- Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582829778
作品紹介・あらすじ
現在の日本経済を覆っているデフレは、たんなる景気循環による不景気ではない。かつての驚異的な高度成長のベースにあった産業資本主義が形を変え、ポスト産業資本主義に変質しつつある大転換に、日本の「会社」がうまく対応できないために起こっているのだ。日本が二十一世紀を生き抜くためには、産業資本主義時代のまま生き残っている個々の「会社」の仕組みを根本から洗い直し、新しい資本主義にふさわしい形にしていかなければならない。本書は、会社の仕組みを基礎の基礎からやさしく説き起こし、経営者、サラリーマン、そして、これから就職する学生諸氏が、新しい資本主義にふさわしい会社のあり方、新しい働き方を考えるヒントを提供する。
感想・レビュー・書評
-
ちょっと前の本だけど、素晴らしいですね。高校生の頃、「終わりなき世界」を読んで以来、こういう形で岩井克人に励まされるとは思わなかった。これはもちろん会社論だが、日頃働いている中での皮膚感覚とマッチしていて、読むと元気が湧いてくる。優れた書物は人を勇気づける。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
状態:≪読んでる≫
そもそも会社って何?から始まり、資本主義の歴史を日本と海外を比較しながら説明。 今の日本の不況は単なる景気の波ではなく構造的な変化のためとして、「ポスト産業資本主義にふさわしい社会・会社のありかたとは?」 という話になっていく。学者さんのわりに読みやすい軽妙な文章で、すらすらと読めて勉強になるし面白い。 ちょうど半分くらいまで読んだところだけど、これからいよいよ著者独自の主張が始まる・・・というところ。
状態:≪読んだ≫
「これからのポスト産業資本主義の時代は、経営者や従業員の知識やスキルといった人的資本が重要。」ふむふむ。「そこではアメリカ的な 『会社は株主のもの』という考えは主流とはなり得ない。」えっ、なんで?
「株主主権な会社は従業員がその会社にとどまるインセンティブを生み出しにくいから。」え~そんなぁ。
確かにこれからの時代はモノよりヒトだというのはよく分かるし、 会社を個性的にすることで従業員が退社しにくくなってフレックス制度などで居心地をよくすれば会社に対する忠誠心も増すだろう。 しかしだからといってお金や株主の価値が下がるというのはちょっと暴論だなあ。 カリスマ経営者が株主と喧嘩してスピンアウト→新しく会社を興して成功!って話を例に挙げてるけど、本人も認めてるとおり極論だ。 お金の価値が下がるのは「お金があれば設備に投資して儲けられた時代は終わった」からだそうだけど、 お金がないとヒトにも投資できないって。
と、少し納得できないところはあるけれど、全体の論旨は明確で筋が通っている。 アメリカのIT企業のイメージが強い多いキャンパス型の自由な社風と、20世紀の日本の企業のイメージが強い終身雇用・福利厚生重視。 まったく正反対のように見えて、著者がこれからの会社のあり方とする「人的資本重視」という意味では同じだ。 今の日本企業はその狭間で苦しんでいるという指摘はまったく正しいと感じた。
「利潤は差異性からしか生まれない」など、当たり前だけれども簡潔に本質を突いている言葉も印象深い。本書の続編 「会社はだれのものか」は私淑する山形浩生氏などが酷評していたが、 それはそれとしても読んでみたくなった。 -
法人とは何かについてひたすら語られている。
会社ってなんだろーって概念的に考えるときに参考になるかもしれない。
逆に概念的な話に興味のない人は、
読んでも「だから何?」となりそう。
一部を紹介すると、
株主→会社(法人)→会社資産
という構造なので、法人としての会社は、
「株主に所有されるモノ」としての性質と、
「資産を所有する人格」としての性質の、
二面性を持っている。
なぜこんなことになっているかと言うと、
会社が法人格を持たないと、意思決定や手続きが煩雑になるから。
例えば他の会社と取引する時には、
株主全員分のハンコが必要になり、
その上、株主が変わると契約をし直す必要が生じる。
言い換えると、会社は株主とは切り離して、一人の「人格」を与える方が、
色々都合いいということだ。(それ以外にあまり意味はないように思う。)
ちなみに、上記構造において、「モノ」としての性質を消すことが可能。
それは、日本の大企業の間でしばしば見られる「株式の持ち合い」。
皆で持ち合うことで、「株主」と呼ばれる人の意志が消されるため、
法人が純粋に人としての側面のみを持つようになる。
だから何?といわれそうだが、
株式持ち合いの状況では、「従業員は会社に雇われているだけで、会社そのものではない」とは言いづらくなる、ことがポイント。
株主→会社(法人)→会社資産
の構造では、普通に考えると従業員は会社の資産の一部であり、会社そのものではない。
・・・・・・・・
てなことがつらつらと書いてある。 -
参考図書
-
2003年の2月に発行された不況期を前提とした本。
資本主義、株主主権論と会社共同体論の二つの流れを踏まえ、会社の見方を改めて整理している。株主主権論はグローバル経済において主流たりえないことを、①法理論上誤りであり、②お金の重要性が低まる、という2点を根拠に主張
しかし、むしろ自分にとって価値があったのは、2003年くらいまでの日本経済の動向を記述したくだり。
日本企業にリストラが必要となった背景の根底には、グローバル化、IT革命、金融革命の3つの潮流がある。
90年代は、バブルがはじけて不良債権処理に追われた時期だったが、この間、失業率は5.6%にまで上昇した。
失業率が増えたのは、企業が経営改善に努めたからだが、そもそもバブルが生じたのは、銀行を中心とした横並びの間接金融の仕組みが自由化の波を受けてくずれていく過程で、大企業の資金調達が、社債やCPなど市場からにシフトし、銀行が中小や個人といった審査ノウハウのない先への貸出を担保主義で増やしていくことを余儀なくされたからだ。結果として、「土地神話」信仰ともあいまって、不動産や株式の投資が拡大した。事業的な収益性の拡大を目的とせずキャピタルゲインをねらうものだったが、他のどこの国のどこのバブルとも同じようにいつかははじける運命にあった。
問題は、その後処理がなぜここまで長引く必要があったかである。3つの潮流は以下のように、企業のおかれた環境を規定した。
①グローバル化は、消費者にとっては、世界中のモノやコトを享受できるという意味で望ましいが、生産者にとっては、従来国内の市場を中心に、厳しい競争にさらされることなく、過ごしてくれたローカル企業を中心に、淘汰を余儀なくするものである。
②IT革命は、企業組織内のコミュニケーションのあり方を変え、従来型の組織モデルにおける中間管理職の役割を中抜きにしてしまう。
③金融革命は、銀行とのもちつもたれつの関係を不要とし、より高いリターンを求めるドライな市場からの要請に、企業が応えていくことを必要とする。
金融当局の判断の誤りがあって不況が長引いたのも事実だろうが、根底には、Forces at Work という構造的な潮流があるということ、アメリカや他の国と異なり日本だけが調整に手間取ったことには日本固有の理由がある点を解明する必要がある。
いくつか頭に残った点は、以下のとおり
・3大潮流は、標準化の促す。一方で、資本主義の利潤の源泉は差異化にある。
・会社は、規模の経済、範囲の経済から自由になった。
・外部か内部かはともかく文化とも呼ぶべき個性的な知識資産を蓄積が重要であり、これを囲い込むことが大切。
・会社固有の(特殊というより固有の方が適切)知識、ノウハウなどをヒトを起点に蓄積していくことがコア・コンピテンスの構築といってよい。
・これらを確保するため、人材の組織へコミットを促すため、長期的インセンティブを確保することが重要
・NPOは法人の起源。この活用が重要 -
感無量。大学の授業で使用しました。何のために働いているのか分からなくなった時にもう一度読み直したい。
☑️会社の法人実在説と法人名目説。日本、ドイツ派とアメリカ派。
☑️会社の差異性には、産業資本主義のような機器の種類や量も大事だが、ポスト産業資本主義のような人的資本の知識、経験、頭脳も大事
☑️一方で株主による経営補佐や資金の調達(金融革命含む)など株主主権も大切
☑️つまり法人実在説(株主主権)、法人名目説(従業員一体型)のどちらも重要
☑️サラリーマンの会社勤めや起業。会社において人的資本の組織的動機付けが会社の動向の一端を担う。いずれにせよ働いている人は知的熟練を身に付ける場にいる。
-
"2003年2月に初版が発売されている。当時は未だに閉塞感につつまれており(通信バブルが崩壊、各企業が構造改革を実施し、間もない頃)なんとなく自信が持てない雰囲気があった。
そのころ、タイムリーな本といえる。会社とはいったい誰のものなのか?そして、これからどうなるか?を改めて考えるきっかけを与えてくれた本。" -
10年ぶりくらいに再読。
会社は誰のものか?株主のものか?従業員のものか?社会の公器なのか?
古典的企業、たとえば個人経営企業の場合はオーナーが会社を所有する。パン屋のオーナは店のパンを食べても罪にはならない。
会社になると別だ。株主(オーナ含め)が会社を所有するが会社はそれとは別に資産(パンや機械)をもつ。株主が店で勝手にパンをたべたらオーナーであろうが罪に問われる。
株主は会社の所有者であるが会社の資産の所有者ではない。
一方でなぜ「法人」という「人」的な存在がうまれたのか?会社を運営するには外部のいろいろな人たちと契約をむすばないといけない。会社を代表してだれかが契約を結ぶ必要がありこれがないと、会社内の全員が契約をしないといけない。ゆえに、会社を代表して「法人」という架空の概念をつくりだして法人に契約をさせる。
その典型が「代表取締役」という存在。
株主はたしかに株主代表訴訟で経営者を首にはできるが、経営者という存在そのものを消すことはできない。
経営者は株主の委任契約にもとづく委託者ではなく信任受託者である。
信任とは文字通り信じて任せるである。だから経営者には善管義務と忠実義務という「倫理」が求められる。 -
WBSで紹介されていた本。
ポスト資本主義を示している。