- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582800494
感想・レビュー・書評
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この数か月、会津藩関連本の再読キャンペーンを一人で開催していたのだけど、ようやく大トリのこの本を。タイトル通り、会津藩が文久2年(1862年)に京都守護職に任命され、懸命にその職務を全うするも、やがて戊辰戦争となるまでの克明な記録。上巻は守護職拝命から、翌文久3年(1863年)の八一八の政変でようやく長州藩を追い落とすまで。
著者は会津藩の山川浩となっているが、実際には弟の健次郎との共著であり、明治31年に浩は54歳で亡くなってしまったため、大半は健次郎が書いたものだというのが定説(健次郎が兄の名を残そうとしたのと、薩長政府を憚って故人の著書としたほうが好都合だった)。とはいえ、山川浩は弘化2年(1845)生まれで文久2年の時点で数え18歳、京都守護職拝命により藩主が上京したのに随行しているので、実地に当時のことを覚えていたのは浩のほうではある。
兄弟がこの著書を通して訴えたかったのは「会津藩はけして朝敵ではなかった」ということ。薩長がおのおの公卿を傀儡にし偽勅を出しまくり、幕府との公武合体を邪魔し、意に添わない相手は暗殺など好き放題に跳梁跋扈していたときに、孝明天皇に信頼され、ご宸翰も賜っていた。明治政府は自らの正当性を主張するために会津に逆賊の汚名を着せたが、事実はけしてそうではなかったことが、本書を読むとよくわかる。
ただ、そんなことを公表されると明治政府は困ってしまうので、なかなか出版には至らず、ようやく出版できたのは明治44年。現在東洋文庫で読めるものは、書簡などは原文のままだが、地の文章は詩人の金子光晴による口語訳。
会津藩に残されていた資料などを元に、客観的に綴られてはいるが、政府に憚ってか薩長についてはそれほど悪しざまには描写していないにも関わらず、ちょいちょい慶喜のことだけは人物評が混じり、地味にディスってあるのが興味深い。敵対していた薩長よりも、味方でありながら自己保身のため会津を見捨てた慶喜に対してのほうが、理不尽な怒りがあったのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一番手軽に入る山川本。幕末の基本資料。
松平公好きっぷりにどぎまぎする本。