- Amazon.co.jp ・本 (487ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591090909
作品紹介・あらすじ
作家、書店員、恩師、友人、恋人…生前近しかった13人による書き下ろしコラムと雑誌「幻想文学」に掲載されたブックレビュー7篇も特別収録。
感想・レビュー・書評
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(2023/07/12)
物語の中の人みたいだと思う。
今年なにか文庫買うとしたらこの本にしたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
復刊時に購入したけれど、怖くて読めないでいた。感想、むつかしいな。本が大好きで、本ばかり読んで過ごしてきたけれど、彼女が超えた先の世界まで行きつけないで、ずっといる。渇望しながら、超えたら戻ってこれないよと、躊躇して足踏みしたまま、ずっといる。敵わないな、と思う。そんな私に、彼女を讃えたり、諭したり、咎めたりする資格はない。『二十歳の原点』を思い出したけれど、私は奥歯の方がずっと好き。賢くて、いっぱいいっぱい考えすぎるほど考えて、でもなによりもかわいらしい。崩れた心さえもかわいくて愛おしくて、悲しくなる。
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気になることがあり本書を読みました。
気になることはより大きな気になることとして心に根付き大きく育ちつつあります。
彼女の著作がある種の方々にとって聖書のようなものだというのが少し分かる気がします。何故なら彼女は彼女の中の絶対神だからです。
絶対神は揺るぎません。
彼女は彼女に対し常に決断者であり、要求者です。
でも奥歯は虫歯になり易い箇所だということを僕等は知っているのです。 -
7年ぶりの復刊。私という一冊の本を、私が破棄してはいけない? いけない。そんなことをしてはいけない。私は、物語をまもる者だから。今も、そして死の最後の瞬間にも。伝説のウェブ日記、ついに復刊!「物語」を愛してやまなかった人が、今、あなたに読まれる物語になった。圧倒的な感性。驚くべき思考の世界。若き女性編集者が、世を去る直前まで綴りつづけた、深遠で切実な心の記録。作家、書店員、恩師、友人、恋人… 生前近しかった13人による書き下ろしコラムと、雑誌「幻想文学」に掲載されたブックレビュー7篇も特別収録。▼内容◆日記(二〇〇一年六月一三日〜二〇〇三年四月二六日)◆記憶 -あの日、彼女と--空耳のこんにちは(雪雪)--教室の二階堂奥歯(鹿島徹)--エディトリアル・ワーカーとして(東雅夫)--二〇〇二年の夏衣(佐藤弓生)--六本脚の蝶から(津原泰水)--夏のなかの夏(西崎憲)--奥歯さんのこと(穂村弘)--主体と客体の狭間(高原英理)--最後の仕事(中野翠)--二階堂さんの思ひ出に添へて(高遠弘美)--夜曲(松本楽志)--ポッピンアイの祈り(石神茉莉)--旅(吉住哲)◆特別収録:「幻想文学」ブックレビュー
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化粧品や洋服などを愛する普通の女の子でありながら、本当に多くの本を読んでいた二階堂奥歯の日記。著者がもし今も生きていたなら、今はどんな本を読んでいるのか知りたかった。
普段の自分の読書量がいかに少ないか恥ずかしくなるほどの膨大な本の数と引用に圧倒される。後半の、死にたいという感情と引用を書き連ねた転がり落ちるような展開は読んでいると渦に飲み込まれるかのような気持ちだった。
著者に宛てた雪雪さんの文章も良かった。
この本を持ち歩いていると、心強い思いがした。 -
あまりに鮮烈な生の記憶。エッセイ? は普段読まないのだが、この本は食事の時間も惜しいほど熱中した。サイトも残されているらしいが、紙媒体で読むことをお勧めする。あまりに知に鋭敏過ぎたのだと感じた。そしてまた、彼女に学ぶのは構わないが、彼女を信じてしまうことは彼女が忌むところの盲従に他ならないのだとも。何度も繰り返し読みたいが、「クトゥルーの眼差し」めいた視線を感じるので夜は読めない。私は書くものだが尋くものでも守るものでもありたいと願う。
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読んだ本を人に話すのが苦手だ。本についての感想を話し合うのは好きなのに、話題はいつも相手が読んだ本についてばかりになる。「あなたは最近何を読んでいるの?」と聞かれても適当に濁してしまう癖がついている。理由はごく単純だ。今まで正直に告白して良い顔をされた覚えが無いからである。
「読書傾向はその人の人となりを表す」という言葉がもし真実であるのなら、あまり一般には良い顔をされないのが私の本性ということなのだろうか。などといちいいち自虐に陥るのも癪に触るので、自然と好きな本については口を噤むようになってしまった。
しかし先日、二階堂奥歯さん著「八本足の蝶」を入手し、その読書傾向に物凄い親近感を抱いてしまった。ほぼ同世代、見覚えのある誌名、ブランド、フェティッシュたち。読書の間、私は彼女となにも思い煩うことなく語り合っているような気持ちに浸っていた。そのコルセット、私も欲しかった。あの人形、あの絵、あの本、いつか手元に置けたらいいと思っていた。あなたが良いと言うのなら、今度その本を探しに古書店を回ってみよう。……できるなら、ずっとそんな会話を続けていたかったと思う。読み始める前から知っていた結末が、読み進めて行くうちに氷の上に置いた錘のように胸の中に沈み込む。
心より二階堂奥歯さんのご冥福をお祈りします。 -
私の大切な大切な本の1冊。Web日記から書籍になって、改めて読んでいるとそれまでうすぼんやりとしていた奥歯さんの輪郭がくっきりと浮かび上がってきて、その思考がなだらかに入り込んでくる。そして力強さを感じる。彼女を抱きしめるようにそっと本を抱く。ふと本から温度が発せられ温かなものが私の皮膚を肉を血液を通して流れ込むような感じを覚える。彼女の肉体はもうこの世にないけれど、精神と魂はこうして受け継がれる。(2006年2月読了)
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ようやく読めた。図書館万歳。
国書刊行会の編集者だった彼女がウェブで綴っていた膨大な読書日記と思考の軌跡の数々。
書評読むたびに、(あたりまえだけど)作家だからか読書量すごいし聞いたことない作家がずらりと並ぶけど、二階堂さんの書評は質、量ともに群を抜いている。私はフェミニストではないから共感できない部分もあったけど、自分があまりにも自分らしいと感じる避けて読まない作家の本をたくさん読まれていて、揺さぶられた。(私はあまりにも私らしいと思うものはなかなか読まない)
全開な人だったんだな、という印象。
あけっぴろげではないけど、自分と物語にたいして全開な人。
40代50代になった彼女の書評を読みたかった。
彼女の青山正明さんに対する言葉をそのまま借りるなら、「死ぬ瞬間幸福に飛べたのならよいのだけれど。」
図書館派というのもなんだかうれしい。
そりゃ、この読書量じゃ全部買うのは無理か。 -
とても深い思索の糸に絡めとられてしまいそうに、なりました。
生きていることの方が、死ぬよりも苦しいっていうことも、あるのかもしれないですね。死んでからのことは感じられないから、比較の仕様がありませんけれど。
読んでいる最中、何度も何度も本も目も閉じて自分の思索の糸を辿ってしまいます。残酷なまでに増殖し続ける書物の世界に、たゆたいたい、そう感じさせられました。 -
自分の好きな作家についての評文が載っているらしい、という事を知り手に取った。
読み終えて既読、未読の本も含め、この方と自分は割と読書傾向が似ているらしい事が分かり、紹介された本の数々に改めて思いをはせると共に、その夭折を残念に思った。
自分自身の感性をどうしても変えることができなかった故の結果だろうが……身の回りの好きなもの達を次々語る楽しげな口調が次第に変質していく日記文はとても痛ましく、結末が悲しい。 -
自ら決める。
ってな事で、二階堂奥歯の『八本脚の蝶』
2001年6月13日から自らの意志でこの世を去る2003年4月26日までのネット上で発表された彼女の日記。
好奇心から読み始めて、ぐちゃぐちゃな感情へと引きずり込まれる。
中盤までは二階堂奥歯と言う人間の真っ直ぐさ、濁りの無い強烈な真っ直ぐさに興味を持ち惹かれていく感じ
中盤過ぎからは徐々に曲がり出してくる真っ直ぐさに目を背けたくなるが、目が離せない
結末を知っているのに、ハラハラしながら読んでる背徳感と言うのか
分かりたい、分かりたくない、分からない、分かりえない
何でと思うわしに、二階堂奥歯もなんで分かってくれないのと思うんじゃろうか
これは本人しか分からない事であると思うし、本人でも分からない事じゃないかと思う
真っ直ぐ過ぎてほんの少しええ加減さも許されない、選択しない、出来ない状態じゃったのか
自ら決めるボタンを押せるのは真っ直ぐな人、真面目な人が多いんじゃないかとわしは思う
自らを最大限否定して真っ直ぐに肯定しているのか
ええ加減なわしはボタンは押せないな
その境地まで辿り着いて、無事に生還したT氏と呑みながらその時の話を聞いてみたい。
2022年12冊目 -
知らない多くの本が引用されていて読書の幅が広がるのでとても参考になる。
内容自体は引き摺り込まれる人が多いだろうなといった感じ。特に他人の傷と自分の傷を重ね合わせる人にとってはつらいかもしれない。
何かドカンとしたインパクトがあるわけではないけれど日記の中に常に漂う躁鬱のような感情は人を惹きつけるカリスマのような何かと何をやっても自分が救われることのない矛盾性を感じた。 -
大大大好きな本なんです。
今回が読むの3周目なんだけど、一番刺激的だった気がする。
こんなふうに自殺してみたい…こういういなくなり方をしたい!
憧れだか同化願望だか、つまり人によっては劇薬になりうる魔力。
それがこの本にはある…できれば文庫版より、原本を手に取ってみてほしい。
より奥歯さんの魔法にかかれるから。
原本はもう絶版みたいなんだけど、私は中古で買った。
奥歯さんの魔法にかかっていたかった…また人間的に成長した時に、もう一度奥歯さんに会いたくなった時に、読み返したい本。 -
自分で作り出した山に駆け上がり、眺望に感激した。山を作ると相対的に谷ができるのだけど、それには目をつぶって飛び込んだ。今思うと、あの頃の私は無敵状態だった。でも、闇雲にダッシュし続けると、とんでもないところで無敵状態が終わるのだった。
自分が必要とされていない時も外界に存在して意識を持ち続けないといけないから、悲しいこともある。
道具になりたい。特異的な容器となって、自我を手放し全一性の光の中に溶けてしまいたい。でも、「私」をあずけて楽になっていいの?
この躰からあふれ流れるもの、それは例えば涙ではなくて、私の意思、わたし。もっと溶けて流れてゆけ。私がなくなるまで。
何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることができる。
感情はせいぜい利用すること。最大のエネルギー源だから。
あなたが大切に思っているものを、私は今でも大切に思っている。大丈夫だから。安心して。それを信じて構わないから。あなたが愛しているものを、愛しなさい。
自分自身から離れれば離れるほど、作り物になればなる程愛されることを知っている。しかし、その身体は作られたときから崩壊が始まっているのだ。
崩壊が必ず来ると知っていながら見る未来。だって、崩壊の原因は自分自身なのだから。自分自身によって内側から浸食されつつある存在価値。ねえ腐っていく音聞こえないですか?私の中から腐っていく音聞こえないですか?
崩れる寸前までは完璧でいるから。崖から落ちるまでは見事に踊って見せるからね。
私がぐずぐずして全てを言葉にするのを拒み続けるならば、運命はもっと悲惨な状況を用意することで、無理やり壁を越えさせるだろう。けれど、ストレスは一向に減らない。
私達は強くない。賢くない。悟らない。ずっとは。ずっとのあいだは。でも、一瞬なら。一瞬なら強くなれる。一瞬なら賢くなれる。一瞬なら悟れる。一瞬なら、水面を破ることさえも。自分からさえ跳ね上がることができる。そして私達は、それを思い出にする。
苦痛は眠りに似ている。自我を手放して休むことができるから。
どうしても疲れたならば、苦痛を求めなさい。苦痛があなたを支配している間だけは、目を閉じて意識を飛ばしてもいい。
行き止まりに見えていた道にまだ先があると気づかせてもらえることは喜びだ。
私はどんどん空っぽになっていった。空っぽになりながら、心の底から絞るようにして、悔しいと思った。
「私」は目を閉じることによって、世界を遮断したかのように思い込むことができる。しかし、「私」は〈私〉を閉じることはできない。
しなければならないことは可能なことでなければならない。
逃げ道はある。逃げなければならないものから逃げ出すんだ。立ち直るな。退却しろ。あなたは敗北したのだから。退路を探すんだ。
でもね。これだけは知ってて。本当はね。本当の本当はね。世界はあなたのことを愛しているよ。あなたの周りの人々も。あなたが幸せでいられますように。あなたが世界に許されますように。あなたが、あなたを、あなた自身を許せますように。 -
まだ復刊される前に、びっくりするような値段で古書店で買った。二階堂奥歯という人は、もう亡くなっているということを除いてもとても遠い世界にいる人。少女時代だった自分のバイブル的な本。
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友人に勧められた本。内容を熱く解説してくださっただけでなく「この図書館に置いてもらえるようにリクエストしておいたから、行ったら読めます!」と所蔵図書館まで教えてもらっておりながら、その勧めから半年程間が空いてしまいました。ようやく例の図書館で借りて、途中高速で飛ばしつつも最後まで読了。
読んでいてまず、大変趣味の良い方だったんだな、ということがよく伝わってきました。
と同時に、哲学科を卒業したての、膨大な知を読み尽くしたインテリ(であろうと背伸びをしている一人の女性)であることがこれでもかという程理解させられる文章。いや、記録、というべきか……。
ともかく、「生きていたんだよな、この人」という感慨を持ちながら一つ一つの文章を読み解くのは大変に複雑な感情を伴う作業であり、とても心地いいと言える読書ではなかったです。
なかったのですが、日記ひとつひとつの記事に妙に「読ませる」力のある言葉が毎回数々散りばめられており、その力強さがまた「あぁ、やっぱり生きていたんだよな、この人」という思いを強く抱かせるのでした。
多分、私はこの人と趣味が合って、生きてお会い出来てたら延々、お互いが好きな話をし続けられる気がします。同じく哲学科卒だし。
何というかな、お読みいただければ分かるように、二階堂奥歯という人物と言葉を交信出来る人間は、非常に少なかっただろうと想像出来ます。
ただ、読み終えた今、私は多分この人と交信可能な人間の1人なんじゃないかという妙な確信めいた自信は抱いておるのですね。
この本を読み終わった現在にあっては、「もう17年も前に亡くなった一人の女性」なんですが、今生きてそこにいる人のように二階堂奥歯という人を感じられるくらいには、この人の人となりが非常によく分かる。
そして感じることには、
「いっ、いるわぁ〜。こういう哲学女子」
別段私が人生の中で出会ってきた人の中では珍しい部類ではなかったのでした。むしろいる。どこにでもいるとは言わないが、いるところには必ずいるわこういう子。
そして、そういう子に限って「背伸びしたがり」なのです。
そもそも「背伸び」以外に哲学書なんかを紐解くモチベーションなど無いと言えば無いんですが。
背伸びしてる自分が好きで、背伸びに伴う努力や苦労が深い造詣として多方面に渡っていればいるほど尚優越感が満たされるような精神構造をしているのです。優越感を満たそうとする欲求が「物欲」「読書欲」として現れるのです。必然的にタロット、クトゥルフ、貞操帯、SF、コスメ、怪獣……と非常に「趣味の良い」オタクと化していきます。よく分かります。よく分かりすぎてつらい。
2003年4月から急に日記の記述が物々しくなるあたりのちょっと前から前兆はあったと思いますが、結局この大変趣味の良いお嬢さんが自死しなければいけなかった理由は、よく理解出来ません。
書かれてない部分で多分何かあったと推測し、せめて例の4月頭の段階で良い精神科にかかるか何かがあったなら、と思うくらいしか、彼女の死について私に出来ることはありません。
お墓は「東北のどこかの山の上」ということだそうで、めっちゃ近いところにいるな、と思いつつ
「バカだなあ」
と、私も思って本を閉じたのでした。 -
うかつに感想を書けない。まだ書くだけの力が自分にないと感じる。
数日気分が落ち込みました。
引用されている本が気になるのでこれから読書の幅が広がりそう。
そういう意味でも一読の価値ありです。
不謹慎は承知の上で、これだけ惜しまれてそれだけの才能があって、羨ましく妬ましい。 -
暗黒寄りの幻想趣味と哲学を好み、膨大な量の本を読んで生きた女性が25歳で自らの命を絶つまでの日記。同世代だが、彼女の止まってしまった年齢は、もう娘といっていいほど遠くにある。
生きることの恐怖から、死へと疾走する後半のその痛み、身を削る思考に至る引用・引用・引用。日記そのものに対する、わたしの感想はもう言葉にできない。
この魅力的で不安定な魂をこの世につなぎとめられなかった、彼女を愛する人たちのかなしみは察してあまりある。日記の末尾に置かれる、彼女の近しい人々の追悼文は、いずれも手練れの文章で、ああもうやめてと小さく悲鳴をもらす。 -
どうしたらいいんだろう。
自分の恋人が死に瀕している。
気休めの言葉では引き戻せない。
自分より智に優れた人に以前より惹かれている。
どうしたらいいんだろう。、 -
自分の力量不足を痛感しました。哲学や宗教の話はどうにもちんぷんかんぷん。それでもグイグイ貪るように読めたのは、二階堂奥歯さんのモノの見方が好きで、奥歯さんが紡ぐ物語が好きだからだと思う。
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【R.I.P.】否定神学【R.I.P.】
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編集者であり、レビュアーであり、そして若くして自らの命を絶った、二階堂奥歯がWEB上に残した日記。
その日記と、生前彼女と関係があった何人かが書き記した彼女。
日記の中に、非常に多くでてくる書籍名、著者名。
短い時間のなか、自らの生活をしつつ(彼女には恋人もいたのです)、これだけ多くの本を読んでいるということに、プロの編集者としてのすごさを感じた。
それも、おそらく仕事として読んだ本ではない書籍の多さに。
ただ、本は人それぞれ好みによって偏りがあり、その偏よった読書が、また偏った人を育てるのではないだろうか?
私の読んできた本を、あまりに重なっていないその書名群をみながらそんなことを考えた。
タイトルから本の中身を想像しつつ、そんなことを考えた。
とはいえ、日記は書名の羅列に終わっているのではない。
そこには、毎日生きている奥歯の姿が、きちんと描かれている。
そもそも、日記であるから、それが真実かどうかはわからないが、日記上での奥歯はきちんと生きている。
若くして自らの命を絶つ人、ものすごくものを考えてそうな人たちはどんな思考を辿って、そこにたどりつくのだろう?と少しの疑問を隠したまま読み進んだが、結局最後、それはわからなかった。
ただ、彼女の人生を垣間見た思いは残った。 -
この方が書く文章を、世界観を、もっと知りたかったなあと思う
2秒ならわたしにも出来るだろうかとか考えた -
わたしの読書の始まり
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頑張った彼女にお疲れ様と言いたい