ネオ階級社会はここから始まった 1974年、見過ごされた転換点 (平凡社新書)
- 平凡社 (2010年9月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582855456
作品紹介・あらすじ
一九七四年は、日本社会の転換点となるべき年であった。一九七三年のオイルショックを乗りこえ、その翌年、日本経済は世界に先駆けてV字回復を遂げたかに見えた。しかし、高度経済成長の記憶から離れられなかった当時の日本人は、「日本型」「日本人独自の」「日本らしく」といったやり方で危機を乗りこえられると思い込み、転機を見過ごしてしまったのだ。いかにして「会社主義」「総中流神話」が崩壊し、ネオ階級社会が広がっていったのかを検証する。
感想・レビュー・書評
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戦後史.タイトルは中身とほとんど,というかまったく関係ない.
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戦後、吉田が秀才官僚を自分の政権にスカウトした。官僚出身の政治家たち、池田、佐藤らが吉田学校と呼ばれ自民党の長期政権への礎を築いた。日本の保守本流を形成した。
日本は戦後も戦前と同じ官僚機構は温存された。
自民党はタカ派の岸の元で、安保改定を強行するや、一転して経済官僚出身の池田を後継者に据え、所得倍増のスローガンを打ち出した。
ニクソンショックの危機を乗り切ったのは田中角栄の日本列島改造論、大規模公共工事、インフレ施策。
日本の指導者の意識の中には戦前、戦後の断絶など存在していなかった。
陸軍大学出身で大本営のエリート軍人官僚だった瀬島が中曽根のブレーンだった。
力道山、長島、王など昭和30年から40年代にかけて活躍をした。
中国共産党も、戦争については、軍国主義者の罪であって、日本人に罪はないと言っている。
福田がもし佐藤路線を継承していたら、日中国交回復は当面望めなかっただろう。田中角栄は金だけで総理になったのではないことがわかる。