神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書 395)

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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584123959

感想・レビュー・書評

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  • このタイトルを見たとき「ほんとにそれ疑問」と思いました。進学した学校がたまたま神道系だったこともあり(知らずに進学)、神道や国学については多少知識がありましたが。
    神仏習合やまた分離そのものについてやどうしてそんなことが起きたのかなどという歴史や時代背景的なことについては全く知識がありませんでした。また、ずっとという程ではないにしても折々疑問を感じていたこともあり興味を持って本書を手に取りました。

    メインの考え方として本書の中では神道は「ない宗教」という定義がなされそれを軸にしたかのような章立てで進められていきます。
    この「ある宗教」「ない宗教」という考え方が自分にはとてもわかり易く感じられました。
    納得感があるといいますか。
    なぜ「ない宗教」と言えるのかということを「ある宗教」代表(?)のような仏教と対比したり時代の流れとともに考察したりイスラムやキリストなどの宗教も引き合いしながら順々話が展開していきます。そのたびに「確かにないわ」と思わさせられました。
    神道は宗教ではなく祭祀であるのでは、と本書の中にもでてきますが、そう考えたら初詣や七五三を神社でしてる人がキリスト教式で結婚式を上げ葬式を仏式でやったりお盆や墓参りでお経をいただくのもちょっと納得でした。(私は、ですが。万人の納得感は難しいでしょう)キリスト教を信仰している人には全くなんの納得も得られず逆に不可解が募るかもしれません。(そもそもキリスト教徒は本書を手に取らないでしょうね)
    第10章に出てくる出雲国造の話は衝撃でした。現代においてもそんな風に生きてる日本人が居られるとは…。決められた火を使って自分で料理して自分だけでそれを食すはまだしも、喪に服さず?水葬される?すごい。その池にはそうすると代々の国造の…とか色々想像してしまいました。

    各章が適度な長さで読みやすく興味のある人には面白い一冊だと思います。
    これだけわかりやすいのは著者が様々な宗教について造詣が深い宗教学者であるからでしょう。

  • 神道はいろんなものが「ない」宗教だったから、「ある」宗教である仏教と習合することも出来てしまった。仏教側に「ある」から、神道はそのまま「なし」でOKだった、と。神仏習合から神道が仏教とわけられたとき、選べずに無宗教になった、といっているけれど、でもきっと多くの日本人は、神道なんだと僕は思う。創造神は何もせずどこかに行ってしまうし開祖はいない、教義はない、そして信じるものが救われるわけでもない。おおなんと日本的であることか。宗教の本というよりも、日本人の拠り所がなぜゆらゆらのかが確認できる本(褒めてますよ)。

  • 「ない」がある
    何もないからこそ
    そこにある
    「ない」からこそ
    変わっていける
    「ない」からこそ
    変わらないでいられる

  • 神道には開祖も宗祖も教義もなく、もとは神殿もなく、岩陰で祭祀を執り行い、火が好きで、神々はいるけど天地創造はしてなくて(天地創造後の高天原から出てきた)という「ない宗教」。だから「ある宗教」である仏教とカニバらず、神仏習合がなし得た。神主は坊主と違って専門じゃないし、そもそも救済とかない。もはや宗教かどうかも怪しい。だから明治政府に天皇と合わせ利用された。
    あれだな、心の所作ってやつだな。

  • 大きめの文字で文章も読みやすく、神道への理解が深まりました。

  • タイトルの質問に対する回答は書いてない。
    神道は「ない宗教」だということが繰り返し書いてある。
    教祖がいない、教えがない、布教しないという「ない宗教」であることが、仏教やキリスト教やイスラム教と比べたときの神道の特徴だというが、ユダヤ教やギリシャ神話との比較はしないというご都合主義。その他、祖先や世界の始まりを教える主教は世界各地にあると思われるが、それには一切触れない。浅い本である。

  • 神道というのは宗教なのか? 寺にも神社にも初詣に行くのはなぜか? なんとなく日本人と神道との関係に疑問があり、島田裕巳ならわかりやすく解説してくれるだろうと思って手に取った。神仏習合がなぜうまくいったのか。島田は「ある宗教」としての仏教にちょうどよかった「ない宗教」という神道という読み解きを本書で示す。仏教と違い、神道は本来、下々の生活には踏み込まなかった。祭りや儀礼の執行者にすぎなかったし、神社はあれど神主はいないということも普通だった。神は人々のなかになく、山や神社といった空間に存在するものだった。それが戦後国家神道としての役割を失ってあらたに都市に出てきた人間の冠婚葬祭を司るようになっていく。神道というのは「昔からかわらない」顔をしているが、時代とともに変化を重ねてきているものだという理解を得た。

  • 知っているつもりで知らなかった神道のことを分かりやすく勉強できた。
    他の宗教にはあって普通のものが神道にはことごとくない。
    逆に、そんな神道を知ることで宗教の本質の理解に繋がるのではないだろうか。

  • 神道とは「ない」宗教である。
    神道にとって祭祀とは何もない空間を作り出し、そこに神を封じ込める事で営まれるものである。神社にとって重要な事は神が鎮座していることであり「神の為の場所」なのである。
    対して仏教は「ある宗教」である。仏教から様々な要素を取り入れることによって神道は体系化を進められることが出来た。しかも、全面的に取り入れていく必要も無かった。神道にないものを取り入れていけばよかったのである。

    古今東西、宗教とは救済を求めるものである。神道における神は願いを捧げる人々の思いを受け止めてくれるだけで、積極的に救ってくれるわけではない。滝に打たれるなどの行為もあるが修行というより重要なのは身を清めることで、俗世の垢を取り除き神に相対する事である。

    著者は神道は救いというモノを与えてくれない事で、私たちに何かを教えてくれる。救いを求めるのは過度の欲望を抱く結果かもしれないと説く。

    神道は「ない宗教」なので意識にも上らない。これが日本人が無宗教と誤認してしまう所以ではないだろうか。

  • 【要約】


    【ノート】

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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