端が好きだ。
     三章の文豪たちの幻想と怪奇に含まれている話は作者と文豪達との交流が垣間見えて、ページをめくるのが愉しかった。泉鏡花の死後に見つかった原稿を巡る話などは、怪談というものから離れて面白いし、老境の佐藤春夫の老獪や人生観、若い泉鏡花研究者の考え方の差異が老若の対比で際だった。

  • ・佐藤春夫「たそがれの人間」(平凡社ライブラリー)は 副題に「佐藤春夫怪異小品集」とある、東雅夫編になる書である。小品集であるからか、あるいは小品集であるとはいへか、短篇からエッセイまで多彩な内容で ある。おもしろいのもあればおもしろくないのもある。ただ、佐藤春夫をほとんど知らない人間には、かういふとこともあるのだと思はせてくれる書ではある。 かういふ切り口で佐藤春夫を見ることもできる。これが東雅夫編である。
    ・個人的におもしろいと思つたのは、正に枝葉末節のことなのだが、その古典の現代語訳であつた。「椿の家ー『打出の小槌』より」、これには「ー建部綾足作  原題『根岸にて女の住家をもとめし条』ー露伴校訂本に憑る」とのいささか長い副題がつく。露伴校訂の(「折々草」の)「根岸にて」の現代語訳である。手 許に原文がないのでweb上に求めて比べてみる。「古典文学電子テキスト検索β」なるサイトにあつた。ただし、これが露伴校訂本であるかどうかは分からない。あつたから使ふだけである。その冒頭の原文、「むさしなる江戸の春べそ、いとも/\にぎびにたる。松竹立ちわたすなども、異所(ことところ)には似 ず。」これをかう訳す。「武蔵の江戸のお正月は、非常に立派な松竹を飾り立てるのなども、外の土地とはくらべものにならない。」(142頁)素直な直訳に 近いが、大胆に意訳したといふものではない。分かり易い穏当な訳といふところであらうか。以下もこんな感じで、原文に即して分かり易く訳してゐる。「日比 物いひける女(おみな)の、やう/\あきがたになりて侍るもとへ」といふ一文、この訳はかうである、「日頃ねんごろにしている女の少々嫌気のさしている者 のところへ」。侍るは気にしなくても良いかといふ程度の直訳である。この訳の見事なところは「女の」の「の」の訳である。つまりそのまま「の」と訳してゐる。これは同格の格助詞、辞書等には「……であつて」と意味が記してある。春夫はそれさへせずにそのまま「の」にしたのである。同様の一文、「物引まはし て中にふし居たるをみなの、さだかにはみえねど、年のほど廿あまりなるが」は、「物引き廻した中に伏していた女の、はっきりとは見えないが、年のころ二十 過ぎなのが」(144頁)も、同格の「の」は同じく「の」と訳してゐる。これも直訳である。文法書に例文の訳として出てくるのならば何の違和感もない。しかし、これは文学作品として発表された現代語訳の一節なのである。直訳であることはともかく、この文章自体があまりに生硬ではないか。もう少し工夫あつて然るべきであらう。春夫のことだから、敢へてさういふことはせずに生のままの直訳文体を選んだのであらう。この現代語訳だけ独立させればたぶんこれで良 い。ところが、それがかういふ中に収められると、その文体の差が気になる。違和感を感じる。「聊斎志異」からの短篇「緑衣の少女」(128頁)は原文が漢文であるから、却つて自由に訳すことができたのであらうか。「根岸にて」とは全く違ふ。普通の作品として読める。蜾蠃(すがる)乙女の美しい怪異譚であ る。文豪の作品、文体がすべて上出来だとは言はない。しかし「根岸にて」のやうな現代語訳調の生硬な文体はおもしろくない。普通の作家はかういふことをし ないものだと私は思つてゐた。それなのに春夫にもそんなのがあつた。あまりに枝葉末節、重箱の隅をつつきすぎだが、やはりこれは私にはおもしろかったのである。もしかしたら春夫は国文の出かと思つたのだが、実際は慶応文学部予科中退であつた。それにしてもこの文体と発想、どこから出たものかと思ふ。

  • 平凡社ライブラリーの怪談シリーズ最新作。
    小説とも随筆ともつかないものが多く、こういう形の怪談はより身近に感じられる効果があるのじゃないか、と読んでいて思う。作り込まれた怪談も面白いが、本作は、さらっと、『フツーにこういうことがあったよ〜』的な書き方がなされている。現在でもあまりこういう書きぶりは見かけないのでは?

    泉鏡花→内田百閒と来て、次が宮沢賢治だったので、面白いラインナップだなぁと思っていたら、最新作が佐藤春夫だったので更に驚いた。このシリーズは、是非、こういう面白いラインナップで続いて欲しい。

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著者プロフィール

さとう・はるお
1892(明治25年)~ 1964(昭和39年)、日本の小説家、詩人。
中学時代から「明星」「趣味」などに歌を投稿。
中学卒業後、上京して生田長江、堀口大學と交わる。
大正2年、慶応義塾を中退、
大正6年、「西班牙犬の家」「病める薔薇」を発表し、
作家として出発。
「田園の憂鬱」「お絹とその兄弟」「都会の憂鬱」などを
発表する一方、10年には「殉情詩集」、14年「戦線詩集」を刊行。
17年「芬夷行」で菊池寛賞を受賞。23年、芸術院会員となり、
27年「佐藤春夫全詩集」で、29年「晶子曼陀羅」で
それぞれ読売文学賞を受賞し、35年には文化勲章受章。
小説、詩、評論、随筆と幅広く活躍。

「2018年 『奇妙な小話 佐藤春夫 ノンシャラン幻想集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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