「悟り」は開けない (ベスト新書)

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  • ベストセラーズ
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584125588

作品紹介・あらすじ

「坐禅」をする本当の理由とは?"ブッダの教え"その本質がわかる!恐山・院代が語るアウトサイダー仏教論。

感想・レビュー・書評

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  • 大人になると、悩みがだんだん少なくなると思っていました。
    知識や経験が身に付き、自分が抱えている悩みが解決すると思っていました。
    しかし、現実はそうではなく、常に沸き起こる問題、
    そして悩みで潰されそうになる。一体どうすればいいんだろうか?

    著者のアプローチは、自分が抱える問題の「答え」を「真理」として知ることではなく、
    問題を「解決」する上での「方法」として、なんと、、、仏教に賭けた。
    つまり、覚悟を決めて、「よし、(自分の問題解決として)仏教でやるしかない」と決意して
    実行した(ただし、実行(出家)は、周囲との軋轢も反対も生む・それでも、解決したいという
    強い思いが、著者にはあった)。

    この考え方は、宗教に絶対的な「真理」や「救い」を求める大多数の人とは、考え方の根本のベクトルが違う。
    仏教はあくまで、ツールであると著者は自分で判断した。
    著者のこの考え方は、相当、個人が抱える問題を理解する上でも、解決する上でも、応用可能だと思う。
    多くの人は、そこまで、問題に対して、真摯に考えもしないし
    、その問題を理解したり、解決する上でのツールを探すこともしない。
    ただただ、悩むだけである。悩んでも、時間が過ぎるだけで、解決することは、決してない。

    どんな宗教だろうと、学問だろうと、知識それ自体は、自分の救いにはならない(と思う)。
    自分がそれらを「学び」、「どう考える」か、その能動的な態度が重要になる。
    仮に、出家しても、その行為自体が、問題の解決にはならない。
    著者の態度を別の言葉でいえば、強烈な問題意識を持っているになる。
    著者の問題意識は、非常に参考になる。
    裏を返せば、問題意識があれば、何とかなると思える。
    皮肉だが、強烈かつ深い問題意識は、悩みの深さやかけた時間に比例する、

    著者の言葉でいうと、真理だろうと何だろうと結構だが、それは自分の問題の解決に使えるのか?
    それこそ重要だった。

    どんな知識だろうと、それ自体は、何も意味がない。自分で使えるモノに解釈し、加工しなければならない。
    なんて、覚悟を持っている人なんだろうと思う。

    私は、「自分ができないと思っていることを、どうすれば、できるようにすればよいか。
    果たして、できないことは、できるようになるのか?」という悩みを抱えていた。
    この「くだらない悩み」のスパイラルに陥っていた。

    そのスパイラルの時、「どうすれば、できるようになるか?」を考えるだけで、肝心の具体的な「できないこと」に関するアプローチは、していなかった。時間ばかりが経ち、それでも、できないのは、なぜか、なぜかと考えていた。これは、笑い話しのようだが、本人は、真剣に悩んでいた。しかし、いくら悩んでもできるようには決してならない。

    やるしかない。自分の今ある能力で、できるようになると確信できるまで、やるしかない。友人にいくら、できるようになるには、どうすれば、いいかなと、アドバイスをもらっても意味がない。なぜなら、やるのは、本人だからだ。
    自分の問題と、友人他人の問題とが、100%一致することはあり得ない。共通する要素があるだけだ。その要素も、
    自分で理解しなければ、自分の抱える問題の解決には、役に立たない。

    「自分ができないと思っていることを、どうすれば、できるようにすればよいか。
    果たして、できないことは、できるようになるのか?」の悩みの回答は、一つしかない。
    どのようなアプローチをするにも、やるしかない。
    できるか、できないかは、自分で判断する必要はない。なぜなら、できる、できないは、
    自分では、絶対に判断できないからだ。それを決めるのは、あくまで、他者である。
    よって、自分は、ただただ、やるしかない。

    ただ、ただ、目の前のことを、やるしかない、できる、できないは、
    どうでもいい。そんなことに悩むの無意味。「できるようになる」は、
    未来のことだ。現在、できなくても、できるようになるためには、
    ただただ、やるしかない。

    著者の言葉は、こんな当たり前なことに気づかせてくれた。

  • 素地がないと、なかなか読み進めれない。
    まだ、私が読む時期ではないのだろうなぁ。。

  • 生きる目的とか、幸せについてとか、答えを求める人にとっては物足りないのかもしれません。
    それでも僕のような、早い者勝ちの価値観にはついていけるけどノレない。
    一方で若者の無気力に違和感と、シンパシーを感じてしまう。
    そんな、時代の狭間の世代にとっては、大変面白く読むことができました。
    要するに今のままでいいんだ、と。
    夢と希望を追い求める時代は終わり、もっと肩の力を抜いて日々の喜びを噛みしめられることが何よりの幸せになる。
    読後、体が間違いなく軽くなる本です。

  • p59 神も所有も我々を前駆させる。不足、不満、不安の解消。もっと多く、もっと深く、もっと近く。仏教も方向は真逆とは言え、入り口は取り引きなのであろうが、取り引きが消えた時、信仰は消え、仏教も消えるのであろうか。
    p60 苦しみの消去もまた究極のゴールを目指す点で神の絶対的な肯定と同様な困難を伴うのではないだろうか。
    p74 ある物体が机と呼ばれるのは「どう使うか」よりも「どう扱うか」がより厳密だと思う。使うか否かよりも「その様に機能する(用いる)ことを期待する」、機能こそが言葉であって意味であり、価値だと考える。
    p83 首尾一貫した自己の構築を仏教の文脈で保持する理由がちょっとよくわからない。自己も方便として使えばよいのでは。
    p99 机は用として存在しているのであり、対象の在り様を問わない。

    読みながら考えて、自分なりの言葉を見つける。氏の著書はいつも考える時間を与えてくれる。

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著者プロフィール

禅僧。福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て1984年に曹洞宗で出家得度。約20年の修行生活ののち、2005年より現職。著書『語る禅僧』(ちくま文庫)、『自分をみつめる禅問答』(角川ソフィア文庫)、『「正法眼蔵」を読む』(講談社選書メチエ)、『なぜこんなに生きにくいのか』(新潮文庫)『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)『善の根拠』(講談社現代新書)、『禅と福音』(春秋社)、『「悟り」は開けない』(ベスト新書)他多数。

「2017年 『死と生 恐山至高対談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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