応仁記 (日本合戦騒動叢書 2)

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  • 勉誠社(勉誠出版)
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784585051022

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  • 応仁の乱は様々な対立軸があった。
    ・足利義視と足利義尚
    ・細川勝元と山名宗全
    ・畠山政長と畠山義就
    この複雑な対立関係は保元の乱に匹敵する。この中で最上位者は室町幕府将軍家である足利家である。このため、伝統的には室町幕府将軍の後継者争いと見られてきた。保元の乱の争いの中心が崇徳上皇と後白河天皇であるように。

    義視は足利義政の弟である。義政は仏門に入っていた義視を後継者として還俗させた。しかし、その後に義政と御台所・日野富子の息子の義尚が生まれ、二人の将軍候補が並び立つことになった。

    義尚が生まれたのに、義視をそのままにした義政の優柔不断を問題視する主張がある。しかし、人間は急死することがあり、二人の後継ぎ候補を置くことは不自然ではない。
    「次の将軍候補として義視と義尚の二人があったわけであるが、それは一種の安全装置としての配慮(義政が兄の急死により将軍の位についた前例もあるため)からなされたものであったといえるのではないか」(田端泰子『女人政治の中世 北条政子と日野富子』吉川弘文館、2022年、82頁)

    義視を排除して義尚を担ごうとしたのは、義尚の乳父(めのと)の伊勢貞親であった。かつては富子が自分の子どもを将軍にしたいために横槍を入れたとの歴史観があったが、今は否定されている。
    「一般には我が子を次の将軍にと願う日野富子が義視の排除を図ったと思われているが、義視の妻は富子の妹であり、両者の関係は必ずしも悪くなかった」(呉座勇一『応仁の乱』中公新書、2016年、73頁)
    「従来、富子がわが子かわいさから義尚を将軍職に就けようと画策したとされるが、むしろ真相は、義尚に将軍職を継がせたい乳父貞親の謀略であった」(渡邊大門『戦国誕生 中世日本が終焉するとき』講談社現代新書、2011年、85頁)

  • 『応仁記』の現代語訳とそれに関連する文、史跡紹介が1冊になった本です。
    これだけを読み、応仁の乱とはこういうものだ、と解釈してしまうと非常に怖いな、と思います。
    先に『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』を読んで『応仁記』の成立背景を勉強していたので、鵜呑みにすることはありませんでしたが…。
    しかし、逆に一般的に日野富子が自分の子を将軍にしたいと思ったこと、家督争いが応仁の乱の原因だ、と思われていることを考えると、この『応仁記』という書物が後世に与えた影響がいかに大きいかが分かります。
    そういう意味で『応仁記』がある意図のもとに作られたのだとすれば、それは達成されていることになるのでしょう。

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著者プロフィール

怪奇文学・伝承文学・近現代文学研究者。相模女子大名誉教授。著書・編著に『怪談実話集』『新編百物語』『戦前のこわい話』『江戸の都市伝説』など。

「2023年 『戦前のこわい話〈増補版〉 怪奇実話集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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