「はかなさ」と日本人: 「無常」の日本精神史 (平凡社新書 364)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582853643

作品紹介・あらすじ

この世ははかない、人生はむなしい…。心の根底に横たわる、この無常感を乗り越えるべく、古くから日本人はさまざまないとなみをなしてきた。和歌や随筆、謡曲などをさぐってみると、それらは大きく、「夢の外へ」、「夢の内へ」、「夢と現のあわいへ」の三つに分けられる。この世が夢のごときものであるならば…。「はかなさ」をめぐる日本人の精神史をたどる。

感想・レビュー・書評

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  • 「はかない」とは、文字通り「はか」がない。「はかがいく」「は
    かどる」の「はか」がなく、努めても結果が手に入らないというこ
    とから、あっけない、むなしい、という意味をもつようになった言
    葉だそうです。なお、「はか」とは、もともとは田圃の作業の単位
    を表す言葉で、計測するという意味の「計る」、調整するという意
    味の「諮る」、企てるという意味の「謀る」に派生していったとの
    こと。「はかる」は、著者によれば、「人が意図・計画をもって生
    活するときには、必ず求められる基本的な営み」なのです。

    このような「はかる」を第一義とする社会がbusiness(busy-ness
    =忙しさ)社会であり、近代社会であったわけですが、今やそのよ
    うな「はか」がある社会の根幹が怪しくなっている。少なくとも現
    代の日本社会においては、「はかない」、あるいは「むなしい」と
    いう気分が蔓延してしまっているのではないか。そう著者は問いか
    けます(本書は2007年の出版です)。

    しかし、「はかない」は、何も今に始まったことではなく、むしろ
    日本人には馴染み深い感覚でしょう。何せ「色は匂へど散りぬるを 
    我が世誰ぞ常ならん 有為の奥山今日こえて 浅き夢みじ酔ひもせ
    ず」という無常感いっぱいの「いろは歌」を、千年以上も手習い歌
    として伝えてきた民族なのですから。「祇園精舎の鐘の声 諸行無
    常の響きあり」で始まる『平家物語』、「ゆく河の流れは絶えずし
    て、しかももとの水にあらず」という『方丈記』など、中学や高校
    で覚えさせられる日本の代表的な文学作品も、世の「はかなさ」や
    無常を訴えるものばかりです。日本人はずっと「はかなさ」と共に
    あったし、今もその感覚を引き継ごうとしている、と言えそうです。

    ならば、日本人は、「はかなさ」をどう捉え、どう付き合ってきた
    のでしょう。そして、「はかなさ」の向こう側には何を見ようとし
    てきたのでしょうか。

    本書はその問いに対する答えを、和歌や能の謡曲、随想や心中物、
    小説などの文学作品の中に探っていきます。

    そこで見出されたのは、儚い世を憂えて来世を夢見る生き方(「夢
    の外へ」)、夢のような儚い一生だからこそ無二無三に、それこそ
    夢中に生きるという生き方(「夢の中へ」)、そして、無常なるが
    ゆえに今ここにある生を有り難きものとして生きる生き方(「夢と
    現のあわいへ」)の三つの「はかなさ」との付き合い方でした。

    「夢の外へ」は中世まで、「夢の中へ」と「夢と現のあわいへ」は
    近世以降と、時代と共に移り変わる趨勢が語られますが、無論、こ
    の三つは、多かれ少なかれどの時代においても見られるもの。世を
    儚んで宗教の絶対的世界に救いを求める人もいれば、「一期は夢」
    と享楽的に生きる人もいる。そのどちらにもならず、流れに身を委
    ねながらも一瞬一瞬を大切に生きる生き方もある。

    愛する人や身近な人の死に直面したり、今回の東北の地震のような
    大きな自然災害に遭ったり、病気や事故に見舞われたりするたびに、
    人の命の儚さとこの世の無常を思い知らされます。それでもなお生
    きていくためには、「はかなさ」の向こう側に何を見るかが、一人
    ひとりに問われてくるということなのでしょう。本書を読んでいる
    と、限りある生をどう生きるべきかを改めて考えさせられます。

    古文からの引用が多く、日本語の美しさや奥深さ、古人の考え方に
    触れられる点でも味わい深い一冊です。是非、読んでみてください。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    あたりまえのことですが、とりわけ生き方ということにおいて人は
    これまで生きてきたものを措いては、決してあたらしいものを創り
    出すことはできないということです。問題は、それを、今に見合っ
    たものとして、どのように賦活、再生しうるかということだろうと
    思います。

    これまでのように世界や社会をうまく「はかる」ことができない、
    前のめりに、意味や目的を求めてきたこれまでの考え方が無効なも
    のに感じられてくる。その意味で「はか―ない」状況が現出してき
    たということです。終わりを危惧する心性とともに、「終わりなき
    日常」を持てあます心性が混在するゆえんです。いずれも、どう今
    を「はか」っていいのかわからないという状況を表しています。

    「はかない」という言葉は、基本的にはネガティブな意味内容をも
    っていますが、しかし同時に、そこにおいてこそ可能であるような、
    何かしらポジティブなものを見いだすことができます。

    問題がこのように普遍的なものであるとすれば、問われるべきは、
    こうしたとらえ方や感じ方が、日本人の精神史において、いかなる
    世界認識や感覚の枠の中で語られてきたのか、とくにその中で日本
    人はそうした思いにどう対処してきたのか、といったことの具体的
    な中身の検討になってくると思います。

    われわれは、たしかに今この世に生きてはいるが、その世界の中だ
    けにいるのではその世界がどういうものであるか、よくわからない。
    (…)その世界が何であるかわかるためには、その世界の外に出て、
    あらためてその世界を見下ろすときに、はじめて、その世界が、あ
    あ、こういうものなんだとわかる、ということです。

    夢は「はかなく覚めし夢」である一方、他方で、もう一度見ないで
    すますことができようかとも期待される、現実にはかなわない「も
    うひとつの現実性」をもった不思議な出来事としても求められてい
    ます。夢は、こうした両義性をもつものとして受けとめられ、生き
    られていたということです。

    「弔う」というのは、「問ふ」こと、「訪ふ」こと、死者を訪れて、
    死者の思いを問うことです。能とは、いうなれば、そうした「とむ
    らい」のための大きな装置ということができるように思います。

    「いっそ」というのは「いっそう(一層)」です。つまり、「どう
    せ」というふうに先取りされた否定的な結論を、さらに「いっそう」
    あばき立て促進させることが「いっそ」ということです。「どうせ」
    駄目になる、ならば「いっそ」壊してやれ、「どうせ」振られる、
    ならば「いっそ」こっちから振ってやれ、といった具合に、です。

    こうした「どうせ」の認識から「いっそ」へ、といった行動様式は、
    現在に至るまで、われわれに広く認められる傾向です。

    もともと武士という存在がおかれていた環境は、殺し、殺されると
    いう世界であって、そこでは、否応ない、明日をも知れぬ無常性が
    きびしくふまえられていた。

    一般的に、武士たちには来世はあまり語られていません。ですから、
    彼らの言う「名」とか「恥」とかいうのは、みなこちら世界での問
    題です。

    この世は夢幻と言いながら、といようり、むしろそう言うがゆえに、
    彼らは自分の命に執着することなく、戦闘者として生き切ることが
    できた、あるいは、死に切ることができたということであります。
    そこにかえって、通常にはない能動性を可能にしている面もあるか
    と思います。

    「つれづれ」というのは一種の空白状況です。暇です。所在なさ、
    手持ち無沙汰、退屈であり、遊びでもあります。兼好が否定してい
    るのは、ある目標・目的を立て、それを待ち向かうという生き方で
    す。それは、何かに対して一生懸命「がんばる」というあり方でも
    あります。「頑張る」という当て字がありますが、それは頑なに張
    ってものが見えなくなった状態のまま突っ走ることであって、兼好
    が批判しているのは、そうした生き方です。

    「つれづれ」というのは、つまりは無目的の状態です。無目的とは、
    見方を変えれば、やりたいことをやるということです。(…)そう
    したあり方においてこそ、“今ここにあること”の「ありがたき不思
    議」を生きることができるわけです。

    「無」を下敷きに、今ここに「有る」生の貴重さや「はかなさ」を
    あらためて感じとるといった、「なし」と「あり」のあわいをそれ
    として肯定しようとする発想ということができるように思います。

    ほんとうに大切な問題は、われわれひとりひとりが、みずからの
    「はかなさ」に、どう向き合い、それをどうふまえて生きうるか、
    です。そこで、どのような「花」を彩れるか、ということだけだろ
    うと思います。その「花」の咲くところがどこであれ、そこが
    「『はかなさ』の向こう側」ということになるはずです。

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    ●[2]編集後記

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    風邪をこじらせた妻が肺炎になり、土曜日、急遽、入院すること
    になりました。妊娠39週目。もうぼちぼちだねえ、なんて言って
    いたところで、まさかの緊急入院でした。

    助産士さんに聞いたら、妊婦は免疫力が落ちるのだそうですね。
    お腹の子を守るために抵抗力が高まって、ちょっとやそっとの感
    染症にはかからないんじゃないかと思っていたのですが、事実は
    その逆。免疫反応が強いと胎児を異物と認識して攻撃してしまう
    ので、胎児を守るべく免疫機能をあえて低下させるのだそうです。

    免疫は自己を守るために生物の必須の機能。新しい命を迎え入れ
    るためにその機能を低下させるなんて、母親というのは何という
    存在なのでしょう。最初から我が子のために自らの命を差し出し
    ているのですから、父親はかなうわけはないですね。

    おかげさまで抗生物質の点滴と吸引がきいて、既に峠は越し、こ
    のまま何もなければ近日中に退院できそうです。お腹の子にも影
    響はないようなので一安心しました。あとは炎症が治まるのと、
    出産に耐えられるよう体力が回復するのを待つのみ。お腹の子が
    いつ出てくるつもりなのかが気になりますが、ここまで来たら万
    事委ねるほかないので、自然体で待つことにしました。

  • 計ると儚い
    計ることができないという意味から,はかないという言葉が生じた.
    それが空しさや無常観にもつながっていき,日本文化におけるわびやさびといった価値観にも繋がっていく.

  • [ 内容 ]
    この世ははかない、人生はむなしい…。
    心の根底に横たわる、この無常感を乗り越えるべく、古くから日本人はさまざまないとなみをなしてきた。
    和歌や随筆、謡曲などをさぐってみると、それらは大きく、「夢の外へ」、「夢の内へ」、「夢と現のあわいへ」の三つに分けられる。
    この世が夢のごときものであるならば…。
    「はかなさ」をめぐる日本人の精神史をたどる。

    [ 目次 ]
    1 現代日本人の無常感(「はかない」気分;「はか‐ない」とは ほか)
    2 「夢の外へ」(「浅き夢みじ」―「いろは歌」の決意;地獄・極楽とは何か―『往生要集』のしかけ ほか)
    3 「夢の内へ」(「妄執」のゆくえ―謡曲の鎮魂;「一期は夢よ ただ狂へ」―『閑吟集』の狂と情 ほか)
    4 「夢と現のあわいへ」(「ありがたき不思議」―『徒然草』の存在理解;「ありてなければ」の美意識・倫理―「幽玄」「やさし」 ほか)
    5 ふたたび、現代日本の無常感(「人間の安心」論―近代日本の「無」の思想;「夢よりも深い覚醒」―見田宗介の「鮮烈ないとおしさへの感覚」 ほか)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ
    有為の奥山今日こえて 浅き夢みじ酔ひもせず

    匂うがごとく花は咲き誇るけれども、すべて散ってしまうものではないか。この我らの世界において、いったい何が、誰が常であろうか。常なるものは何一つない。だから私は無常やこの世を奥山超えていこう。こちら側の浅い夢なんか見ていないで、酔っ払ったなんかいないで

    新井満 自由訳般若心経
    上杉謙信 四十九年一酔の夢、一期の栄華は一杯の酒にしかず、柳は緑にして花は紅

  • はかなさ(生きている現実)=夢について、日本人がどのように向き合ってきたのかを考察した一冊。「死」についてわからないのは古今東西共通のことで、その点から考えればどの時代、どの場所の人間でも共有できる感覚があるのだろうなと思った。蜉蝣のような自身を、そして周りの人間を、それゆえにいとおしむことが人にはできるのかもしれない。

  • 平凡社の本はおもしろい。

    『色は匂えど 散りぬるを

    我が世誰そ 常ならむ

    有為の奥山 今日越へて

    浅き夢見じ 酔いもせず』


    はかなさの根源。

  • 2008/3
    日本思想史を『無常』をキーワードにして解いている。主に、文学作品を元に、夢と現実との関係性を解明することで、はかないという日本独特の感情を読み解いている。

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著者プロフィール

竹内 整一(たけうち・せいいち):1946年長野県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻博士課程中退。東京大学名誉教授。専門は倫理学、日本思想史。日本人の精神の歴史を辿りなおしながら、それが現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。主な著書に、『魂と無常』(春秋社)、『花びらは散る 花は散らない』『日本思想の言葉』(角川選書)、『「やさしさ」と日本人』(ちくま学芸文庫)、『ありてなければ』(角川ソフィア文庫)など。

「2023年 『「おのずから」と「みずから」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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