東京: 写真集・都市の変貌の物語1948~2000

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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584170830

作品紹介・あらすじ

戦後復興、高度成長、バブル経済とその崩壊…400点の写真が語る。首都「東京」50年の歴史と素顔。

感想・レビュー・書評

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  • 2002年に『地理学評論』に掲載した文章を転載。

    写真による地誌学的作品については,田沼武能の東京作品を事例に拙稿(成瀬 2001)で既に評者は詳しく論じた.本来の著者独自の地理学研究としてよりも,編集者の意図を汲んだ本書は,田沼武能作品『東京の戦後』(1993年)と一見類似した歴史物語を呈している.また,東京ではなく日本の戦後については,『岩波写真文庫』を利用して竹内(1995)が作品生産を実践している.
    拙稿であまり論じることができなかったのは,こうした都市の地誌学的作品の起原についてである.ベンヤミン(1975)による1935年の手稿「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」における遊民(フラヌール)論のなかで取り上げられている「都市の生理学」はこの起原の一つと考えられる.「生理学ものの叙述ののんびりした調子は,アスファルトの上をいわば植物採集して歩く遊民のようすと符合する.」と述べるベンヤミン(1975: 70)は,19世紀末のパリにおける文学を中心とした言語による都市表象について論じているが,同時代のパリにおいては写真家による実践もみられた.
    多木(1992)はマルヴィルという写真家を中心に19世紀末パリにおける都市へのまなざしについて論じている.「写真記録者マルヴィル」と「都市改造者オースマン」とは同じ意図を持ち,この写真家は都市を人体との比喩のなかで解剖学的に眺め,視覚的に測定可能な断片として風景を記録したという(多木 1992: 216).都市を人体と見做す一方で,「都市の生理学」の前身は18世紀の観相学に19世紀の社会進化論的犯罪社会学を肉付けした群集の生理学であった.これにも写真術は力を貸し,犯罪者を特定する司法写真を生み出している.
    拙稿では,写真集を構成する個々の写真が写真家の時空間における位置を記録するものとして,人生のスケールにおける時空パスを復元する資料となり得ることを示唆した.しかし,よりミクロなスケールで考えると,作品に掲載された写真は掲載されなかった膨大な写真群のなかの一枚であり,また,その撮影地点は撮影のための連続的な時空間行動のなかの一点である.一見一般的な歴史物語を呈してしまうこの種の写真集も,唯一無二の身体の時空間移動による特殊な経験に基づいている.
    写真家の企図が群集の生理学と異なる視線は,本書でも十分に発揮されている.遊歩者による群集の観察はあくまでも観る者自身が群集の一部であり,観る対象も個々人に向けられていた.観察された無数の個人の断片的な特徴は,再構成されて類型的な人物として,探偵小説などに登場する.それに対し,本書で用いられる写真家的視点は群集から抜け出し(例えばビルの屋上から),群集を総体としてフレームに収める1).
    本書で人物が中心となる写真は少ない.林立する中層・高層の建築物を街路から仰ぎ見るアングル.対照的に,高所から見下ろすもの.極力広範囲の風景を一枚の画像にしようという欲望.路面電車や乗合バス,渡船などの交通機関.そうした視点が本書では目立つ.やはり「都市の生理学」と同時代に流行したパノラマ館と,その意図は類似している.
    前書(石井 1999)でも採用されていた,定点撮影について再び考えてみよう.東京という評者にとって身近な被写体における定点撮影は,どうしても撮影された順番と逆に観てしまう.親しみのある風景をまず観て,その場所について知らない歴史を観る.大人になって知り合った人物の子どもの頃の写真を観る,そんな興味.あるいは,探偵小説などで予め作られた事件に関する手掛りの断片を作品中に巧妙に配置することで読者が徐々に真実に辿りつくような物語展開.そうした作者と読者の関係が生み出されるが,かといって定点撮影は,未来の風景の変化を予見して過去の撮影がなされているわけではない.この点が,この定点撮影という技法を評価するのを難しくしているし,その撮影の成果も非常に限られた条件で成立する.
    ともかく,個々の写真は,著者の唯一無二の時空間行動によって採集された風景の記録である.その無数の蒐集物を,これまで著者は様々な方法で作品化し,提示しているわけだが,著者の写真を利用した著者=撮影者以外の主体による作品生産も可能かもしれない.撮影のコンテクストから個々の写真を引き離し,撮影者の全く意図しないような自由な作品のコンテクストのなかに写真を配置する.東京を半世紀以上にわたって見つめてきた著者ではなく,ほとんど東京を知らない主体による地誌的作品はどんな新しい視点を提供してくれるだろうか.
    本書における定点撮影に似た発想による,一つの作品の試みを紹介しておこう.1999年から継続して行われている「アノニマスケイプ」という作品は,1963年生まれの細川文昌という写真家によるものである.『官報』に掲載された「行旅死亡人」を1901年から2000年までの1年につき1件ずつ,記事の写真とその場所の現在の風景写真を併置するという写真2).名前も容貌も特定できない「誰でもない」人物を,その人物が息絶えた場所の風景で代理=表象しようという試みである.これも一種の定点撮影とはいえまいか.


    1)写真と群集の関係については,港(1991)が詳細に論じている.
    2)この作品については,文芸社から発行されている不定期刊雑誌『A』のなかで紹介されている(三橋 2001).

    文  献
    石井 實 1999. 『地理の風景――古代から現代まで――』大明堂.
    成瀬 厚 2001. 東京・武蔵野・江戸――写真による地理的表象と自我探求――.地理学評論 74A: 470-486.
    多木浩二 1992. 測定する視線――19世紀的「知」の断面.『眼の隠喩――視線の現象学――』189-218.青土社.
    竹内啓一編著 1995. 『日本人のふるさと――高度成長以前の原風景――』岩波書店.
    ベンヤミン, W.著,川村二郎・野村 修・円子修平訳 1975. 『ボードレール 新編増補』晶文社.Benjamin, W. 1974. Charles Baudelaire: Ein Lyriker im Zeitalter des Hochkapitalismus. Frankfurt: V. Rolf Tiedemann.
    三橋 純 2001. 同じ場所違う時間――写真の不可視/移動そしてその資質――.A 13: 60-65.
    港 千尋 1991. 『群集論――20世紀ピクチャー・セオリー』リブロポート.


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