橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか

著者 :
  • 平凡社
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本棚登録 : 58
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582824520

作品紹介・あらすじ

「畠山鈴香は人間ではない」と、それでもあなたは言いますか?33歳のシングルマザーは何故、幼い命を手にかけたのか?死刑判決待望論に挑み、「破滅」と「殺意」の深層に迫って書き下ろした、著者畢生のルポルタージュ。

感想・レビュー・書評

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  • 「畠山鈴香は人間ではない」と、それでもあなたは言いますか?33歳のシングルマザーは何故、幼い命を手にかけたのか?死刑判決待望論に挑み、「破滅」と「殺意」の深層に迫って書き下ろした、著者畢生のルポルタージュ。

  • 定期購読している月刊百科の記事をよみ、興味を持った一冊。
    これまた地元の図書館にはやくも到着していて、さっそく借りました。
    裁判員制度がはじまり、第三者として事件とかかわることを余儀なくされる機会が増やされた今、それぞれの事件の背景を考えていくことは大切だと思います。
    かなりプライバシーに踏み込んだ内容であり、読みすすむうちに少し抵抗も感じたりしましたが、いろいろ考えさせられるものでした。

  •  報道と実際とのズレ
     しかし、個人情報とやらにはばまれ、ドキュメンタリー取材ものはしづらくなっただろうなあ。
     子を愛せない親もいる。自己愛がすぎれば、暴力になることを教えてくれた本。むろん、こんな哀しい事件もない。

  • 本書は、ジャーナリストで

    公害や狭山事件などに関する著作がある著者が

    2006年に起きた児童殺害事件の被告人について記した著作。


    被告人の生い立ちから、結婚・出産を経て

    事件、逮捕に至るまでを、

    同級生や知人の証言や

    公判に現れた証言・証拠などをもとに追います。


    幼い日のいじめや虐待、地域社会での孤立

    我が子に対する複雑な思いと

    第二の被害者への理不尽な殺意―

    いずれの記述も痛切で、胸を締め付けます。


    なかでも、個人的に最も印象深かったのは

    第一の事件現場である橋の模型まで持ち出し

    執拗に行われた、公判廷での検察の尋問の描写。

    検察官の言葉は一言一言が鋭く

    読者である私の心も貫かれるような感覚に襲われました。


    犯罪被害者の悲しみ、加害者家族の困惑

    犯罪報道や取材のあり方、

    刑事手続きにおける鑑定や事実認定のあるべき姿

    そして犯罪被害者保護、死刑制度―など様々な問題提起をする本書。


    被告人に同情的な書き方には

    違和感を覚える方もいるかもしれませんが、

    刑事事件や刑事制裁について、感情ではなく、

    自分の頭で考え判断するため、

    一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。

  • 事件報道は書く人が違うとそれぞれ違う事件のようになるので
    そこがものすごく怖い

  • 2006年4月、秋田県藤里町で2人の子どもが相次いで命を落とした。日本中の注目を浴びたこの事件。やがて捕まった犯人は最初に死んだ女児の母親だった。本書は、「鬼女」として報道された被告の真の姿に迫ろうとするノンフィクションである。衆目を集めたこの事件に関して、多言を弄する必要はないだろう。被告の言動はマスコミをさんざん賑わせた。しかし、被告は報道されたようなモンスターではなく、子ども時代に虐待を受け、精神的に弱い部分を抱えたシングルマザーだった、というのが本書の主題である。以下、個人的な感想だが。暗澹たる気持ちで読み進めた。理由は主に3点。1つめは幼い子ども2人が理不尽な殺され方をした事件自体の重さ。2つめはこの本を読むこと自体が野次馬的行為である気がしてしまったこと。そして3つめは、著者の言いたいことはわかるけれども自分は「被告を糾弾するのではなく救済すべき」とする著者の主張に賛成できないこと。一番引っかかるのはやはり、3番目だ。おそらく著者の言うとおり、この事件の被告は精神的に不安定な部分があったのだろう。そうした不安定さからくる言動が、マスコミによって非常に歪曲された形で報道されたというのも、おそらく真実だろう。しかし一方で、被告が2人の子どもの死に関わっていた、ということが、そのために消えるわけではないと思うのだ。素人の私見だけれど、司法はもっとドライであることはできないのだろうか? そもそも当事者同士で解決せずに第三者がことを判断する、「裁判」という形式は、私刑や仇討ちの応酬を避けるための仕組みだったのではないのか? それならば刑事事件において、「なぜ」なされたかに主眼を置くのではなく、「何が」「誰によって」なされたかを究明して、「なしたこと」に対して刑罰を科すべきではないのか? 人はいつでも論理的に動くわけではない。なぜこうしたか後で考えるとよくわからないなどということは、よくあることだろう。そしてまた、人の記憶も思っている以上に曖昧であり、状況に左右されやすいものだと思うのだ。「責任能力」や「殺意」など、きわめてわかりにくいものに取り組むのではなくて、検察は、物的証拠から、加害者が何をしたために被害者がどういった害を被ったかを淡々と調べる。そして裁判は、「情状酌量」にも「処罰感情」にもどちらにも引きずられることなく、「被害」と見合う「量刑」を科す。そういった形では駄目なのだろうか?起きてしまったことの責任は誰かが負うべきだろうし、それは加害者以外にはいないだろう。加害者が極悪非道であるから重い罰、同情すべき人物であるから軽い罰。本当にいつもそんな風に割り切れるものなのだろうか? そこが微妙だから裁判が長期化する面があるのではないだろうか?結論の出にくいことについて長期に渡って裁判を行うのは、結局誰にとっても益にはならない気がしてならない。我ながら消化し切れていない気がするし、本の内容自体からやや離れてしまったけれど、現時点での感想である。*読んだ印象だけだが、一番目の事件は自白に頼っていて、物証が少ないように思う。動機を追及するより、そちらの方が気がかりだ。本当に被告が関与していないとしたら大問題だと思うのだが。

  • あの名作『死に絶えた風景・・日本資本主義の深層から』や傑作『自動車絶望工場』そして問題作『大杉栄・・自由への疾走』を書いた鎌田慧が、2006年の児童殺害事件の闇を描く渾身の一冊。今まで読んできた彼の100冊以上の著作の、社会正義や差別・弾圧や崩壊する現場の報告などといった骨太のテーマとは異なる、殺人者の境遇を取材し心の問題に分け入ろうとする眼目は、裁判所での争点やゴシップ記事風のマスコミの報道に憤りを感じてのものですが、でも、やはり私は、犯罪者の山ほどある理由を指摘したり分析したり同情しても、厳然として殺された被害者は存在する分けで、よほど相手から虐待を受けていたことの正当防衛的なもの以外は、人を殺したら自分の命をもって償うことに徹するべきだと思います。

  • 何かと考えさせられる作品でした。
    落ち度だらけの警察の初度捜査、強引な取調べ。
    『空白』だった鈴香の心。読み進めるうちに今まで僕が持っていた不遜で不敵で冷酷な鬼親に見えていた畠山静香が哀れな魔女に思えてくる。
    裁判員制度が始まった今、人が人を裁くことの難しさやるせなさ辛さを痛切に感じながら苦しい思いで読んだ。

  • あやかちゃんを殺したとまでは言い切れない。そのときの記憶がないから。無期懲役の理由がわかった気がした。人を殺して言い訳ではないけれど彼女は悲しい女だ

  • (2009.08.10読了)
    自分の娘と近所の男の子を殺害したとされる畠山鈴香についての本です。
    2006年4月9日、能代署に彩香ちゃんの捜索願が提出されました。
    4月10日、藤琴川で、彩香ちゃんの遺体が発見されました。
    川辺で遊んでいて誤って川に流され、死亡したとされ、事故死で処理されました。
    5月17日、米山豪憲くんが自宅近くで行方不明になりました。
    5月18日、米代川の堤防で豪憲くんの遺体が発見されました。
    6月4日、畠山鈴香が豪憲君の死体遺棄容疑で逮捕されました。
    7月18日、畠山鈴香が彩香ちゃんの殺害容疑で再逮捕されました。
    2008年3月19日、判決公判。無期懲役の判決が下された。
    2009年3月25日、控訴審判決公判。控訴棄却、無期懲役判決。
    5月18日、無期懲役刑確定。

    著者は、ルポライターなので、現場を歩き、裁判を傍聴し、資料を調べ、事件と裁判の全体を記述しています。畠山鈴香の生い立ちについても調査して記述しています。
    僕は、事件があっても、新聞やテレビの報道に注意深く付き合うのが苦手なので、興味深いものは、一冊の本にまとまってから読むという方法をとっています。
    読んでみた印象は、断片的に記憶されている事件報道の印象といくらか違うようです。
    米山豪憲君を殺害し堤防し捨てたことは、確かなようです。殺害の動機は、自分の娘がいなくなったのに、一緒に遊んでくれていた子が元気でいるのが妬ましかったとか。
    警察の取り調べに対しては、上記のように述べたようですが、警察官の提案に同意しただけで、畠山鈴香自身にもよくわからないようです。
    娘の彩香ちゃんの殺害については、検察側の主張では、橋の上から魚を見たいというので、欄干の上に座らせ、背中を押して突き落とし殺害したということになっていますが、畠山鈴香の記憶は欠落しているようです。
    記憶の欠落を裏付けるように、畠山鈴香は、捜索願を出し、事故死と断定されても、パンフレットを作成して目撃情報を集めようとしています。
    殺害した自覚があるなら、事故死として扱われれば、自分が疑われる可能性がなくなったわけで、目撃情報を集めることは、墓穴を掘ることになるわけですので、パンフレットを配ることはおかしいのではないでしょうか。
    突き落としたのではなく、欄干の間から覗こうとして、誤って落下してしまったのではないでしょうか?畠山鈴香は、何が起こったのかわけがわからず、茫然自失になったのではないでしょうか?
    鎌田さんは、なにもい言っていませんが、表題の「殺意」で、殺意の立証はできていない、ということを言いたかったのではないでしょうか?
    多くの裁判で、真相を知りたいという言葉が使われますが、ほとんどの場合は、真相は、「藪の中」です。

    著者 鎌田 慧
    1938年、青森県弘前市生まれ
    1964年、早稲田大学文学部卒業
    社会問題を追究するルポライター
    『反骨―鈴木東民の生涯』にて1990年度新田次郎賞を受賞
    『六ケ所村の記録』にて1991年度毎日出版文化賞を受賞
    ☆鎌田慧の本(既読)
    「津軽・斜陽の家」鎌田慧著、祥伝社、2000.06.10
    「くたばれ!自民党」鎌田慧著、アストラ、2001.04.28
    「自立する家族」鎌田慧著、淡交社、2001.07.15
    「人権読本」鎌田慧著、岩波ジュニア新書、2001.11.20
    「原発列島を行く」鎌田慧著、集英社新書、2001.11.21
    「反骨のジャーナリスト」鎌田慧著、NHK人間講座、2002.02.01
    「狭山事件」鎌田慧著、草思社、2004.06.01
    「橋の上の「殺意」」鎌田慧著、平凡社、2009.08.10
    (2009年8月18日・記)

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著者プロフィール

ルポライター。『残夢――大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯』(金曜日)、『大杉栄――自由への疾走』(岩波現代文庫)など、明治大正期の社会主義者、無政府主義者を描いた作品も多い。「さようなら原発」運動、「戦争をさせない」運動などの呼びかけ人。

「2017年 『軟骨的抵抗者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鎌田慧の作品

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