- Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584132401
作品紹介・あらすじ
科学は死を正確に定義できない。宗教は妄想。では、私たちは死をどう捉えればいいのか-。すべての不安と悩みが消え人生が輝き出す!ドクター苫米地が初めて語る「生」と「死」。
感想・レビュー・書評
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自分自身の体験上、生と死について向き合わなければならない状況が訪れた際に、偶然にも本屋に1冊だけあったこの本に出会いました。
著者は脳機能科学者でありながら、大阿闍梨の号をもち、たびたび、他の著書でも、釈迦の教えが登場します。それまでにも著者の本は愛読させていただいていましたが、命に関する著者の本は、未読であり、その考察に興味がわき購入しました。
具体的な脳科学的な見地及び物理学というカテゴリから抽象度を上げた「空」の概念・釈迦の教え・一人一宇宙といういわゆる情報空間における脳の一貫性があり、説明がついていることに驚きました。
人間であり続ける以上、「死」というものとどのように向かい合えばよいのかというニーズは今後も有り続けると思います。その問いに対する答えの正しさを追い求めるというよりも、「死」というものの捉え方の拡大という点で、この本は私にとっては非常にタイミング的にも心の支えとなり、冷静でいることへ貢献してくれました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者曰く、著者は脳の専門家であると同時に、僧籍を持ち、チベットやスリランカの仏教で大阿闍梨の号ももらったりと、釈迦の教えを研究している、とのことで、脳科学や物理学、量子論の地検と、釈迦の思想が見事に符合していると発見したそうです。
(別な本で、この様な話を見たことがある)
で、死を考えることは生を考えること=生き方を考えることになるのでこの本を書いたとのこと。
基調としては、
・宗教は洗脳で、死を恐れさせない
・空観=あるもない、ないもある
・死は科学でも定義できていない
心臓が止まった?蘇生することもある
細胞が死んだ?すべての細胞が代謝を辞めるのはいつ?
で、
死を恐れても仕方がない。今日を生きよう。
と結果的には、当たり前?のお話しだった。
目次
第一章 宗教は「死」の専門家
真理を否定した仏教
死者を忌み嫌う日本人
儒教はシャーマニズム
日本人の宗教観と先祖崇拝
血のつながりより家のつながり
日本固有の「うつる」という考え方
第二章 「死」は妄想
宗教に本気で「洗脳」された人は「死」を恐れない
宗教はすべて妄想である
仏教はあの世を否定している
空観、仮観、中観
般若心経の「空観」は誤り
「色即是空」は「色即是無」
現代物理学が証明した「空」
葬式とは何か
生物学的に死を定義する
第三章 「自分」とは何か
宇宙とは何か
死んでも自我は変わらない
免疫システムとしての自我
高度に進化した脳だけが「死」を理解する
「一人一宇宙」ということ
第四章 「死」の恐怖を克服する
「いわれのある恐怖」と「いわれのない恐怖」
恐怖は人を支配する
DNAに埋め込まれた恐怖
二一世紀に「恐怖」の感情は要らない
恐怖心を克服するには
恐怖を日常のスパイスに
第五章 「生きる」とは何か
歩くために歩く
自分の行為を意識に上げる
「機能」という視点
自分を見つめ、宇宙を見つめる
あなたの宇宙ではあなたが主人公
おわりに いま、この時を生きよ -
とまべっちの本は7冊目。 釈迦は、あの世については説いていない。 この世での生き方平静さ・心のあり方を説いている。 ということを知れただけでも読んだ価値がありました。 「他人に植えつけられた価値観を、自分の価値観だと思い込んで生きています」 苫米地さんはいろんな本で同じようなことを言っていますね。 本当にその通りだと思います! 何のために生きるのか? 「歩くために歩く」=「生きるために生きる」
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見返し
死を考えることは生を考えることです。
生なくして死はあり得ません。
本書を通して死を考えることで、明日からの生き方が劇的に変わることを実感されるはずです。
死を考えるだけでどうしてそんなことが起こるのか、その答えはもうすぐわかります。
contents
はじめに
第一章
宗教は「死」の専門家
第二章
「死」は妄想
第三章
「自分」とは何か
第四章
「死」の恐怖を克服する
第五章
「生きる」とは何か
おわりに-いま、この時を生きよ -
自我と宇宙が同一で自我は宇宙が続く限り死後も続くという。自我の定義が不明確だが、死後も自分の一部が何か続いて欲しいような気もする一方、死とともに一切が消えて無くなって欲しい気もする。そんなことを考えさせられた。
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あとがきより引用
過去も未来も妄想です。あなたに与えられた時間は、いま、現在というこの一瞬だけです。この一瞬一瞬を意識し、生きていることを実感して、自らの選択で自らの機能を果たすこと。それだけが死への恐怖や悩みを忘れさせ、あなたの人生を輝かせてくれる唯一の方法なのです。 -
死の恐怖の正体は、自己喪失感(①自分の存在そのものがこの世から無くなる②自分という存在の価値がこの世から無くなる)
アプリオリ
地獄とか極楽などという死後の世界、輪廻転生という考えは、釈迦の教えではなく、後世の人が勝手に解釈したもの。そもそも釈迦はバラモン教のカースト差別を徹底否定するためにその根源の「生まれ変わり」論を完全否定した。 釈迦が死後の世界に言及した記録が無いし、極楽浄土の思想は釈迦没後600年くらいにインドに始まり中国で開花した。つまり死後の世界について語っている仏教(浄土宗)は、仏教ではなく、「浄土教」と言える。また、釈迦はあの世の権力を人間が持つべきではないと考えていて、そのことから葬式に僧侶が出席するのを禁じた。
空観…有でもあり、無でもある。有でもなく、無でもない。「森」の定義だとか、「木」という言葉があるからそう認識しているのだとか、認知言語学みたいだと思った。
仮観…存在そのものは「空」であっても、その物事には関係性に基づく役割があるのだから、取り合えず「空」であることを黙殺し、その物事の役割を積極的に見ていこうとする。宗教とは妄想であるが、一旦妄想であることを放棄して、価値を見いだす。
中観…「空」であることを認めたうえで(ここが仮観とは異なる)、かつ役割にも価値を置く見方。宗教とは妄想であると解ったうえで尚且つその教義に価値を見いだす。
抱石葬…死者に石を抱かせて地中奥深くに埋葬する、縄文時代の埋葬。死者が甦らないようにする為と言われる=古代日本人が、死に対し忌み嫌う態度をとっていたと考えられる
アフリカのある地域では、先祖の骨を飾る習慣
西洋近代思想では、あの世の権力はローマ法王、この世の権力はキング
仏教の本来の「妻帯禁止」は、世襲禁止のため。
シャーマニズムは血縁関係を重視し先祖崇拝
般若心経について。釈迦はマントラ(呪文)を否定しているにも関わらず、般若心経の末尾にはマントラが付いている。さらに大きな間違いとして指摘されるのは「色即是空 空即是色(色とは空であり、空とは色である)」=「色(物質)と空は同じものである」という行。空が物質である、という意味不明な内容。本来は「空⊃色」という構図(「哺乳類⊃豚」という構図と同じように)。「空」とは「色(物質)=有」も「無」も包括する
真空状態を作っても、観測という行為によってエネルギーが与えられ、いつの間にか素粒子が現れる。
電子という物質(=有)は存在するはずなのに、場所を観測できるのはある確率でしか出来ない(「不確定性原理」)。則ち、質量は存在しているのに場所を特定できないので、「 有でもあり、無でもある。有でもなく、無でもない。」
日本の大乗仏教(浄土宗)において葬式を行う理由は、戒名をもらう(受戒)お祝いのようなもの。戒名が無いと仏弟子になれず、極楽浄土に行けない。そもそも日本式の仏教を信じていないなら、葬式の必要は無いし、信じているなら生きている間に戒名を貰っても良い。
ハイパーラポール…極度の恐怖臨場空間の中で、被支配者が支配者に対し協力な親近感を覚えてしまう現象。ストックホルム症候群が一例
インド密教『呪いのマントラ』
恐怖を最大まで妄想→冷静に恐怖の分析→大抵は何とかなることが分かる→「大したことないや」
俯瞰…高いところから見下ろして眺めること。鳥瞰