脱構築とプラグマティズム: 来たるべき民主主義 (叢書・ウニベルシタス 741)
- 法政大学出版局 (2002年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (179ページ)
- / ISBN・EAN: 9784588007415
作品紹介・あらすじ
民主主義にとって政治的決定の根拠は何か,という現代の核心をなす問題をめぐって,脱構築(デリダ)対プラグマティズム(ローティ)を軸に展開される白熱の討議。
感想・レビュー・書評
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プラトン主義から離脱して、すべてのものに根源を求めることをやめる。といういうのが、私の最近の哲学的なありようなのだが、そうやって考えているうちに、ぶつかったのが、「デリダの脱構築とプラグマティズムって、結構、似ているんじゃないか?」というアイディア。そして、「相対主義というか、絶対的な価値観をみとめないなかで、どのように決定が可能なのか?民主主義はいかにして可能なのか?」という問いである。
という問題意識にジャストフィットの論文集である。
これは、「脱構築とプラグマティズム」に関するシンポジウムの記録なのだが、編者が序文で、いきなり、民主主義は合理主義をベースに基礎付けする事はできない、と、ハーバーマス的な民主主義観をあっさり切り捨てる。
で、「基礎付けなしの」民主主義をどう考えるか、ということで、議論がスタートする。というところが、なかなか心地よい(?)
で、まずは、ローティがでてきて、「デリダの脱構築は、現実には役に立たないんじゃないの?そういうのは私的な領域でやってれば良いじゃん」的なある意味素朴な感想を述べる。
それに対して、新進の若手(かどうかしらないが、論文の感じは、気合いが入っていて、そういう感じ)が、基本的にはデリダを踏まえつつ、ローティの議論は、乱暴じゃないのー、「私的と公的って、そんなにかんたんに分かれるとは思えない」「その区分はローティの主旨に反する一種の基礎付け主義じゃ」と、大変、ごもっともな観点から、ローティの議論を切り崩しにかかる。
それに対して、ローティが、「脱構築がつまらん哲学といっているんじゃなくて、哲学そのものがもともとたいしたものじゃないんだ」的な開き直りで応じる。
最後に、デリダが登場して、なんだか全体の議論をうまくまとめつつ、一段の高み(?)に読者を誘う。
といった本である。印象的なのは、若手の議論の緻密さに対する、大御所のローティとデリダの議論の進め方の確信犯的な大雑把っぱさ、率直さであろうか。なんだか、鷹揚で、貫禄を感じるなー。
特に、デリダの率直さは、驚くべきで、この20ページくらいのコンパクトな論文は、私がこれまで読んだデリダのテクストとしては、格段に分かりが良かった。ここまで、分かっていいのか、というか、とにかくストレートである。
この講演が、英語圏で行われていることも関係しているのだろうけど、ほぼ同時期に、同じく英語圏で行われた「法の力」のテーマにとても近くて、デリダの政治的なスタンスがとてもよくわかるものになっていて、デリダによるデリダ入門という感じすらある。
と、ローティとデリダのパート、および編者のまとめについては、★5つであるが、あと2人の論文が、緻密で勉強になる反面、やや疲れるので、★は4つにしておく。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
プラグマティズムとは何か?を考える際、ローティは避けて通れない。本書ではローティの考えが応答を経て、立体感を伴い表現されている。