- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784589035707
感想・レビュー・書評
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朝ドラ『ごちそうさん』で一躍注目を浴びた防空法制について。研究者と弁護士の共著で,史料に基づいた事実を中心にして,政府による正しい知識の隠蔽,防空演習の無意味さ,相互監視による避難の困難性を描き出す。二度にわたる青森空襲では,初回の体験で空襲の現実を見,町を離れていた市民が,市の配給停止宣言を受けてやむなく舞い戻り,二度目の被害に遭っている。防空法が空襲犠牲者を増やした悪法であったことは,間違いないだろう。著者の関わった大阪空襲訴訟において,裁判所もそれを認める判断をした。判決の抜粋が収録されているが,これは著者らの主張を客観視する上でも有意義な情報だろう。
本書の何箇所かで言及されているのだが,原発事故やミサイル防衛計画に触れつつ,当時の政府ー市民の構図が現在も続いているとする見立てには違和感を覚えた。表現の自由や個人主義の普及,情報の流通拡大などを経て当時と今とは状況がまるで違っている。いささかミスリーディングで,本書の価値をやや減じているのではないだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
回送先:府中市立新町図書館
大阪空襲訴訟の原告側証人である水島と弁護人であった大前による防空法の検証記録である。防空法制をめぐっては昨年の連続テレビ小説「ごちそうさん」でも仔細に触れられていることだが(制作局が大阪放送局というのもその一因であろう)、本書では感情論をある程度まで排しつつ、実際の運用が「臣民」に対してもたらされた結果について検証をおこなっているといえるだろう。
ただし、仔細に検討すればするほど水島の感情の吐露が出たくなるのだろう、法律運用の弊害部分(とりわけ、都市部からの退避禁止・「疎開」政策の抑制など)を冷徹に分析できているとはお世辞にも言えまい。「助かったかもしれない生命」のリアリズムがあまりにも大きすぎて、「叫ぶことも非難することもできなくなったものたち」に成り代わって代弁するという無謀な思考もしばし散見されることについては課題として見えてくる。
「悪法なりとも法なりき」とする見方は確かにあるにはある(その極限といえるのがナチのショアーであり、アイヒマン裁判でも問題になった「悪の陳腐さ」でもある)。だが、それすら都合のよい展開に「読み替える」浅ましさは問題だろう。そしてそれゆえに水島もまた、同じ轍を踏んではいないのかと評者は危惧するのである。 -
NHK朝ドラで、主人公の悠太郎が、防空訓練をする際、ふつうに燃えている家では本当の防空練習にならないと言って、ガソリンをかけ処罰される場面がある。実はこれは当時の防空訓練に対する批判でもあった。戦前日本には防空法なる法律があって、一般市民に空襲時での防火訓練を課していたが、これが2度の改訂を経て大きく改悪された。その最大のものは、空襲時に避難せず、その場にいて消火訓練にあたれというもので、避難すれば罰せられた。その結果、多くの死傷者を出したのである。国は一方で、焼夷弾の威力はたいしたものではなく、はたきで消せるとか、手袋でつかんで放り出せるとかといった非科学的な広報をし、人々をひたすら消化に向かわせた。その結果、避難していれば助かった人々を多く死においやった。また、アメリカが世界の非難を避けるため事前に空襲を予告したにもかかわらず、その事実をふせ犠牲を増やした。そのねらいは、国民に厭戦気分を生じさせることを恐れ、敵の空襲にひるむことなく、一団となって当たり、国を守る気概をもたせようとしたものである。日本の精神主義の一つのお手本である。本書は、空襲にあって死傷するのと戦場で死傷するのはどう違うのかという叫びから、21世紀になって全国で起こされた空襲訴訟から明らかになった防空法の実体を、具体的な資料をもとにわかりやすく解説したものである。