ネオ階級社会はここから始まった 1974年、見過ごされた転換点 (平凡社新書)

  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582855456

作品紹介・あらすじ

一九七四年は、日本社会の転換点となるべき年であった。一九七三年のオイルショックを乗りこえ、その翌年、日本経済は世界に先駆けてV字回復を遂げたかに見えた。しかし、高度経済成長の記憶から離れられなかった当時の日本人は、「日本型」「日本人独自の」「日本らしく」といったやり方で危機を乗りこえられると思い込み、転機を見過ごしてしまったのだ。いかにして「会社主義」「総中流神話」が崩壊し、ネオ階級社会が広がっていったのかを検証する。

感想・レビュー・書評

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    ── 林 信吾&葛岡 智恭《ネオ階級社会はここから始まった 1974年、
    見過ごされた転換点 20100916 平凡社新書》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4582855458
     
    …… サブタイトルに惹かれて読んだ新書、オイルショック翌年の1974
    年(この年は個人的にもフシメの年なのですが)の出来事――ニクソン
    大統領、田中角栄首相の辞任、長嶋引退、三菱重工本社ビル他への爆弾
    テロ、内ゲバ、ゼネスト、小野田元陸軍少尉の帰国等々――、なんだか
    ずいぶん盛り沢山な年でしたが、その向こうに明治以来の「日本型」の
    ホコロビがさまざまなレベルで露呈し始めていた、にもかかわらずこの
    転換点でうまく方向転換、軌道修正できなかったのは何故なのか。いさ
    さかあと知恵ッぽくもありますが、いわれてみるとそのとおりでありま
    して、こういう観点からの指摘がこれまでにあまり眼に止まらなかった
    のがむしろ不思議です。
     さらに不思議、というより情けないのは、先にあげた74年の出来事
    いろいろについて、どれも「記憶しているのに記憶にない(!)」、と
    いう今現在の自分の実感ですね。これはありふれた、ただのボケゆえな
    のか、どうか。もし、個人的なボケの問題に終らないのだとしたら、で
    は何の問題なのか? 転換点が見過ごされたのは何故か、ということに
    もなるのだけど・・・。以下続くかもしれない。
    https://ameblo.jp/yohakuya/entry-10690656623.html
     
     ジャスラックは、みずから作詞も作曲もしないが、加盟会員の作品が
    無断転載されると、大威張りで訴訟して、賠償金の一部を横取りする。
     わたしの「1974年問題」
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19740419
     灰社の四日間 ~ 新山老人の殉職と大町新人の自刃 ~
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=197001
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20020226
     わたしの二・二六事件 ~ 大切な人の前なら、禁煙時間が長くなる ~
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9183572.html(20160219)
     
     Hayashi, Shingo ジャーナリスト 1958‥‥ 東京 /作家
    /神奈川大学入学4日目に自主卒業、中退。
    https://ameblo.jp/gojibuji/
     
     Kuzuoka, Tomoyasu
    https://ci.nii.ac.jp/author/DA14370518
     
    (20201213)
     

  • 世間に流布する「常識」を、体裁良くまとめただけ。

    この程度のことも、本で確認しなくてはいけないくらいこの世は「常識」が欠如していると著者たちは見ているようだが、それにしては、事実の羅列のみで、深い洞察も観察もない。これでは簡単に揚げ足を取られてしまうだろう。つまりは、学生のレポートなみということ。字が大きく、ほぼ一文ごとに改行。これでジャーナリストを名乗るとはおこがましい。二人で書くほどの内容なのか?平凡社には猛省を促したい。

  • 日本は明治維新以来、富国強兵の旗の下、日清戦争、日露戦争と勝利し、国際的な列強に連なる事に成功した。その後、太平洋戦争での敗北を経て焼け野原の復興。
    1949年にIMFに加入し、1ドル360円の固定相場となった。1971年8月15日ドルショックが日本を襲う。その1ヶ月前にはニクソンショックがあり、日本の米国に対する感情が変わるきっかけだったのではないだろうか。
    さらに1973年にオイルショックがあり、本来ならばここで所謂日本式システムの見直しをするべきだったが、そのままずるずると続いてしまった。
    1980年代には、パックスジャパーナに盛り上がったが、所詮バブルの夢に終わった。
    1970年代には小野田さん、横井さんの旧日本兵が帰国する大事件があり、忘れかけていた戦争の記憶を呼び戻す事になって、日本人の戦争に対する見方が国内の世論を沸ける状態となった。

  • 戦後史.タイトルは中身とほとんど,というかまったく関係ない.

  • 戦後、吉田が秀才官僚を自分の政権にスカウトした。官僚出身の政治家たち、池田、佐藤らが吉田学校と呼ばれ自民党の長期政権への礎を築いた。日本の保守本流を形成した。
    日本は戦後も戦前と同じ官僚機構は温存された。
    自民党はタカ派の岸の元で、安保改定を強行するや、一転して経済官僚出身の池田を後継者に据え、所得倍増のスローガンを打ち出した。
    ニクソンショックの危機を乗り切ったのは田中角栄の日本列島改造論、大規模公共工事、インフレ施策。
    日本の指導者の意識の中には戦前、戦後の断絶など存在していなかった。
    陸軍大学出身で大本営のエリート軍人官僚だった瀬島が中曽根のブレーンだった。
    力道山、長島、王など昭和30年から40年代にかけて活躍をした。
    中国共産党も、戦争については、軍国主義者の罪であって、日本人に罪はないと言っている。
    福田がもし佐藤路線を継承していたら、日中国交回復は当面望めなかっただろう。田中角栄は金だけで総理になったのではないことがわかる。

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著者プロフィール

1958年、東京生まれ。神奈川大学中退。1983年、英国ロンドンに渡り、現地発行日本語新聞『英国ニュースダイジェスト』の記者となる。日本のメディアにも寄稿を続け、1989年には『地球の歩き方・ロンドン編』の企画と執筆で中心的な役割を果たす。1993年に帰国して以降は、フリーで執筆活動に専念している。英国史・ヨーロッパ史から軍事問題、日本国憲法、サッカーに至るまで、幅広いテーマで執筆している。また、ノンフィクションとフィクション、どちらもこなせる。2013年10月には、作家・ジャーナリスト「林信吾の地球に優しいブログ」http://ameblo.jp/gojibuji/を開設した。

「2015年 『関白・前田慶次郎 ジパング大乱』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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