- Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582834697
作品紹介・あらすじ
白川静はこんなにすごい!日本を代表する47人による、その魅力と魔力の解明。
感想・レビュー・書評
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様々の分野の人が白川静について語っている。白川静本人の著作の方が面白いのは、当然。とは言え、改めて、漢字の碩学の凄さを認識。
内田樹さんの文章が秀逸。孔子伝を読まなくては、と思わせられる。
昔、何気なくテレビをつけたら、NHK教育テレビで白川先生が講演していた。(子供が小さかったので、自然とスイッチは教育テレビだった。)その時、黒板に書きながら説明していた字が「遊」=すなわち、部族の王子が旗を持つ姿。旗が神の寄り代。遊ぶものは神。漢字が古代の民俗を語っていることに驚いた。文字は人と人の意思の伝達のために生まれたものではない。そんなことを言い切った人はこの人だけだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
意味が分からない執筆者の文章が二三ある。白川静先生に叱られるぞ。
読み物としては多少苦になるが、白川静先生への尊敬と憧憬とは別物。
字通を買いに行こう。 -
文学
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漢字は国学なり
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読了。図書館で一度借りた本だが、読みきれなかったので、購入した。多くの著名人が、白川静の凄さを語っている。押井守を語っていたのは、驚いたが、納得もした。内田樹もあった。吉本隆明(よしもとばななのお父さん)もあった。
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本の知性47人は白川静をどうとらえたのか。五木寛之、松岡正剛、宮城谷昌光、立花隆、内田樹、さらに町田康、押井守、日野原重明らが白川静への扉を開く。生誕100年記念出版。
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たとえ背伸びしてみたとしても、読みこなせない。
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許慎の書いた「説文解字」の常識を覆した知の巨人。
白川静について様々な人が語っている本。
そんな白川漢字学入門としてまずこれを読んでみた。
巻頭の松岡正剛と五木寛之の対談で、
「日本の仏教は音楽とともにあった」とか、
「お坊さんはボーカリスト」とか、
この間(2012/2/28)JAZZのライブに言った折、
友人と話していた内容と同じようなことが書かれていて、
我が意を得たり、という気持ち。
そうなんだよ、読経って音楽的に素晴らしいんだよ。
あーやっぱ法然と親鸞は避けては通れない気がしてきた。
あと、
対馬の海岸端にハングルの書かれたものが流れ着くというのも、
別の友人が島根の海岸にはハングルで書かれたものが漂着する、
と言っていたのが思い出されて「縁」を感じた。
こういうのがあるから本読むの楽しいんだよね。
別な話、
この前東浩紀が「ギリシャ文化はエジプト文化の辺境だ」
と言っていたので、
日本の辺境性を考えるときには、
ギリシャの辺境性を補助線にすると面白いんじゃないかと思った。
その点で「テルマエ・ロマエ」を見直すのもいいかもわかんない。
また、
久しぶりに町田康の文章を読んで、
やっぱおもしれーんぁ、
なぞと一人鼻息を荒くした。
ぶぉんむ。 -
目次読書法で出会った知と字の巨人《赤松正雄の読書録ブログ》
先日、新幹線に乗る前の時間を使って、丸の内の丸善書店にある松丸本舗に寄ってみた。かねて松岡正剛『多読術』を読んで、博覧強記のご仁の手になるこの書店独得の棚(松岡氏の企画・立案による)を見たいものと思っていたのだが、ようやく実現した。一冊の本の縦横のつながりを十分に意識した本の陳列の仕方は面白そうだ(私の最終的価値判断はまだできない)。
たまたまそこで、「読書の秘訣 セイゴオ流 目次読書法」なるワークショップ案内を目にした。松岡氏考案の目次読書法を実際に教えてくれるようなので、改めて指定された日に行って見た。目次読書法とは、簡単に言えば、目次を見て自分なりに内容を想像することだと言う。このワークショップは、同本舗のイシス編集学校の師範を講師に開かれており、この日は男女青年、中年取り混ぜて八人ほどが参加していた。何でもいいから5分以内に一冊本を選ぶようにと指示されることから始まって、約一時間手ほどきを受けた。目次にその本の著者の考え方の基本が表れているというのは分かる。それを立ち読みして、全体像を素早く見抜けという。読書法のなかに目次を組み入れる松岡正剛という人も誠に底抜けの“読書の達人”で、それをしっかり販売に結びつける店も凄い(参加者は必ず本を一冊購入するということになっている)。
私が手にしたのは『白川静読本』。白川静氏は、かねてより気になっていた人物ではあるものの、先年高齢で亡くなった漢字の大家との認識だけで、殆ど何も知らないに等しい。それが直ちに嵌ってしまった。時間切れ寸前残り10秒くらいで苦し紛れで選んだ本なのだが、不思議な縁を感じる。『孔子伝』はおろか、新書の『漢字』や『詩経』などでさえ読んではいない。この読本を読み進めて今、人間白川静の虜に間違いなくなった自分を感じる。こうしてまたもや知の森に迷い込んでしまった。いや、今度ばかりは、知の川で溺れ沈むのかも知れない。