知らずに他人を傷つける人たち (ベスト新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584121351

作品紹介・あらすじ

新種のハラスメントがやってきた。職場や家庭でのいじめや嫌がらせを表すことばとして新たに登場したのが、モラル・ハラスメント(モラハラ)だ。加害者は、言葉や態度によって巧妙に相手を傷つけることによって、相手を支配し、隷属させようとする。被害者は気づかないうちに相手の術中に陥り、「悪いのは自分のほう」という意識にまでなるという。職場においてモラハラがはびこると、社員のメンタル・ヘルスに悪影響を及ぼし、企業の生産性が低下するのはいうまでもない。モラハラは病気なのか、モラハラをなくすにはどうしたらいいか。また、モラハラをしないようにするには何に気をつけるべきか。

感想・レビュー・書評

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  • 「モラル・ハラスメント」の定義が曖昧な気がする。全ての嫌がらせを「モラル・ハラスメント」としているようで、それならわざわざ「モラル」なんてつけなくてもいいじゃないか、と。■家庭におけるモラハラは具体的に記述されておりわかりやすいが、職場におけるモラハラは極端な事例があるものの、極端すぎてモラハラというより只の問題社員であり、周りからみたら普通だけど、という家庭内モラハラのような特有の難しさが感じられない。これでは問題意識も起きないし、自分の職場にも・・・なんて考えられないのではないだろうか。■著者は診療室から見たものについて、もうちょっと現実社会を歩き回る必要があると思う。

  • 決めつける人、最低ですよね。
    これさえ気をつけて、誠心誠意話せば
    コミュニケーション苦手な人でも上手くいくのにねーー
    モラハラ、結構まわりに居てるなーーって思いました。

  • モラハラ加害者の特徴、被害にあった時の対策など、とても分かりやすく書かれている。モラハラについての深い理解が広まれば、加害者が減り、被害者を救える。モラハラは加害者も被害者も当事者は気づきにくく、当事者同士での解決は不可能なので、周囲の助力が不可欠。たくさんの人に読んでほしい一冊。

  • 職場の「読書のすすめ」にて。
    気を付けます!

  • 1. はじめに

    最近家族と夕食をしていると時に話題にあがったこと、それが「モラハラ」についてです。モラル・ハラスメント。

    ハラスメントとは大辞泉によると、嫌がらせ。いじめ。と説明されています。

    私がこの言葉を聞くようになったのは会社勤めをするようになったあたりからでした。したがって、ここ20年くらいの間に世の中に広まった言葉と私は認識しています。

    ・セクシャルハラスメント
    ・アカデミックハラスメント
    ・アルコールハラスメント
    ・マタニティハラスメント
    ・パワーハラスメント

    等耳にします。最近では内定を出した企業がその学生たちの就職活動を早く終わらせるよう圧力をかけることをオワハラなどと呼んでいるようです。

    モラハラの正体
    モラハラの交わし方
    自分がモラハラをしないようにするために
    モラハラ時代をどう生きるか

    そのような事が知りたくて本を手に取りました。

    2. 例)モラハラ人格

    モラハラ人格と聞いて、パっと特定の人物が思い浮かぶかもわかりませんが、本の中で著者は次のようなタイプを挙げています。

    (引用)P47
    ・自分自身は質的に他者より優れていると感じている。
    ・他者を貶めることで、この優越性を維持し補強する。
    ・自分自身は特別な存在と考えているので、他者の権利や欲求に関心がない。
    ・他者を上手く利用すること、周りがどれだけ自分に貢献してくれるのかだけを基準に考えている。
    ・部下にはハイレベルな達成を要求するが、その達成に必要な支援などはほとんどしない。
    ・自分の行為が問題であるとは認識しない。また、よしんば認識したとしても、その行為が他人に対してどんなに有害なインパクトを与えるかについては、ほとんど関心を示さない。
    ・同僚や部下には威張り散らすのに、上司の前では急にこびへつらう。
    ・しかし、上司が去った後はけなす。自分の味方になってくれる上司だけを偶像化する。
    ・ほんの少数の部下だけを信頼し、忠誠心を持ち続けてもらうために彼らのニーズを満たし、その変わりに完全なる献身を要求する。

    特定の人物を思い浮かべて、「あ~、あるある~」などと思われたかもわかりません。

    3. モラハラの原因は・・・?

    自己愛です。歪んだ自己愛、肥大化した自己愛。自己愛を傷つくことを避けるあまり、ハラスメントに転じる。

    自己愛が原因となっている問題はモラハラだけにとどまらず、「新型うつ」「ストーカー」も根っこは同じであろうと私は見ています。

    自己愛が障害レベルまで及んでいるかどうかを判断する基準として次の項目の5つ以上を満たすかどうかというものがあります。5つ以上満たせば自己愛性人格障害と判断されます。※よく調べていませんがこの判断基準はDSMだと思います。

    ・自己の重要性に関する誇大な感覚
    ・限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
    ・自分が特別であり、他の特別なまたは地位の高い人達にしか理解されない、または関係があるべきだ、と信じていいる。
    ・過剰な賞賛を求める。
    ・特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
    ・対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
    ・共感の欠如 他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
    ・しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
    ・尊大で傲慢な行動 または態度。

    貴方が思い浮かべたその相手は上記5つ以上に該当していますか。

    私なりの考えを述べたいと思います。

    ・自己の重要性に関する誇大な感覚
    >自己は当然に重要だが、自己の相手である他者もやはり重要であり、その他者も自身を重要と思っている。

    ・限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
    >成功、権力、才気、美しさの価値基準は人それぞれであり、人生にはそれぞれの勝ち方があるものだ。

    ・自分が特別であり、他の特別なまたは地位の高い人達にしか理解されない、または関係があるべきだ、と信じていいる。
    >自分が特別であり、また他者も特別であり、特別同士が理解するために、共通のステージに立つことを努力しなければならない、そのための方法を学ばなければならない。それを人生と言う。

    ・過剰な賞賛を求める。
    >過剰な賞賛を求めるのは当然である。しかしその場合、他者も過剰な賞賛を求めているかもしれない。

    ・特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
    >とかく人は特別な取り計らいを期待する。特別さが強いほど快感であるためだ。しかし、当然のようにそれを要求すればするほど、他者も自分に要求してくる。

    ・対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
    >相手を不当に利用すれば、自分も不当に利用される。

    ・共感の欠如 他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
    >相手の要求に答えず、自分の要求ばかりに応えさせるという一方的な関係からは何も生まれない。人間は社会的な生き物であることからは逃れらないので、共感・共有・双方向を抜きにした観点から考えるならば、それは人間とは言えないことになる。

    ・しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
    >嫉妬したところで、されたところで、それが妄想であろうが、現実であろうが、日が昇って日が沈むことと関係がない。

    ・尊大で傲慢な行動 または態度。
    >時に尊大な行動をし、また相手にされ、それを反省し、そういったことを繰り返しながら人は一生を終えるものだ。

    4. ”どこで”モラハラが起こるか

    P142に慈善団体はモラハラの温床という話があります。(引用)モラハラは利益や効率を再優先にするベンチャー企業では起きにくいと指摘している。結果がすべて、のこの種の企業では、自己愛が絡んだ理不尽な人間関係など生じる余地もないし、万が一、そういった事態になっても、新興のIT企業や金融関係企業で働く人は気軽に転職することにも抵抗がないからだ。(引用終わり)

    ただ、私は個人的にそうは思いません。あまり、利益優先どうこうは関係せずまた、気軽に転職など出来ないために起こっている問題があまりに多いと新聞を読んでいて感じるからです。

    一方で、慈善団体はモラハラの温床というのは少しあるように思えます。著者が挙げているのは公園の”ママ友”関係です。

    公園のママ友関係には上下関係ないため、一般に見られるような上司と部下とのモラハラの関係性など起こりえないはずです。ただし、利害関係がないからこそやっかいなモラハラに発展し、まただからこそたちが悪いのではないかという印象を持ちます。

    今のところこの部分には特定の根拠を示すことが私には出来ないので次の課題へ持ち越します。

    5. モラハラ加害者にならないためにはコミュニケーション・スキルを磨くべし

    モラハラ加害者にならないためには”丁寧なコミュニケーション”を心がけるようにと著者は提案しています。P175~

    そもそもコミュニケーションは「言うが三割、聞くが七割」という程、相手のいいたいことを聞いて理解することで成立していると指摘しています。

    P176(引用)
    「コミュニケーション・スキルを身につける」というと、はっきりと自分の意思を主張することだ、と思っている人もいるが、これは大きな誤解だ。声高に自分の意見を言うことなど、とくに練習しなくても誰にだってできる。それよりも大切なのは、「この人はいまどういう気持で何を言おうとしているのか?」と最新の注意を払い、それを配慮しながら自分の次の意見を決め、ときには柔軟に変える、ということだ。(引用終わり)

    6. まとめ

    最近の私が知りたいテーマの一つに「自己愛の取り扱い問題」があります。今回の本にも自己愛の問題は大きく関係します。

    しばらくは飽くなき自己愛探求が続くことでしょう。

  • モラル低下は今後益々増加していくと感じて仕方が無い。対人関係をうまく築くことが出来ない傾向があり、日本人が考えるべき問題を提示してくれた。

  • 身近な人の話を無視したり、頭ごなしに否定してしまう。人格を否定していく。言われた被害者は大きく絶望し、生きる気力をなくしていく。職場や家庭で、誰にでもやってしまいそうな行為を、モラスハラスメントと定義して反省を促す書。

    この本は基本的に被害者が女性、加害者が男性として話を進めているので、男性が読むと不愉快に思う向きがあるかもしれないが。実際、自分が知っている例でもこのモラハラに近いのは男性が多い。
    当のモラハラ加害者本人が精神科を受診することはないのだから、被害は拡大する、周囲が疲弊する一方。それを防ぎたくて、この書を出したのだろう。(しかし、やはり加害者が読むとは思えないが)

    モラハラになりやすい人の特徴として、自尊感情が根強く賞賛を求めたがる、他者は自分が利用するために存在していると思いこむ、嫉妬心が強く横暴、共感が欠如している、などが挙げられる。

    しかし、肝心の対処法としては、加害者にならないためにコミュニケーション力を磨きましょう、というだけでいささかもの足りない。

    他人を変えるのは大変、自分から変わろう、という自己啓発本が多いけれど、この手の自己愛性人格障害者に付き合わないためには、離れるか、この手の人間に権力を与えないようにすべきだが難しいのだろうな。だって、この類のビジネス本を書いているような作家のほとんどが、自己顕示欲が強く、この病だと思うので。

  •  ○×ハラスメントと呼ばれるものが増えてきました。今までのものは、どういう関係において起きるのか、比較的わかりやすいものが多かったと思います。(例えば、セクハラなら男女間で、パワハラなら上司と部下でというように。)この場合、加害者にならないように、自分なりに気をつけることが可能でした。

     この本で紹介されているモラルハラスメントは、本のタイトルにあるように「知らずに他人を傷つける」というところが大きな特徴です。知らずにということは、自分なりに気をつけることが難しいということです。そういう意味で、この本を読んで、予備知識をもっておくことは大切だと思います。

     モラハラ、モラル・ハラスメントという考え方は、フランスの女性精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌの著書が翻訳されて、日本でも知られるようになったそうです。ただ、この香山さんの本が素晴らしいのは、単に外国の考え方をそのまま持ってくるのではなく、日本の社会に合うように、再定義を試みているところです。国によって文化や風習が違う以上、必ずしも同じ行動が問題になるとは限らないわけで、お国柄を考慮するのは大切だと思います。

     香山さんが実際に相談を受けたケースが、この本の中でいくつも紹介されています。これを読むと、モラハラというものがどういうものか、自然と理解できるはずです。同時に、いかに身の回りにモラハラが多いか驚くかもしれません。

     さて、解決策、回避策はないのでしょうか。詳しくはこの本を読んでいただければと思いますが、やはり、相手の気持ちを思い遣ることが大切なんでしょうね。いつも側にいる相手には、ついぞんざいに接してしまいがちですが、それではいけないなと反省することしきりです。また、そう気づけるうちは、モラハラまでは行ってないと言えそうです。少し安心しました。

  • モラル・ハラスメントをいうものを恥ずかしながら初めて知った。大人のいじめ。自己愛がいびつに。

  • 精神科医・香山リカ先生による、モラル・ハラスメントの定義や実態、対処法などをわかりやすくまとめてくれている入門書的な本。モラル・ハラスメントという言葉自体、家庭や職場、学校、あるいは市民団体や趣味のサークルに至るまで、2人以上の人間の集う場所であれば、どこででも発生する、きわめて広い範囲で用いられる言葉なので、その具体例も多岐にわたっていて、共感できる事例のひとつやふたつは見つけられるのではないか。

    人格障害についてや、あるいはハラスメントの定義については、それほど目を見張るものではない。が、興味深かったのは、欧米だと、オレ様系モラハラがやたら多いのに対して、日本だと、劣等感からくるモラハラ、つまり、他人の立ち位置を下げて相対的に自分の立ち位置を上げようとする、そういうモラハラが多い、という部分。同じ精神科医の岡田尊司先生の著書で、自己愛性人格障害とは、自己愛が不当に損なわれたので、反動としてオレ様化するケースもある、というようなものは読み取れていたのですが、なるほど、オレを崇めろ奉れ、という路線に自己愛への渇望が発揮される場合もあれば、そこまで深刻に自己愛の問題を抱えているわけではないけれど、たしかに自己愛の問題がそこにはある、という場合には、日本だと、足の引っ張り合いへと発展することもあるのですね。軽微なものだと、「おまえテスト勉強した?」「ぜんぜんしてなーい、おまえは?」というような、教室のいたるところでよく耳にする一連の会話も、自己愛的な会話なのかもしれません。

    また、日本女性によく見られる、同質の人間ばかりの集まったグループで、なぜかいじめのような現象が起きることについても、「違いが少なければ少ないほど、その標的にされやすい」という分析がなされていました。香山先生の分析はここまでなのですが、これ、おそらく、差異が小さければ小さいほど=条件が同じであれば同じであるほど、結果も同じでなければならないのに、結果は異なっている、つまり、その他の条件はぜんぶ同じなのに、なぜかある人にはよい結果がまっていて、なぜかある人にはわるい結果が待っていた、その理由を見つけようとしても、見つけられないから、差異が少なければ少ないほど、いじめ的なものがヒートアップしている、と考えられるのではないでしょうか。条件はほぼ同じ、なのに結果が違う、その理由を求めてもはっきりと求めることができない、理由がわからない、つまり理不尽なのですね。この理不尽を消化しきれないから、条件が同じであればあるほど、モラハラが激化する。どんな些細な違いであっても、それこそが原因に違いないと、そしてそれは、自らには与えられなかったのに、不当に相手に与えられた、理不尽な好条件で、だからこその、理不尽な結果の差異なのだと、そういうことなのでしょう。別に日本女性に限ったケースではないと思いますが、日本で顕著に見られやすいのも納得がいきます。平均化・画一化することによって不平不満を黙殺したがる日本では起こりやすいはずです。

    しかし、モラハラ野郎には理解を示さずとにかく離れろ、という対処法には賛成しかねます(相手を理解して、そのうえで離れることも可能だと思うのです。たとえば、度重なる夫の浮気と借金地獄から性格がいびつになって、だから母は私に虐待を繰り返していたんだ、とその事実を認識し、母の心情も理解したうえで、それでも自分の人生をつぶされたくないからと、家を出ていく、老後にほんとうに困ったときにだけ、少しだけ援助をしてあげる、そういう生き方だって可能だと思うのです)。ただ、去ることも方法のひとつだと、多くのモラハラ被害者に伝えるのも大事なことだと思います。それをするうえで、なにより大事だと思うのが、自立後の具体例。果たして自立後にそのひとは幸せになれたのか、なれなかったのか。このあたりの情報がほしいのに、ない。このあたりの情報の書かれている本は、少ない。幸せか不幸せか、もちろんそんなものは主観でしかわからないことで、診療に訪れるのは、多くの場合、困り果てている人だということも考えると、そこまでの記述を求めるほうが求めすぎとは思いますが、やはり知りたいのはそこですよね。虐待は繰り返すといいます。自分の育ってきた同じ環境を、そこに再現してしまう、これまでに培った自己イメージをまた再現して安定を得ようとする、理不尽さが常であったならば、また理不尽さを求めてしまう、そういうふうな性格傾向をもってしまった人たちならば、自立後も、また似たような相手と出会って、同じ境遇に陥っている可能性もあるわけです。

    もちろん、精神科医の指し示す、自立した個人が自立した集団の中で自立して生きていく、そのような価値観が絶対でもありません。どっぷりとはまり込んで逃れられない人生を、映画や小説、ときにノンフィクション作品のなかでもたくさん見ますし、それに共感する人々のなんと多いことか。そこから逃れたい、苦しいと思っている人もいれば、苦しくてもそこにいたい人もいるでしょう。なんでもかんでも、特定の価値観から断罪してしまうのはよくなく、そこにハラスメント系の法整備の問題もあると思います。健全な人間像、健全な人間関係像、健全な社会像、にあまり毒されすぎず、かといってどっぷりと理不尽な不幸の中につかりきることもない、人生の終わりに、満足していたなあと思える、そんな人生を歩むためのひとつのヒントとして、本書を活用すればよいでしょう。

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著者プロフィール

たくましいリベラルとして、右傾化する政治状況から現代社会の病理まで、メスをふるう行動派知識人。1960年生まれ。精神科医。立教大学現代心理学部教授。『若者の法則』『ぷちナショナリズム症候群 若者たちのニッポン主義』『生きてるだけでいいんです。』『弱者はもう救われないのか』『「悩み」の正体』『リベラルじゃダメですか?』ほか、著書多数。

「2017年 『憲法の裏側 明日の日本は……』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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