福島原発の真実 (平凡社新書)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582855944

作品紹介・あらすじ

日々、深刻の度合を深める福島原発事故。洪水のように溢れかえる情報の中で人は一体何を信じたらよいのか。原子炉運転停止、プルサーマル凍結、核燃料税をめぐる攻防…。国が操る「原発全体主義政策」の病根を知り尽くした前知事がそのすべてを告発する。

感想・レビュー・書評

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  •  日本の原発政策が,この元知事の言うとおりに点検され,方向転換し,民主的な手続きを踏むようになっていれば,福島原発の事故は防げたかもしれない…と思いました。
     日本社会に深く浸透している「構造化されたパターナリズム」の行き着いた先の一つが今回の大震災でしょう。今,方向を変えなければ,次の「行き着いた先」に到着してしまいそうです。
     今こそ耳を傾けておきたい内容です。

  • 原発がどうして福島に作られ、そして安全を担保できずに東電の安全神話とごり押しによって進められた過去の政策を振り返ったら、今回の原発事故が起きた理由が起きるべくして起きた事故だと思わされる。

    知事本人が回顧で書かれているので、全てを丸呑みで信じることは難しいかもしれないが、ホームページや書類などの引用を見ると本筋では間違っていないと思われ、東電と経産省の横暴に県知事として立ち向かった事実は、現在のあちらこちらの原発依存知事とは違った県民のことを考えてくれる知事だったと思われ、そういう人が結局排除された福島県は不幸だったと思う。

    しかし、東電はほとんど何も安全に配慮したという事実が内容に思われ、そういった事が今の東電の体質となって今回の信じられないような事故を起こしたのではないかと考えられます。

  • 原子力ムラの欺瞞は今に始まった訳ではない。
    何度も同じようなことが繰り広げられていた。
    それがよく解る本。
    自治体側から見た体験談。

  • 前福島県知事が、エネルギー政策をめぐる国と地方のせめぎあいを当事者の立場で振り返る。前著「知事抹殺」でも触れられていた原発問題に焦点を絞り、震災後に改めて著されたものである。

    国の「結論ありき」で進められる原子力エネルギー政策に、原発立地県として筋が通らないものは飲めないという姿勢をつらぬかんとする著者。データ改ざん、作業のごまかしといった手で体裁だけを整えて政策を推し進めようとする国と東電。震災後の原発事故への対応に向けられた批判は、ずっと以前からなされているものだったことが、改めて本書で示されることになる。

    現地住民の安全、県全体の安心を議論の中心に据える著者は、現職当時から同じスタンスで国と渡り合ってきた。そして最終的に、だれもが理解に苦しむかたちで失脚することとなる。著者への控訴審での判決が、「無罪だけど有罪」というような妙なものに落ち着いているところからも、かなり無理のある逮捕劇だったことが窺える。

    福島県に育った子どもとして、本書に記されているふるさとの安全をめぐる議論を読むにつれ、むなしい、悲しい感情が私の心を支配する。いくら誠実な姿勢を求めても、ごまかしながら、県民の命を脅かしながらエネルギー政策は推し進められてきた。邪魔で邪魔でしょうがなくて、最後は無理やり逮捕までして排除する必要があるほどの知事が表に立っても、この流れは止められなかった。そして、大震災、大事故が起こった。


    もう、結論ありきのエネルギー政策ではいけないと、日本国民のすべてが思っている。著者の言うように、国民的議論が必要だ。情報がいくらでも手に入る時代、ごまかしはきかない。何年かかろうと、安心して住める国を作り、次の世代に残さなければならない。

  • 東日本大震災での原発事故。
    「起こるべくして起きている」というのがよくわかった。
    長きに続く原子力をめぐる、国、東電の対応は考えていたもの以上でした。
    とてもじゃないが、こんなところに頼っていられないですね。

  • 佐藤栄佐久『福島原発の真実』(2011)、
    『知事抹殺ーつくられた福島県汚職事件』(2009)を読む。
    前著は3.11以後、後著は3.11以前の出版である。

    佐藤元福島県知事の事件は奇妙である。
    佐藤は第5期18年目の2006年に
    県発注のダム工事をめぐる汚職事件で司法の追及を受ける。
    県政を混乱させた責任を取り自ら辞職。
    しかし、その後二審判決で
    収賄金ゼロと認定されながら有罪判決を受けている。

    佐藤は県民の圧倒的支持を背景に
    国の原子力行政、道州制導入などに
    是々非々の議論を仕掛けてきた。
    決して原発断固反対の立場ではなかったが、
    国と東電による不透明な行政、運営に警句を発してきた。
    そして検察により逮捕、一審二審での有罪判決である。
    この関連をどう考えるか。

    検察官の定義はこうである。

       刑事事件に際し、公益の代表として被害者に代わって
       被疑者を裁判所に訴え、裁判の執行を監督する。

       (文英堂刊『理解しやすい政治・経済』(p.81)より引用)

    「公益の代表」というのが曲者である。
    どうとでも解釈することができるからだ。
    確かに検察庁が過去の日本の歴史において
    政治家、大企業経営者などの巨悪を暴き
    裁いてきた功績があるのは事実である。
    他方において「公益の代表」である立場を自己拡大し、
    権限を乱用する事件が、例えば昨年の村木厚子裁判]で起きた。

    最高裁判所長官は内閣の指名であり、
    同じく裁判官は内閣の任命である。
    したがって内閣の意図が
    もし「公益の代表」とイコールであると仮定するなら
    最高裁が佐藤栄佐久に対する二審判決をくつがえす可能性は低い。
    原子力行政にせよ、議論は残るが道州制導入にせよ、
    国が推進しようとしている政策であるからだ。

    社会正義とはなにか。
    そして現在の日本の司法制度の持つ欠陥はなにか。
    国家と個人の関係は現代においてどうであるか。
    佐藤の二冊の著書を読み、深く考えさせられることになった。

    (文中敬称略)

  • 栄佐久前知事さん、そりゃ中央から抹殺指令が出る訳だ

    本当にひどい現実
    もっとみんな、考えるべきだよ、この現実・・・

  • 先月読んだ『原発社会からの離脱』で、佐藤栄佐久さんが知事をつとめた頃の福島県、そして福島県職員のあり方に興味をもった。飯田哲也は「中身のある議論をさせるという文化を徹底されていた」と書いていた。

    その佐藤さんが書いた『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』も読んでみたいが、図書館にみあたらないので、先にこの『福島原発の真実』を借りてきた。

    国がすすめてきた原発推進政策に対して、原発立地県の知事としての経験をもとに、県民のいのちをあずかる知事として福島県が真っ当に主張してきたことが書かれている。そして、度重なる事故隠し、データ改竄、それでも力づくでプルサーマルを進めるのだという勢力のことが書かれている。

    2003年4月、プルサーマルを受け入れた自治体に対して、使用済み核燃料に対して拠出する電源三法交付金の額を大きく増やすという「アメ」を出してきた資源エネルギー庁に対して、佐藤さんはこう書く。

    ▼…なりふりかまわぬそのやり方は、私が問題提起した「原発とはもともと危険なもの。そのことを認めた上で、どうしてもエネルギー確保のために必要なら、考えうる最大の安全対策を行い、地元の了解のもと運転をする」という考え方のみじんもない政策である。(pp.185-186)

    この年の4月、福島原発のトラブル隠蔽から、安全点検のために東電のもつ原発17基がすべて運転停止し、まるでこの夏のように、東京発のメディアでは「大停電がくる」とあおられた。佐藤さんは、「首都圏大停電」を盾にとって原発を動かさないと言っているかのように書かれた。

    佐藤さんが、原発再稼働を受け入れるかどうか、福島県民のいのちを守るために設定した条件はふたつ。「事故情報を含む透明性の確保」と「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」、どちらも何度も問いかけ、求め続けてきたことだった。

    しかし、福島県はなんども、なんども裏切られる。そもそも、原発をめぐる「ガバナンス」が異様なのだった。

    ▼…東電や原子力関係者は原発の専門家であり、一番詳しいわけだが、原発が異常を検知して自動停止したり、警報が鳴りっぱなしになっても「わからないけどまあいいや」と運転を続け、トラブルが深刻になったとしても地元や県は放っておいて、東電本店に連絡すればよい。東電は、監督官庁である通産省に報告すればそれでよいというのが、原発をめぐる「ガバナンス」なのだった。これでは地元はたまったものではない。
     さらに、東電には、「念のため、止めて点検してみよう」というフェールセーフの思想がないということがわかった。専門官を信頼できない。ということは、地元は常に危険にさらされているということだ。(p.28)

    これは1988年暮れからトラブルが三度も起こっていたのに、原子炉は三度目の警報を受けて(それも6時間も警報鳴りっぱなしで運転したあげくに)やっと停止されたという事故の際に、知事になったばかりの佐藤さんが痛感したことだ。

    原発を稼働すれば「使用済み核燃料」がどんどんたまる。とりわけ毒性が高く、核兵器にも転用できるプルトニウムがやっかいだ。原発が「トイレのないマンション」と言われるのは、その使用済み核燃料の処理も最終処分地も決まらないまま、原発を稼働してきたからだ。しかも、国際的に「余分なプルトニウムは持たない」と公約している日本。

    使用済み核燃料の再処理でとりだしたプルトニウムを通常のウラン燃料にまぜて、通常の原発で燃やすというプルサーマルは、この「プルトニウムをどないかせなあかん」ところから推進されてきた。

    だが、東電や経産省ともやりあってきた中で、「プルサーマルは本当に必要なのだろうか?」という疑問が佐藤さんの胸にはうまれていた。

    最初に結論ありきで、つまりプルサーマルをやることが前提で住民理解がどうのとか安全性がどうのと検討するのではなくて、プルサーマルについて「白紙」から検討を始めるという福島県エネルギー政策検討会が設置された。10年前、2001年のことだ。この検討会の「中間とりまとめ」が、飯田哲也が全国民が読んだほうがいいと言った「電源立地県 福島からの問いかけ あなたはどう考えますか?~日本のエネルギー政策~(http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/energy_021200torimatome_book.pdf)」(pdf)である。

    なぜ検討会を設置するに至ったか、中間とりまとめの冒頭にはこう書かれている。

    ▼…このように国策として一旦決めた方針は、国民や立地地域の住民の意向がどうあれ、国家的な見地から一切変えないとする一方で、自らの都合により、いとも簡単に計画を変更するといった、国や事業者のブルドーザーが突進するような進め方は、本県のような電源地域にとって、地域の存在を左右するほどの大きな影響を与えかねないものです。こうした動きに左右されず、地域の自立的な発展を図っていくためには、電源立地県の立場で、エネルギー政策全般について検討し、確固たる考えのもとに対処していく必要があると考え、エネルギー政策検討会を設置いたしました。(中間とりまとめ、p.4)

    その検討のあらましが、国の見解と並べるかたちで、『福島原発の真実』の中盤以降で紹介されている。

    議論を重ね、真摯な検討をしてきた福島県には、原発関係者(その多くは何次にもわたる下請けの労働者や技術者)から、内部告発が続々と寄せられるようになった。その一部が紹介されているが、こんな状態で、外には「安全です」と繰り返しながら原発は稼働してきたのかとぞくぞくした。

    「必要だから、正しい。安全だ」という日本社会の至るところにある嘘と欺瞞はメルトダウンしたのだ、と佐藤さんは書いている。それは佐藤さんが陥れられた汚職事件の取り調べにあたった検察にも言える。「目的」をもって動き、決めたストーリーに当てはまらない証拠は隠したり改竄したりし、自分たちに都合よく書いた「シナリオ」通りに突き進む。

    原発だけではないし、検察だけではないのだと、つくづく思った。

    (10/3了)

  • 東電、官庁に対峙してきた、福島県知事にしか書けない本。びっくりするような事だらけの内容。東京で暮らす私は、読んでよかった。「原子力の安心は、サイエンスではない」は、心に残りました。

  • 佐藤栄佐久福島県前知事から見た原子力政策の実態。
    今まで読んだ原発本は科学者、ジャーナリストの本ばかりで、政策の最前線からの視点は新鮮。そこには科学や報道のものとは違った、生々しい現場の空気を感じることができる。

    東電、経産省がなにをやってきたのか、なにをやらなかったのかを詳細に伝えているわけで、こういうのは双方の話を聞かないと公正ではないんだけど、だからといって現状、ジャッジ先送りイコールなにもジャッジしないということだから、向こうの言い分はあるだろうけど、書いてあることにウソはないだろうというスタンスで読むほかはない。

    そうすると、東電、経産省、エネ庁といった組織がどういうものかがわかってくる。やらせなんて平気でするし、知事を失脚させるような陰謀シナリオくらいも書くかもね。

    この本の出だしで原発とは関係ないんだけど、地方自治体の官官接待が問題化したときのエピソードが書いてある。
    カラ出張などの不正会計処理などは論外だけど、接待そのものは、私腹を肥やすためではなく県のためにやった、正しいことをしていたと信じていた、という意見もあったらしいんだね。

    わからなくはないけど、それは違うだろうと思った。
    そのとき知事は、
    「善悪分かたざるを患う」
    つまり「為政者は、善悪の区別がつかないのが一番悪いことである」として、悪いことは悪いんだと厳しい処分を実施したんだね。
    あぁ、この人は正しいなと思った。
    原発に対しても、安全と民主主義のルールを第一義として、一貫してこのスタンスを取っただけのことだ。
    そうすると、なぜか推進者側と対立してしまう。
    なぜだろう? 言わずもがなだろう。

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著者プロフィール

1939年福島県郡山市生まれ。福島県立安積高校、東京大学法学部卒業後、日本青年会議所での活動を経て、1983年に参議院議員選挙で初当選、87年、大蔵政務次官。88年、福島県知事選挙に出馬し、当選を果たす。東京一極集中に異議を唱え、原発問題、道州制などに関して政府の方針と真っ向から対立、 「闘う知事」として名を馳せ、県内で圧倒的支持を得た。第5期18年目の2006年9月、県発注のダム工事をめぐる検察の捜査で嫌疑を受け、知事辞職、その 後逮捕される。現在、上告審で審理中。著書に『福島原発の真実 』『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』など。

「2012年 『原発と建築家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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