- Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582852257
作品紹介・あらすじ
人間の身体は、たんなる生体システムではない。人は身体という座において、世界と関係を結び、他者と出会い、そして触れあい、ついには「私」を立ち上がらせる。私たち人間は、「身体をもつ」のではない。むしろ、「身体として・いる」存在なのである。他者とのかけがえのないかかわり=「エロス」を軸に、身体の人間論的な意味を徹底して考え抜く。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
現代社会におけるアクチュアルな問題に対して実存的な視座から活発な発言をおこなっている著者の思想の、とくに原理的な部分について、比較的くわしい内容が明らかにされている本です。
著者はまず、日本語の「いる」と「ある」の比較をおこなうことで、「いる」とは話し手自身の身体が語られる状況そのものに居合わせていることを意味するという、実存的な規定を引き出します。その上で、自己の身体が立ち会う実存的な状況とは、単なる知覚的な内容によって構成されているのではなく、そのときどきの情緒によって彩られていると論じられます。
このような基本的な視座に基づいて、他者との相互的な交渉の仕方が、エロス的な関係と社会的な関係の二極に分けられます。エロス的な関係とは、個別的に限定された他者との関係であり、社会的な関係とは一般的な相互交渉を意味しています。そして著者は、この二つの関係のそれぞれについて、具体例をあげながらわれわれの実存が個別的・一般的な他者とのかかわりのなかに投げ出され、そのなかでかたちづくられていくと主張しています。 -
やっぱ小難しいので、読むのはなかなか大変。
小浜先生の本はたくさん読んでいるので、まぁ他の本と重なる内容でした。
読みながらおさらいする感じ。 -
[ 内容 ]
人間の身体は、たんなる生体システムではない。
人は身体という座において、世界と関係を結び、他者と出会い、そして触れあい、ついには「私」を立ち上がらせる。
私たち人間は、「身体をもつ」のではない。
むしろ、「身体として・いる」存在なのである。
他者とのかけがえのないかかわり=「エロス」を軸に、身体の人間論的な意味を徹底して考え抜く。
[ 目次 ]
序章 哲学者たちの身体論
1章 「身体として・いる」私(「いる」と「ある」;私は身体で「ある」のか、それとも身体を「もつ」のか)
2章 身体は意味の体系である(身体の機能的な意味;身体の人間関係的な意味)
3章 性愛的身体(「性欲」概念の観念的性格;おとこ身体・おんな身体)
4章 働く身体・権力と身体(社会秩序の根源としての労働;権力と身体)
5章 死ぬ身体(病気・障害・老衰;あなたの身体はあなたのものか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
文の難易度が簡単すぎるわけでもなく、読みごたえがあり、内容も面白かった。フーコーやバタイユなどの評論は正直に言って、難しすぎるのか言っていることが良く分からない部分が多い。そのような難しいものについての内容も紹介してあり、分かりやすく表現してくれていたので良かった。書かれている内容も、身体論については大学の講義で初めて聞いて興味を持っていたもので、エロティシズムについても興味があり、かなり関心のある内容だった。
性愛に対する多くの人々が抱く「いやらしいもの/すばらしいもの」というアンビヴァレントな感情に対する考察や、男女の性に対する認識の違いなどについての考察、女性がセックスが好きでもないのに身体を売る理由などが、かなり分かりやすく深く考察してあって非常に面白いと思う。
特に心に残った記述は、「男を引き寄せる女性性とは、母性・娼婦性・少女性である」と云うところで、云いえて妙だと思った。 -
男の浮気擁護!? なんだかおかげで適度な諦めができました。これ読んで女磨きましょうか。