北京に住んだ事がある身としては、中々興味深く読めた。ほんの10−15年前程度のことでも、昔のこととして、すでに失われたモノとなってしまったことが何だか少々残念な気はする。昔のものの保全という方向を主張する人が居ないわけではないが、最終的にはいつも革新という名のもとか、古きを壊して、無味乾燥な新しいものを上に建てる方向に向かってしまうのはどうしてだろう。
近々また北京へ行くことを予定しているので、いくつか行って見たい場所が増えた。果たしてまだ残って居るのだろうか。
P. 10 鼓楼には大きな破れた太鼓が保存されている。刀傷がたくさん残るが、それは1900年に起きた義和団事件で北京に侵入した八カ国連合が残したものという。
P. 19 钱市胡同(もっとも狭い胡同の一つ)
P. 33 吉兆胡同,吉祥胡同,月光胡同,新鲜胡同,丁香胡同,春雨胡同,甘雨胡同,喜庆胡同,椅子胡同,烧酒胡同,豆芽胡同,干面胡同,芝麻胡同
P. 77 徐勇 「胡同101像」「胡同99」
P. 117 三味書屋
P. 130 三里屯 紫雲軒、南长街 紫藤臚
P. 181 それは故宮の中心の宮殿である太和殿にまつわるものだ。ここは工程が国家的行事を執り行う場で、その際に工程が座る宝座が建物の真ん中に置かれている。その真上の天井には龍が描かれているのだが、もし宝座に偽物の皇帝が座れば、龍が口にくわえている珠が落ちてくる・・・。昔からの言い伝えを信じ込んだのが、清朝崩壊後に権力を一時簒奪して皇帝を名乗った袁世凱だった。珠が頭上に落ちても当たらない場所に、自分用の椅子を据えて、元の宝座はのけてしまったのだ。文革前の50年代のことだったが、朱さんは日本の建築家、伊東忠太が撮影した故宮の古い写真からヒントを得て、袁世凱が取り外してしまった後、倉庫の片隅で埃をかぶっていた宝座を発見し、元の位置に戻したのである。
P. 206 東方広場~地下3階~王府井古人類文化遺跡博物館
P. 234 梁家のひとびと 祖父・梁啓超~中国近代史に名を残す改革派の論客である。清末の政治改革運動の戊戌変法では師匠格の康有為や譚嗣同らと中心的な役割を担い、光緒帝を担ぎ、明治維新をモデルに君主専制から立憲君主制に改めようとした。父・梁思成は建築学家・建築史家として有名で有る。かれは1949年はじめ、密かに共産党関係者から相談を受けた。それは、万一、北京で国民党と激しい戦闘に突入した場合、古都のどの場所、どの建築を保護すべきかという打診だった。これに感動して梁思成は後に共産党に入党したと伝えられる。そしてご本人、梁従誠さんは1932年の生まれで中国で最初のNGO、環境保護団体自然の友を立ち上げた。
P. 237 二人の老北京 北京三五年の山本市朗氏と外国老専家と呼ばれた川越敏孝氏 共に50年代の北京が一番良かったよと語る。