法の力 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588099397

作品紹介・あらすじ

デリダの「政治哲学」。「脱構築は正義である」の宣言のもとで、法/権利を越えた正義の観点からナチスによる「最終解決」に極まる法の暴力を批判。またハイデガーやベンヤミンの「破壊」のもつ問題点を抉り出し、それらと脱構築との差異を明確に論じたデリダ近年の主著。

感想・レビュー・書評

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  • 長年の積読状態を解消したい一心でとにかく通読したけど、おそらく半分も理解できていない。第一部はまだよかったが、ベンヤミンの『暴力批判論』を読解した第二部を読んでいるときは目が滑りっぱなしだった。
    「いまだに現前していない」が「それでもやはり存在する」正義とは、普遍性を備えつつ、すべての他者の特異性に応答することと読み取った。この正義への欲求が満たされることは、おそらく未来永劫ないだろう。それでも正義をあきらめない、それが我々の責任である。

    “正義について直接に語ろうとしたり、正義をテーマや対象にしようとすれば、また「これは正義にかなっている」と言ったり、ましてや「私は正義にかなっている」と言おうとすれば、必ずや正義に――法/権利に、ではないにせよ――即座に背くことになる”(p.22)

    “……法/権利は本質的に脱構築可能である。法/権利が基礎づけされているから、つまり解釈し変革することの可能なさまざまなテクスト層をもとにして構築されているからという理由で……正義それ自体はというと、もしそのようなものが現実に存在するならば、法/権利の外または法/権利のかなたにあり、そのために脱構築しえない。……脱構築は正義である。”(p.33-34)

    “正義は現実存在していないけれども、また現前している/現にそこにあるわけでもない――いまだに現前していない、またはこれまで一度も現前したことががない――けれども、それどもやはり正義は存在するという場合において、脱構築は可能である。”(p.35)

    “……一方では法/権利は、あくまでも正義の名において自分を押し及ぼすのだと主張するし、他方では正義としても、実行に移さねばならない何らかの法/権利のなかに身を落ち着かせねばならない。この法/権利は実行に移されねばならない(構成され、適用されねばならない)――力によって。つまりそれは「執行され/力あらしめられ」ねばならない。脱構築は、常に両者の間にあり、両者の間を行き来する。”(p.54)

    “……政治化が一歩進むたびに、われわれには責務が負わされる。その責務によってわれわれは、前もって計算によって立てられていたような、あるいは前もって境界を定められていたような、法/権利のもろもろの基礎事項そのものを考え直し、したがって解釈し直さねばならないのだ。”(p.74)

    “ある人が、掟に刃向かうことを通じて、法的秩序そのものの含む暴力を赤裸々に示すからこそ、人々はその人に対して心ひそかに感嘆するのである。”(p.105)

    “国家、すなわち最大の力をもった法/権利が恐れるものは、犯罪ないしは強奪ではないほかのものである。犯罪や強奪は、……掟(法律)を破って自分だけもうけようとするものである限り、……国家としては恐れるに足りない。……国家が恐れるのは、法/権利を基礎づける暴力である。”(p.108)

  • 「脱構築は正義である」という驚愕の宣言を含む後期デリダ(?)の主著(?)。

    何を言っているか、全然分からないデリダだが、高橋哲哉氏の「デリダ - 脱構築」を読んで、興味をもち、読んでみた。

    アメリカの法哲学を専門とする研究者に対して行われた講演であるためか、他のデリダの著作に比べれば、秩序だって議論は進んでいくので、分かりやすいほうかな。

    でも、やっぱり、それでも相当に難解で、事前に高橋氏の解説書を読んで理解したことを再確認する以上のものはなかなか得られない。

    で、後半、ベンヤミンの「暴力批判論」の話になって、うーん、「暴力批判論」も途中でギブアップした本だよな、それをベースに脱構築されてもなー、と、だんだんつらくなってきた所で、あるページをさかいに急に視界が広がり始める。

    おー、つまり、法や国家の起源に必然的に存在する暴力とそれが存続するための暴力について、言っているわけか!それなら、分かる。そして、それがカントの永久平和論に関連づけられつつ、来るべき民主主義とか、他者への責任(responsibility、つまり、字義通りに応答可能性)とか、決定不可能性のなかで決定し、責任を負う、といった話になると、すらすらと読めてしまう自分に驚く。

    さらに、訳者の解説を読むと、理解できなかったいろいろな話が組合わさりつつ、デリダの形而上学批判、言語感とこの政治/法哲学との関係が実にクリアに見えてくる。

    まだまだ分からないところの方が多いけど、デリダ、特にこの「法の力」は、もう少しつきあってみる価値がありそうだな。

    これからのおつきあいで、理解度が高まることを期待して、満足度は満点に一つ残しておく。

  • [ 内容 ]
    デリダの「政治哲学」。
    「脱構築は正義である」の宣言のもとで、法/権利を越えた正義の観点からナチスによる「最終解決」に極まる法の暴力を批判。
    またハイデガーやベンヤミンの「破壊」のもつ問題点を抉り出し、それらと脱構築との差異を明確に論じたデリダ近年の主著。

    [ 目次 ]
    第1部 正義への権利について/法(=権利)から正義へ
    第2部 ベンヤミンの個人名

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784588099397

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著者プロフィール

ジャック・デリダ(Jacques Derrida):1930-2004年。仏領アルジェリア生まれ。エコール・ノルマル・シュペリウール卒業。西洋形而上学のロゴス中心主義に対する脱構築を唱え、文学、芸術、言語学、政治哲学、歴史学など多くの分野に多大な影響を与えた。著書に『声と現象』『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『ヴェール』(シクスーとの共著)『獣と主権者Ⅰ・Ⅱ』ほか多数。

「2023年 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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