シミュラークルとシミュレーション (叢書・ウニベルシタス 136)
- 法政大学出版局 (2008年6月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784588099113
作品紹介・あらすじ
最近の政治的・社会的事件,映画,テレビ,SF,クローン生物等を縦横に論じつつ,実在の消滅と〈ハイパーリアル〉の専制を予見し,現代消費社会の状況を抉る。
感想・レビュー・書評
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個人的な感想文とメモ:
同じボードリヤールの著書でも『消費社会の神話と構造』は読みやすい。『象徴交換と死』は文学的な読み物のように面白かった。『シミュラークルとシミュレーション』の概念自体はわかりやすいものの、『象徴交換と死』の一章にも及ばないようなこの本は、読みにくかったように思う。特に一章目。例示される記述を読み進めるうちに、どんどん本質や真実から外れ「脱」してく感じ、シミュラークルとシミュレーションそのものが実体験できる装置になってたんじゃないだろーか。また、ここでも、確か『象徴交換と死』ででてきた太極図(脱構築のような)が出てくる。内破というキーワードが頻出し、これは太極図の小さな点のようなものだろう。(15歳の頃に読んだ『タオ自然学』がなければ、脱構築や内破の概念を捉えにくかっただろう。ローティーンの頃はカルトではなく伝統的仏教を学ぶ機会があったため、仏教や東洋思想の本も読み、写経や瞑想してみたりしてた。)
ボードリヤールの本を、机上のもので、小説みたいなもの、と思っていたところもあるかもしれない。(実際、SFを書きたかったとのことだし。)だけど、ボードリヤールは的確に現代以降のリアリティを書き記している。象徴交換と死、資本主義、大量生産、消費社会、シミュラークルとシミュレーション。何層にも重ねられるシミュラークルとシミュレーションが、大した労力なしに魂抜きで、商品ベースにのせられ、資本主義をぐるぐるまわす。どんなカタストロフ的状況も、この循環に絡めとられてしまうとすると、ある意味クッションやらエアバッグやらのような安全装置のようでもある。
しかし、現代以降も、いよいよポストコロナに向けて、時代は変わり、シミュラークルとシミュレーションの幻影から覚めようとする頃か。循環に絡めとられ、機能していなかったカタストロフのお出まし。ガチャガチャ火花がちってた点火スイッチオン。しがらみだけになりつつあった悪い因習の鎖をコロナがほどく。直接会い触れることができなくなって、絆やつながりが絶たれる、といっても、特に現代以降はそれらはほぼほぼ商品化してしまっていたのだから、実は惜しむべくもないかもしれない。(さみしいことに。)現代社会構造に押しつぶされていた・お金を潤滑油としない・仕組みを必要としない・原始には神から与えられてすでにもっていたかのような・シンプルだけど満ち足りており・だれもが手に入りやすい、幸せの総量をもう少し増やせるチャンスかも?変化に挑戦しても、20年かかっていたものが、いまなら数年、数か月でチェンジするときかも。因縁めいたものをつけられて、グレーに染められた夢は鮮やかなカラーを取り戻し、希望を託し、かなえる好機。(と、でも言うしかない。)
消費は供犠 広告は呪術 権力構造を維持するマニ車 楽してマニ車を回せるシミュラークルとシミュレーション ハイパー空間へ 物語の消失
☆
・ボープールのdisり(愛)がすごい。rhymeにのせて、これは曲できる。
・10章 クローン
肉体が肉体であるのは性のなせる業 性欲と死から自立
→人工補綴にすぎない 再生産でなくただの更新
→死を前提とした社会システムや価値の変更
(肉体とその歴史、エピソードの終わり P131)
ベンヤミン 複製技術時代の芸術
連続して複製された芸術が失ったもの そのアウラ 複製品は必然的に政治的な形態をとる運命にある
失われたのはオリジナルであり、ノスタルジックで懐古趣味的な歴史だけが本物として再構成されるにすぎない(P130)
・12章はバラードのクラッシュ大絶賛。シミュレーション宇宙の第一級の作品(P153)
リトレをパタフィジックにパロディ化すると「どこにも行きつけない路、だが別の路よりそこに早く行きつける路(P152)」
2021年映画化らしいけど、ボードリヤールもなっとくな感じなのかな。
・15章 残り
我々を支配するものはもはや生産の経済学ではなく、再生産とリサイクルの経済学
生態学と汚染 残りの経済学
蓄積とは残りでしかない(P184)
・14章 動物 テリトリーとメタモルフォ―ズ
ヒューマニズム、正常な状態、生活の質、とは収益のエピソードに過ぎない(P167)
工業化された動物が規準通りに死ぬためには、ある程度の生活の質が必要
労働者でさえ生産の至上命令に答えるには責任感と自主管理が必要
かつて獣は神聖で崇高な特性を持っていた 未開人には人間界さえなく、長期間にわたり動物の秩序が照合の秩序であった 動物のみが神として供犠に価し、人間の供犠は堕落した秩序に従って後から現れた
人間は動物の仲間入りをして格があがる (このさきストロース悲しき熱帯の話)
無意識は狂気を考察し得る論理計算上の装置(P173)
獣のみが無言のまま(P174)
-無意識は便利な発明品 動物の無言について 厳密なディスクールを支えている(P175)
P8 シミュラークル 決して実在と交換せず、自己と交換するしかない
P9 そこには自分のものだと見分ける神もなければ、偽物を本物から区分したり、実在をその人為的復活から区分する最後の審判も存在しない。なぜならすべては、すでに死に絶え、前もって蘇っているから。
ーシミュレーションとシミュラークルにある意味守られて、真理(神)は朽ちずにあり続けることが可能ではないのか。みられた途端、蒸発してしまうものだろうか。↓
P13 完全なる秘密のみがミイラの数千年に及ぶ力を保ってきたー腐敗の制服こそ、死と交換するあらゆるサイクルの制服を意味していた。我々は科学をミイラの修復に役立たせることしかできない。つまり目に見える秩序に修復することだ。ところが防腐処理とはある隠された次元を不死身にする神秘に満ちた作業であった。
P15 あらゆる秘密にたち向かう取返しのつかぬ暴力、秘密のない文明の暴力、文明の基盤に対する文明あげての憎しみ
P16 ディズニーランドは、錯綜したシミュラークルのあらゆる次元をうつす。
P21 資本とは巨大で無原則な企て。資本とは自己に規則を強制しながら自己管理を追求する啓蒙的な思想。社会関係の妖術、社会に対する挑戦。道徳や経済合理性に従って告発すべきスキャンダルではなく、象徴的原則に従って測るべき挑戦。
P25 シミュレーション地獄とは 微妙で不吉でとらえどころのない意味のねじれ
P35 権力は自らの死に見放され、今にも潰れんとし、我々の抵抗しかあてにしていない
権力に死をもたらしたり、予言したりする機能は、原始社会以来、精神錯乱者や狂者、あるいはノイローゼ患者の手にまかされていた
P36 国王の公式的、犠牲的死を予言する原始的儀式とは逆に、自己犠牲なしの国王や領主はなんの意味もない
P93 都市とは凝縮されたサイバネティックな記憶に基づいて、無限に繰り返し得るある種の遺伝子的コードによって作り変えられる
P103 われわれは、ますます情報が増し、意味が次第に減少する世界にいる
-人間が論理や機械、プログラムによって解析する情報が少ないほど、
世界の側に委ねっぱなしのものが多いほど、より広大に リアリティを感じることができる
P104 メディアの光に照らされないものは、社会主義化から遠いものであり、いわば反社会的なもの
情報はいたるところで検閲され、意味の加速度的循環や、資本の加速度的ローテーションが巻き起こす経済的剰余価値と同じような、意味の剰余価値を生産する。
P108 私は特にマスのエレクトロニクスメディアに注目している詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何を言っているのかさっぱりわからない。ボードリヤール本は「言葉の曼荼羅」っぽい印象がある。本気で意味を考えると狂気が頭をもたげる。それにしても本書から映画『マトリックス』が生まれた事実の方が私にとっては驚きである。
https://sessendo.hatenablog.jp/entry/2023/09/14/104321 -
いくつかの章は想像がしやすくて面白い。
ただ大半は難しかった。
構造主義に対する新たな社会の定義。
ハイパーリアル。
ひたすら円の中を回り続ける人間。
そこに終わりも始まりもないと。 -
mars89
マトリックスの元ネタ -
現実、それは物語だ。
物語、それは現実だ。
「空洞」を隠すための「ハリボテ」
人類をはじめから終わりまで眺めるとする。
目的などないのが見えるかもしれない。
その物語は最後の文字まで向かう。
白は黒であり黒は白である。
陰陽図が思い浮かぶ。
流れるプールでどこに流されるのか。 -
「消費社会の神話と構造」が面白かったので、再びボードリヤールを読んだ。「消費社会の神話と構造」と比べるとかなり難解なものとなっているが、「インフォーメーション=エントロピー」などもその一つ。世の中に情報があふれかえることで情報の価値が下がっているのか、そんな印象を受けた。ただシステムのエントロピー的戦略などは分かるような気もする。
ボードリヤールが再三主張していることは社会はろくでもないということだ。現代社会が記号の交換で動くということは、現代社会は数学に支配されているということだ。政治経済のみならず、恋愛も数学の支配下にある。数学には何の意味もなく、意味を与えるのは物理学や経済学、恋愛工学、コミュニケーション工学である。こんなわけであらゆることが無味乾燥、昭和の時代を懐かしむのも当然というわけで、誰もが、大事件、大災害に飢えている。先日自民党最大派閥の会長かつキングメーカーかつ日本政界のドンが銃撃されて死亡するという事件が起こった。こういった事件に対して我々は昔の東映ヤクザ映画を観るような、なおかつ野次馬根性丸出しでニヤニヤしながら、新聞、ニュースにくぎづけになるわけだが、こうしたことも社会がろくでもないことを証明するものの一つであろう。こういうろくでもない社会に対してボードリヤールは何もせずただ耐え忍ぶ者をテロリストとしており、ボードリヤール自身もテロリストと称している。世間の大半の者は労働者、非労働者問わずテロリストなわけであるが、私はそういう意味でのテロリストは卒業したいと思った。ただし暴力には訴えない。
ハイパーリアルの専制、これにより技術的な問題はさておき、我々にはメタバースを受け入れる心の準備はできているということだ。 -
wired・近代と社会・2位
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【要約】
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【ノート】
あらゆるものがハイパーリアル化し、ヴァーチャル化する現実の諸相を鋭く論じたフランス現代思想の問題作。映画『マトリックス』に登場することでも有名。
◆ユーザーからのコメント
ヴァーチャルとかリアルとか論じるには必読
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冒頭の地図の比喩が秀逸。
ボードリヤールによれば、私たちは現実と虚構を区別する必要のなくなった、ハイパーリアルな世界に生きている。
私たちが心の奥底に抱いている「こうありたい」という空想と現実との間に広がる差異が消滅し、すべてをイメージ通りに操作できるとしたら、私たちはどうやっていまこの現実が虚構ではないと確かめることができるだろうか? -
記号論が好きな人にはオススメ。映画「マトリックス」に影響を与えたといわれている本です。