落語と私

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591089675

作品紹介・あらすじ

文化功労者、桂米朝が語る落語家的人生。

感想・レビュー・書評

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  • 5年前に亡くなられた米朝師匠の本。すごく良かった!面白かった!です。
    私がこの本を知ったきっかけは『絶望名人カフカの人生論』の頭木弘樹さんがお薦めしていたからで、頭木さんにとってのいわゆる「枕頭の書」、非常に大切な愛読書だそう。

    『落語と私』というタイトルだけど個人的なエッセイではなく、「落語とはこういうものですよ」という初心者向け解説本。
    いちばん最初に出たのは1975年で、元々は中高生向けのシリーズだったようです。文庫化が86年?で、この表紙のものは2005年の改訂版ハードカバー。文字も大きく老眼の方でも読みやすいと思います。

    落語の解説書や入門書は多数あって、落語の歴史についてなどの内容はだいたい似たり寄ったりだろうから、どれを読んでも良いんじゃないかなと思いますが、この本は「米朝師匠が書いていること」が最大の特徴です。
    他の本は、大概落語の研究者の方が書いていると思います。米朝さんは落語家であり、同時に研究者だった。
    とにかく米朝さんの語り口が優しく、解説がとても易しいという「優しく易しい」本なので、おすすめです。

    この本は構成が素晴らしくて、最初に米朝さんが知り合いから「落語についての疑問や質問」を募って、各章の中でそれに答えていくという形式です。質問は例えば「なぜ落語というのか」「なぜ女の落語家はいないのか」「落語と漫談とはどう違うのか」「いつごろからこんな芸があるのか」など。
    それはこの本の中でも語られているとおり、落語家と客との対話、著者と読者との対話と同じことだよなと思います。

    「女性の落語家」については、米朝師匠は長年女性の弟子を断っていたけど、三林京子さん(スカーレットの大久保さん)が弟子入りして桂すずめになっているので、それを念頭において読むとニヤニヤできます。

    まず「プロローグ(まえがき)」から泣けてしまった。他の方も書かれてますが、まえがきやあとがき含め、とても励まされる本でした。
    巻末の寄稿は小沢昭一さん!大好きです。小沢昭一さんもだけど、昔の映画を観てると面白い俳優さんたちが多いですね。伊藤雄之助さんとか、由利徹さんとか…。


    ※本についてのレビューは概ねここまでで、ここからはちょっと長い余談なので特に読まなくても結構です。


    ・まずこの本を知るきっかけになった頭木弘樹さん。『絶望名人カフカの…』を読んだきりだったけど、その後NHKの早朝のラジオで『絶望名言』という番組をたまたま聴いて、これで大好きになりました。とにかく頭木さんと川野アナの声と話し方がよくて、早朝4時の一番死にたくなる時間帯に聴くと心に沁みます。
    特に、昨年の8月末に第1回のカフカの回を再放送していたのは良かった。8月31日は自殺する学生が一番多いので、そういう優しさを感じる番組。読書好きには『100分de名著』などと並んで良い番組だと思う。

    ・『絶望名言』もだけど、頭木さんは文学紹介者として様々な作品を優しく易しく解説してくれる。その根っ子にあるのがこの『落語と私』で、常々参考にしているそうだ。
    頭木さんは落語の連載もされているので、単行本化されるのを楽しみにしています。

    ・落語に対していちファンが「勉強する」という言い方をするのが私は好きではない。米朝さんが言うには
    「落語は、古典芸能のはしくれに入れてもらいましても、権威のある芸術性豊かな数々の伝統芸能と肩をならべるのは本当はいけないのだと思います。「わたしどもはそんな御大層なものではございません。ごくつまらないものなんです」という……。ちょっとキザな気どりに思われるかもしれませんが、本来そういう芸なのです。」

    ・落語に限らず、ジャズやSFなんかもそう。元々大衆的で身近な娯楽なのに「勉強する」とは……。
    アカデミックな権威づけが必要な時もたしかにあると思うけど、ハードルを高くして「たいそうご立派」なものにしてしまいがちなのは、我々ファンのせいもあるのでは。SFなんかはそのせいで一時期ものすごく閉鎖的な世界になってしまったと思う。そうなるとものすごく先細りになる。
    読書自体、大槻ケンヂの言葉を借りれば「90年代は誰も本を読まなくなった」。誰もが楽しめるはずの映画も、今やそうなってはいないか?と思う。
    米朝さんや頭木さんの語り方は、常にこのハードルを下げようとする。落語や文学を再び身近なものにしようとしている。

    ・ロックも同様、プログレの反動としてパンクが出てきた。落語が途絶えず続いてきたのは、新しいスタイルの落語家が出てくる懐の深さがあるからでは。

    ・私は特に落語ファンというわけではなくて、「気が向いたら聴く」という感じで、ハマる時期に波がある。噺の題目もそんなに知らないし、落語家についてもほとんど詳しくない。
    子供の頃〜若い頃でテレビで落語を見た記憶があるのは柳家小三治さん。新作落語だと春風亭柳昇さん(昇太の師匠)が印象に残っているぐらい。
    上方落語だと全然で、桂文珍が出ていると「また文珍か…」とチャンネルを変えていた笑。私の世代だと文珍=『さんまの名探偵』の死体だからしょうがない。漫才ブームのあと、ひょうきん族からお笑い第三世代の直撃世代なので、落語を観てもあまり面白いとは感じなかった。

    ・考えが変わってきたのは、落語ってただ単に笑わせるだけのものじゃないんだ!と気づけたから。
    さらにそのきっかけは、松本人志のコントと、志村けんのわりと最近のコントを観て、彼らが表現しているものはやはり単なる笑いだけのものではないと気づいたからです。

    ・決め手になったのは、テレビでたまたま桂雀々さんの落語を観たとき。思わず落涙してしまった。雀々さんの師匠が枝雀さん。
    雀々さんは『贋作 男はつらいよ』で大阪版寅さんを演じていたけど、喜劇役者としての笑い、ドラマとしてはあまり笑えるものではなかった。ただ3話ぐらいで「寅のアリア」の代わりに落語を披露するシーンがあって、そこはものすごく良かった!
    ドラマ版の1〜2話は歌子さん、3〜4話はぼたんの回(寅次郎夕焼け小焼け)を再構成していて、ぼたんの回は映画版のツッコミ所をきちんと改善していたから、実は脚本はしっかりしています。

    ・上方落語を知るきっかけになったのも志村けんだった。「だっふんだ」の元ネタは枝雀さんである、と。同じ頃、関西の先輩も枝雀師匠が好きということを聞いた。私より10歳前後上の世代にとっては、やはり枝雀師匠の存在は大きかったのではと。

    ・その師匠が米朝さんで…というところでようやくこの本の話に戻る。まだご存命の頃にテレビでお顔は拝見していたけど、落語そのものは聴いていなかった。米朝さんの弟子、月亭可朝、枝雀、ざこば…バラバラでめちゃくちゃやん笑。生物多様性か!

    ・この本の中の、70年代の米朝さんの写真の顔がすごく良い。カッコ良さ、可愛らしさ、面白さのすべてがあるお顔。そして内面の強さや厳しさも感じてしまう。
    挿絵もものすごく可愛らしくて、見てるとニヤニヤしてしまう。

    ・たまたま昨日、いつものイケメンの先輩に電話して「そうそう、落語ってお好きでしたっけ?」「好きだけどそんなに詳しくはないよ。でも好きな噺は『天狗裁き』」

    ・『天狗裁き』は元々は上方のネタで江戸に伝わり、上方では途絶えていたようで、米朝師匠は金原亭馬生(志ん生の息子)のを聴いて知り、文献から復活させた。今のスタイルは米朝師匠が十数年かけて作り上げたものだそうだ。ということで見事に話がつながりました。
    先輩が好きなのは、たぶん押井守的世界観だからじゃないかと笑。

  • 昭和50年に、50歳の桂 米朝が少年向けに書いた落語論。
    面白可笑しく丁寧で判り易い文章だが、内容はとても深い。
    落語を本から学びたいと思ったら間違いなくお勧め。

    まぁこの本を読んで私が言いたいと思ったことは、
    小沢昭一さんの寄稿文に全て書かれているのだけれども、
    米朝さんは落語の研究家でありそして実演者でもある大変稀有な存在です。

    米朝さんは、落語研究家 正岡 容の門下生から落語家になっただけあって、
    落語への深い洞察と知識、それに実演家でないと判り得ない経験が豊富。
    その米朝さんの落語論には興味を感じずにはいられません。

    内容は“何故、落語と呼ぶの?”“扇子は何に使うの?”などの素朴な話から、
    ネタ、約束事、由来、歴史など、落語とは何たるかについて幅広く、深く、
    そして米朝さんの感想を交えて判り易く、懇切丁寧に説明されています。

    また、円朝、金語楼、文楽、志ん生、桂 春団治ら落語史上の人物を伝説化せず、
    時代の流れを背景に、彼等の立場、人物像を学術的に捉えた視点は新鮮で面白かったです。

    エピローグには特に考えさせられることが多かったので引用して結びといたします。

    ●落語は現世肯定の芸であります。
    (感想:「落語は人間の業の肯定」と言った立川 談志と同じ考察か。)

    ●落語には極悪人は出て来ませんが、大人物も出て来ません。
    大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、一日一日が無事にすぎて、
    なんとか子や孫が育って自分はとしよりになって、やがて死ぬんだ……それでいい
    ――というような芸です。
    (感想:普通のことがなかなかどうして。そうありたいものです。本当。)

    ●落語の基礎とするのはごく普通の「常識」、これであると思います。
    (感想:常識を持たない人間は、非常識を語れないということか。)

    ●落語は汗を流して大熱演する芸ではないのです。
    根底の、そもそもが「これは嘘ですよ、おどけばなしなんです。
    だまされたでしょう。アッハッハッハ」という姿勢のものなのです。
    (感想: 落語は大衆芸能であるべき。”落ち”があるから気取らずに聴ける。
    “落ち”で緊張が弛緩され現実世界に戻る。“落ち”があるから落語という)

    ●落語というものは、「人を馬鹿にした芸」なのですから、洒落が生命なのです。
    (感想:以前、高座でふて腐れて引込んだ奴が居たなぁ。確かに笑わせてナンボ。)

    特に、この本の結びでもあり、師匠の桂 米団治から言われたという言葉は、
    頭脳労働サラリーマンの身にも染みるお言葉でした…。
    ●「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良えの悪いのと言うて…
    むさぼってはいかん。…値打は世間がきめてくれる。
    ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途はない。
    また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」

  • おすすめ資料 第50回末路哀れは覚悟の前やで(2007.11.9)
     
    大阪商工会議所の試算によると上方落語の定席「天満天神繁昌亭」開席後1年間の経済波及効果は総額116億3000万円に上るそうです。

    テレビでの「タイガー&ドラゴン」のヒットなど、東西を問わず落語が人気で、少し大きな書店には落語本のコーナーが設けられ、かなりの数の書籍がならべられたりしていますが、それらのうちの多くは名人上手の芸談であったり、落語の演目の解説がほとんどで、落語というものが一体どのような芸能であるのかを過不足なく説いてくれるような書物を探し当てるのは、なかなか難しいのではないでしょうか。

    今回紹介する『落語と私』は、落語界唯一人の人間国宝である米朝師が、若いひと向けに書いた入門書という体裁をとってはいますが、解説の小沢昭一氏が「芸能実演家必読の書」というように、玄人にさえ、読むほどにその含蓄の奥深さが感じられる内容となっています。

    「人生の百科事典」ともいえる落語は、生の演者が客の反応を見ながら演じるインタラクティブなライブ感が身上の芸能です。
    「笑門来福」、この書物をナビゲーターに、ぜひ一度<生>の高座に接して落語の楽しさを味わっていただけたらと思います。

  • 米朝さんの落語愛があふれている。
    すごく読みやすい。
    ぜひ、寄席に行ってみたいと思わせられました。

  • たいしたことない

  • 寄席通いが楽しみの一つです
    よくぞ
    「落語」という芸能が
    今の世にあってくれることを
    嬉しく思っています

    上方落語の牽引車のお一人である
    桂米朝さん
    落語の研究者でもあり
    米朝一門の総帥でもある
    その米朝さんの
    「落語」への
    ラブレターがこの一冊です

    どっぷり落語の世界に
    はまっている人はむろんのこと
    まだ、これからの人にも
    ぜひ薦めたい一冊です

  • 2016年7月30日読了。
    すっごくよかった。とにかく最後のひとことがいい・・・。
    落語についてもすごくよくわかるし。

  • 落語の歴史から寄席の流れ、作品まで、すごく分かりやすく説明されている落語の入門書。ただそれだけではなく、人間国宝桂米朝にしか言えない見解も随所にある。素晴らしい本でした。

  • これは面白い。
    とにかく落語について何かしら知りたい!という手探り状態だったので、教科書みたいに読めて嬉しいです。

    中学生以上が対象で出版された本のようなので、落語初心者の私でも大変読みやすく、魅力的。
    ますます落語に興味がわきました!
    これはオススメなのです!

    落語と講談と漫談の違いの件が興味深いですね。

  • 私と落語

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著者プロフィール

桂 米朝(かつら・べいちょう)落語家。本名・中川清。1925(大正14)年11月6日、満州大連生まれ、兵庫県姫路市育ち。1943(昭和18)年、作家・寄席文化研究家の正岡容に師事。1947(昭和22)年、四代目桂米団治に入門、三代目桂米朝を名乗る。戦後、衰退の一途にあった上方落語の復興に尽力。途絶えていた数多くの噺を再構成して復活させ、多数の弟子を育て、サンケイホールをはじめ全国各地での独演会を成功・定着させた。上方落語四天王の一人にして中興の祖。文化勲章、重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化功労者、紫綬褒章など受章・顕彰多数。著書『米朝上方落語選(正・続)』(立風書房)、『上方落語ノート(1~4集)』(青蛙房)、『桂米朝集成(1~4巻)』(岩波書店)など。

「2013年 『米朝落語全集 増補改訂版 第一巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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