日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想

著者 :
  • ベストセラーズ
3.90
  • (4)
  • (3)
  • (2)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 60
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584137963

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • リベラルの批判書。著者は美術史研究者で国立大学の名誉教授。
    リベラリズムはユダヤの陰謀から始まって、その恐ろしい力は強まり、今や世界は破壊され、関係無い日本も影響受けている、という理論。理論展開は以下

    ユダヤ人はディアスポラで世界各国のマイノリティに→マジョリティの他民族から警戒、批判される→彼らは常に国家や権力へ恐怖を抱き被害者意識を持つ、それが民族性となる→18世紀に啓蒙思想が生まれるが、ユダヤ人はそれを悪用し「キリスト教的神の否定」だったのを「国家や権力の否定」にすり替える→それがマルクス主義を生む→ソ連崩壊で共産主義ユートピア思想や暴力革命が無理筋と見るや、フランクフルト学派の考え出した「無条件のあらゆる国家・権力批判」という文化破壊戦略に舵を切る→この破壊戦略があらゆるメディアを席巻し、今やポリコレなどで退廃した世界となる→だからリベラルは悪である→しかし日本はまだ素晴らしい伝統家族、自然信仰、祖霊信仰、天皇崇敬が残っている→この伝統を強くし、西洋の悪から脱却すべきだ。

    さて、本書がはたして理論として成立しているのかどうか。あるいは「一理ある」と言える部分があるのか。
    理論の基礎となっているのは、①「西洋社会はキリスト教が元になっている」と②「日本は自然信仰の国だ」という説。
    ①は他の多くの社会学説でも定理化しているものなので、「まあ、概ねそうだろう」と言える。②については確かによく耳にする理論だが、特に今回本書を読んで感じたのは、いったい「自然信仰」というものがそもそも理論化されている信仰理論(信仰形態)なのか、という疑問だ。あらためてこの自然信仰とやらは何の事なのか理解不能だと感じた。本書ではしばしばこの自然信仰について言及され、「日本は自然信仰の国なので…」「この自然信仰の国ではキリスト教由来の思想を適用する理由はない」などの論調で展開されている。だが繰り返すようにそもそも自然信仰というものがいったい何を指すのか不明な上、その信仰がどういうものかを本書内で解説されていないので、これを前提として読み進むことが出来ない。「日本は自然信仰が基礎となっている国」という理論が説明不要な定理として話が進んでいく。そのことはliberalに充てられた日本語「自由」への解釈にも感じられる。《幕末にリベラルという言葉が入ってきてそれに当たる言葉が無いので、これを「自由」と訳した・しかし本来の自由(リベラル)はキリスト教の原罪からの解放。神の思し召しからの解放である・しかしキリスト教は日本には無いのでその考えが幕末人には解らなかった・しかも日本には元々原罪も思し召しも無いから元から「自由である」「素晴らしい国なのである」》と。日本には元々自由が備わっていて、それで人々が幸福に暮らしていたと?
    著者は現代社会の混乱を憂い、それにあがなう理論を発表したつもりでいる。ではこの「自然信仰国日本」とやらを使って、いったいどう具体的に混乱を克服するつもりなのか。
    日本国からキリスト教由来の思想を無くし、伝統である自然信仰を完全に普及させる。そしてキリスト教から産み出された「現代社会の病」に侵された世界を救うため、まずは日本国に直接影響がありそうな周辺諸国あたりから「日本の自然信仰」を布教することから始め、最終的にはこの地球上からキリスト教由来のものを一掃する(実際に「日本は重要で、リベラルに反撃するのは日本で、これで世界が正常化する p211」と書かれている)。但し「自然信仰とは何か」と問われたら「それは自明な絶対真理なので説明など不要だ」と問答無用にする。こういうことらしい。
    現代の国際社会の太く切り離し不可能な関係性は、20年前とは比べものにならない程強い。そんな社会状況がまるで解って無いのではないか。先進国は日本以外全て著者が批判したそのキリスト教圏の国だし、中国は非キリスト教圏だが、天皇というものを必ず含んでしまう「日本の自然信仰/神道」をいったいどうやって普及させるつもりなのか。日本だけ鎖国して米と漬け物食って生きていこうというのか。いや、それすら現代の国際社会では許されない。まるで実効性の無い妄想としか思えない。
    後半は、自らの専門分野である美術の話が言及されてくる。そしてやはり印象派から始まる近現代アートへの批判が繰り返される。伝統的な美術が好きなのは勝手だが、自分の好みではない近現代アートを批判する口ぶりはまさに罵詈雑言。自らが会員だった「国際美術史学会」を去ることになったことが言及されていて、その事から来る名誉の喪失、恥辱、怨念が近現代アート批判、そしてキリスト教由来の思想批判に収斂されていったようだ。
    過去にエリートとして評価されていて、自己評価も不当に高い人物が、一旦自分が否定されると保守主義化して周りを攻撃し始める。そんな病理の絶好の症例を実見出来るカルテのような本。


    リベラリズムは「国家や権力に媚びない」とされるが、そうではなく国家や権力を持てないことからくる「ユダヤ人の自己防衛のための思想」27
    ユダヤの権力がアメリカ(=世界)を牛耳ってる。けど、それが「イスラエル・ユダヤ」と「グローバリゼーション・ユダヤ」に分裂した。キッシンジャーはイスラエルユダヤだ。そして彼はトランプを支持して、彼を大統領にした27

    そもそもアメリカをはじめ日本を含む西側諸国が、伝統・信仰・民族・秩序・家族が崩壊し、倫理が乱れたのはフランクフルト学派(彼らはユダヤ人。グローバリゼーションユダヤの原点)のせいだ。やつらはドイツでマルクス研究をしていて、ナチスに追われアメリカに亡命してきた。そして亡命先での伝統文化破壊活動がしたのだ。やつらの理論は「プロレタリアによる暴力革命は無理」だから「長期的な文化革命」をして既存の勢力を倒すことだ40

    それともう一人はイタリアのアントニオ・グラムシだ。彼は「長期的な文化革命」をあらゆる新メディアを使って行う戦略を提案した43

    リベラルが模索したプロレタリア革命に代替する革命理論、それが「多文化主義」だ。「各国の文化を尊重する」のではなく「全ての文化を均一化する」のが目的だ。現在その最も有名で有効な武器は「ポリコレ」だ46

    民族や宗教という基盤の揺らぎ(アイデンティティの揺らぎ)は、人々を不安にさせ精神がおかしくさせる。移民がどんどん近所に入り込んだEUとアメリカ。それが「アンチリベラル」を強め、ブレグジットやトランプ大統領を生んだ。51

    だいたい移民問題に楽観的なのは若者だ。なぜならやつらは「アイデンティティが必要なほど長く生きてない」からだ。やつらはどこの外国でも行け、そこで生活できると錯覚してるのだ51

    「左翼は批判ばかり」は彼らが愚かなのではなく、批判そのものに意味があるからである。これによって「人々に厭世感と疎外感を持たせる。これが将来の"革命"への必須条件だから」。この指導的立場なのがアドルノだ54

    フロイトもリベラルの権化。ユダヤ人だし。「エディプスコンプレックス」は「子供は本来的に親を殺したい」「人間は生まれながらにして不幸」など生きることそのものに厭世感を植え付ける。
    だが、わが日本は違う。家族が子供中心になっているし、夫婦も子供の前でイチャイチャしない。これがエディコンの無い素晴らしい日本だ61

    リベラルの元凶フランクフルト学派は皆ユダヤ人だ。こいつらが「批判理論」を展開するのには訳がある。ユダヤ人のその出自により、全世界に対する被害者意識を抱いているのが理由だ65

    リベラリズム(自由)は啓蒙思想から生まれた。しかし本来の啓蒙思想は「神の教え(キリスト教的考え)から、人間個人の思考への変革(神からの自由)」である。それをマルクス主義などは理論をねじ曲げ「国家や教会などの権力や法からの自由」とした。そのためアダム・スミスやジョン・ロックなどの思想は現在も権力批判と階級逃走の理論として間違って(偏向されて)解釈されている76

    「階級」は、古来日本では「役割分担」と呼ばれていた。マルクス主義はこの「階級」の闘争を呼び掛けた。これによってあらゆる思想がおかしくなった88

    20世紀のリベラリストのグランドセオリーは常にマルクス主義である100

    私は「ルネサンス」や「キリスト教美術」を研究している。それだけで「権威主義」「エリート主義」と批判される。流行りの「ビエンナーレ」などはゴミのイメージしかない。最先端の芸術界はすでに退廃的な段階だ108

    印象派はなんでもないただの風景を描いたやつら。浮世絵を真似したが、日本語文字が読めないから風景の由緒を理解してない。そのリーダー格のピサロはユダヤ人144

    次にとうとう現れたのがピカソ。やつは今まで絵画が積み上げてきた伝統を拒否しやがった。アビニヨンの娘たちなど誰でもないただの女146

    そしてデュシャンが登場した。やつは美術そのものを否定した。いや世の中の文化を破壊した。あの汚いただの便器。あれが登場したのはロシア革命の年。完全に呼応してる。だがロシア革命と違って人を殺さなかったから大目にみられた。だが私は、これは殺人に等しい蛮行だと思う147

    俺は国際美術史学会の日本代表だった。だけど、そこに現代美術的要素が入ってきて、次々に私の愛する伝統美術が拒否された。デューラーやミケランジェロも拒否された。私は学会を抜けた。現代の美術は、小説でも音楽でも「いかに破壊するか」のみだ149

    ユネスコの「世界の記憶」遺産で日本はよりにもよって、筑豊炭坑労働者の絵を登録申請した。こんなもの文化的価値はない。他にもっと文化遺産があるのに。明治以降の残業関連、「労働者への弾圧記録」ばかり取り上げようとする。ユネスコもリベラルの巣窟だ151

    地中美術館の工法は日本の気候に合わない。息苦しいばかりの閉鎖空間だ153

    サブカルチャーが主流になったのは「本物」が作れなくなったから157

    コンセプチュアルアートは「インテリのすさびごと」157

    伝統的な家族、自然信仰、お盆の墓参りなどの祖霊信仰、天皇崇敬、これらはいまだ日本人の感覚だ183

    「近代は西洋によって作られた」は幻想だ。またこれを日本人が追体験する必要も可能性も無い185

    日本の役割は非常に重要。リベラルに対して日本が反撃しなければ、世界の正常化はおそらく実現しない211

    リベラル思想下にある人は正常ではない213

    日本人のキリスト教徒は1%。その他99%は、無自覚、自覚は問わず、神道の徒だ228

  • フランクフルト学派、批判理論の危険性を解説した本で、単なる酒場の愚痴ではなく、学術性がある(引用元が明確で、誰の考えか明示されている)と感じたのは、中川八洋「正統の哲学 異端の思想」以来だ。これらの本がKKベストセラーズ、徳間書店という(失礼ながら)二流、三流出版社からしか出せないところがマスコミがリベラル思想に制圧されていることの証拠である。

  • あまりにも言い切っているので、若干「トンデモ本」一歩手前になりかかっている感は否めない気がしますが(渡部昇一氏を彷彿とさせるといえば良いでしょうか)、大筋においては間違えたことは言っておらず、リベラルとはまあ、こういうことなのでしょう。その核心は「西洋におけるリベラルとは、もともと何からの自由/解放を指すのか」という点。ここを理解しないまま、形だけ有難がって取り入れるから日本におけるリベラルがおかしなことになるという点は全くもって同感。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める

「2024年 『日本国史学第20号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

田中英道の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ピーター ナヴァ...
百田尚樹
ジャレド・ダイア...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×