改訂 桜は本当に美しいのか (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社
3.29
  • (0)
  • (3)
  • (3)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 62
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582768534

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「はっきりしないピンクの大きな綿菓子のようなかたまりの、いったいどこがいいんだろう。春の花なら、椿や牡丹や薔薇のほうがずっときれいなのに、と私は思っていた。」(p.12)に我が意を得たりと嬉しくなって読み始めたら、思っていたより真面目な桜を巡る思想または想念を辿る歴史エッセイだった。
    歌人は過去の歌やその作者のことを、歴史も含めてよく研究するものなんだな。

  • 著者:水原紫苑(1959-) 歌人。
    底本:『桜は本当に美しいのか――欲望が生んだ文化装置』平凡社新書(2014年)

    【書誌情報+内容紹介】
    価格:1,300円+税
    出版年月日:2017/03/10
    ISBN:9784582768534
    版型:B6変 288ページ 在庫あり

    桜を美しいと感じるのは自然の情緒なのか、そのように刷り込まれただけではないのか。記紀や万葉集から最近の桜ソングまで、誰も触れえなかった問い=タブーに歌人が果敢に挑む。
    http://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b279898.html

    【メモ】
    ・簡単に紹介する記事
    https://ddnavi.com/news/367066/a/


    【目次】
    底本の情報 [004]
    目次 [005-009]
    凡例 [010]

    まえがき 011
    桜への疑問/短歌と桜との出会い/桜の素顔

    第一章 初めに桜と呼びし人はや 017
    桜という言葉/木花之佐久夜毘賣と桜/非時の桜の詩想/最初の桜の歌

    第二章 『万葉集』と桜の原型 025
    過渡期としての『万葉集』/大伴家持の桜の歌

    第三章 『古今集』と桜の創造 035
    仮名序のわかりにくさあるいは詐術/桜の呪力の導入/王権による美意識の統御/桜文化体制の開始/桜の世俗化/散る桜の美の準備/美意識の転倒と桜の哲学/小町と貫之の「花」の歌/共通通貨としての桜

    第四章 『枕草子』と人間に奉仕する桜 080
    貴公子と桜/桜の造花のひそかな悲しみ

    第五章 『源氏物語』と桜が隠蔽するもの 089
    桜の精紫の上/至高の花/桜の復讐/桜と至高の花がひとつになる時

    第六章 和泉式部と桜への呪詛 104
    梅の精和泉式部/心の梅の香

    第七章 『新古今集』と桜の変容 109
    『新古今集』という運命/桜かざして今日もくらしつ/極北へ

    第八章 西行と桜の実存 123
    西行のあとに生まれて/花狂い/「魂」から「心」へ/「自己」の発見

    第九章 定家と桜の解体 143
    梅のコレスポンダンス/異形の桜の歌/西行と定家

    第十章 世阿弥と桜の禁忌 157
    世阿弥の桜の能の不思議/鍵を握る『泰山府君』/『桜川』と母の官能/未完の芸術家忠度/『西行桜』の世界観

    第十一章 芭蕉と桜の記憶 173
    記憶の時間/絶対的現在

    第十二章 『忠臣蔵』と桜の虚実 182
    本文に存在する桜/本文に存在しない桜

    第十三章 『積恋雪関扉』と桜の多重性 190
    一人の女形が踊る小町姫と傾城墨染/小町と宗貞の恋/大伴黒主と墨染桜の精の戦い/小町にすべてを奪われた墨染

    第十四章 『桜姫東文章』と桜の流転 196
    散らない桜姫/輪廻転生/桜姫の刺青/運命の男はいない/風鈴お姫の独り寝/消去される桜の過去

    第十五章 『春雨物語』と桜の操 205
    宮木という女/生田の桜/淪落と入水

    第十六章 宣長と桜への片恋 211
    小林秀雄の恫喝/片恋の記録/「やまと心」の歌と上田秋成

    第十七章 近代文学と桜の寂莫 226
    『櫻心中』の面目/藤尾を殺す浅葱桜/『細雪』の月並みな桜/『山の音』の病んだ桜/小夜嵐の哀しさ

    第十八章 近現代の桜の短歌 238
    和歌と短歌、断絶と連続/近代の巨人たち/『新風十人』の世代/前衛短歌の世代/口語短歌の世代/独りうたう女たち/幻想とのスタンス

    第十九章 桜ソングの行方 263
    『桜流し』から/桜と軍国主義/桜ソングの氾濫/王朝和歌への接近と個人の顔


    あとがき(二〇一三年師走 水原紫苑) [275-277]
    平凡社ライブラリー版あとがき(二〇一六年十二月十七日 水原紫苑) [278-279]
    参考文献 [280-284]

  • 桜の夢を見た。
    まだ蕾の桜が一斉に花開き、枝を右から左に花をむさぼり食べる夢である。
    左側の食べられなかった部分の蕾も開花していく。
    花の色は染井吉野にしては濃かったが山桜や垂れ桜ほどてはなく、大変好みの美しい桜ピンク色だった。

    桜の花を題材としたエッセイでは、小学校の教科書に載っていた工藤直子のエッセイを今だ覚えている。
    南国から来た作者は、日本の桜の色が薄いという。青白いという。
    私の生まれた地の桜は、白くうっすらと青白くさえあるかもしれない。
    薄紅色というには紅どころでなく、どうにか花びらの芯に赤みを残している程度である。
    しかも咲くのは運動会の練習の頃だ。
    とうに卒業式も入学式も終わっている。
    春の変わりやすい曇天に飲み込まれてしまいそうな灰桜色だ。
    これが、進学で南下した際に見た桜は、なんとも見事な桜色だった。
    日光の強さでこんなにも色が違うのかと思った。
    しかも、入学式の頃に咲いてくれる。
    ああ、これが桜の色なのだと思った。
    到底工藤直子氏が見て育った南国の桜の紅には叶うまいが、春の青空に映える美しい桜色だと思った。
    花の色は南の方が色濃く鮮やかだ。さながら楽園のように感じたものだ。

    そんな思いを持って本書を手に取った。
    本書は万葉の時代の和歌から、現代の桜ソングまで一気に時代を駆けてくる。
    万葉の和歌は、読み解くのに時間がかかるが、作者とは違う解釈をしてることもあり、視点や思いの違いが面白い。
    清少納言や紫式部の話を読んでいると、作者がどんな人なのかかいまみえてくる。
    奈良・平安の頃は花といえば梅であり、桜はその色の薄さから君の悪いものと思われていた等と習った気がしたのだが、この本を読んでいると桜も梅に比肩する和歌の題材としての花として取り上げられている。
    梅については和泉式部の話で取り上げられていた。
    個人的に読みやすかったのは、西行や能の話の辺りである。
    そこから小林秀雄滅多切り(そんなつもりはないかもしれないが(笑))とツッコミが厳しさを増してくる。
    そして、桜が軍国主義の潔く散れという話と絡めて現代の桜ソング興隆を紐解く。

    どうも作者の意向が強く出ていて公平性やら研究やなんやらが……と気になった場合は、先にあとがきを読んでから取りかかった方がいい。
    この本のコンセプトがわかれば、彼女の思いとしてこの本を読んでいくことができる。
    ……そうなのだ、何度か奥付けで確かめたが、この文章の書き手は女性なのだ。
    骨太というわけではないが、もちろん繊細な芸術家肌の文章なのだが、私はどうしても地の文が男性の声で読まさっていた。
    分析の内容や政治への思いまで触れているところからしては、確固たる意志と力と思いに溢れて書かれたものなのだろう。
    三島の話辺りで自分を形容している部分があるが、なるほど、とついうっかり納得してしまった。

    歌人として燃えるような思いをもつ女性の手記として読むのもよいかもしれない。

  • ふむ

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

1959年横浜市生まれ。

早稲田大学第一文学部仏文科修士課程修了。春日井建に師事。
90年『びあんか』で現代歌人協会賞受賞。
99年『くわんおん』で河野愛子賞受賞。
2005年『あかるたへ』で山本健吉文学賞・若山牧水賞受賞。
17年「極光」で短歌研究賞受賞。
18年『えぴすとれー』で紫式部文学賞受賞。
20年『如何なる花束にも無き花を』で毎日芸術賞受賞。
『女性が作る短歌研究』を責任編集。

「2023年 『天國泥棒 短歌日記2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

水原紫苑の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
アントニオ・G・...
エラ・フランシス...
円城塔
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×