文学に描かれた「橋」 詩歌・小説・絵画を読む (922) (平凡社新書)
- 平凡社 (2019年9月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582859225
作品紹介・あらすじ
文学に描かれる「橋」とは、渡るためのものではなく、人々の心を捉えるために存在するものである。小説の舞台として橋を巧みに利用することで、橋を渡る兵士たちの軍靴の足音が戦争の恐怖を伝え、橋が過去と現在をつなぐ役割を果たすことで、過ぎし日と、いまを見つめる登場人物の心の葛藤が深く投影される。
「橋」の世界が両岸を分けつなぐとき、文学はいきいきと動き出す。
感想・レビュー・書評
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そこに橋が登場する意味、橋の表す心情や状況をひろい集めたおもしろい一冊。
現実に自分が渡るときは9割くらい「いい眺めだなー」で終わってしまうけど、文学においてはそんな単純な話ではないのだ。
隅田川の新大橋は芭蕉がその工事を見ながら句に詠み、広重が絵に描き、それをゴッホが模写している。ランボーらが表現したのは、日常の風景に溶け込んだ美しいパリの橋。近松門左衛門の「名残の橋尽し」は橋の名を次々と挙げて心中しようとする男女の心と重ね合わせている。
また、戦争のさなかの橋、彼岸との境界としての橋。さまざまな考察が現れて興味深く読んだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
橋という素材を中心に古典から現代文学、その中には海外の文学を含む作品を見渡したエッセイである。橋は異郷との境界にあり、それを結ぶ施設である。だから、そこを渡るときに起きる緊張感とか、逆に脱力感といったものは文学の素材になりやすい。
本書は筆者の読書歴に基づき、文学の中で橋がどのように捉えられているのかを綴ったものであり、本書自体も筆者の橋に対する概念を綴ったもので、読者にとっては重層的に橋とは何かを考えさせるようになっている。
私は橋が人工的な越境手段であることに以前から興味を持っていた。橋を架けるということは異郷に向かう努力と願望の象徴であり、架橋によって果たされる利益もあれば、逆に不利益もある。経済的な方面だけではなく、精神的な面にしてもこのことは大きい。
私にとって橋を渡るとはどういうことなのだろう。それを考え直させてくれた。電車や車で通過していると分からない何かがある。少々遠回りでも橋を渡って歩く経験を積まなくてはなるまい。