2006年に映画化された『ゆれる』を監督の「西川美和」が自ら小説家した『ゆれる』を読みました。
最近、なかなか読書の時間が取れず読了するまで時間がかかりましたねぇ。
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東京でカメラマンとして活躍する弟。
実家に残り、家業と父親の世話に明け暮れる兄。
対照的な兄弟、だが二人は互いを尊敬していた、あの事件が起こるまでは…。
監督デビュー作『蛇イチゴ』で映画賞を総ナメにした俊英「西川美和」が4年ぶりに挑んだ完全オリジナル作品を、自らが小説化。
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映画『ゆれる』は好きな作品で、何度か観ているのですが、、、
心理描写について具体的な説明が不足気味なので、気持ちが"ゆれる"部分の解釈については、一人ひとり異なっていると思います。
本作は登場人物達が、それぞれの視点で一人称で語る構成となっているので、その場面場面のそれぞれの気持ちが明確に分かる内容になっており、映画では想像するしかなかった部分の謎解きができた作品でしたね。
あの笑みや怒りの意味は… 一つひとつの事柄について、あ~っ、そうなんだぁ… と思いながら読みました。
≪ちょっとネタバレ≫
兄「稔」を庇おうとする「猛」。
でも、それは兄を思う純粋な気持ちじゃなく、自分が殺人犯の弟になりたくないという気持ちからなんですよね。
それまで弟「猛」のことを誇りに感じ、自分の宝だと思っていたのに、弟「猛」の本心に気付いた兄「稔」は意図的に「猛」を煽るような言動を発し、、、
それにより「猛」は法廷で兄「稔」が「智恵子」を突き落としたと偽証… 「稔」は反論せず有罪に。
なんか哀しいですね。
お互いを信じられなくなったときの人間の行動って、思いがけない行動をとるもんなんですよねぇ。
本作品、映画の謎解きができて嬉しいと感じる反面、なんだか残念なような、そんな気持ちも感じました。
映画って、心情を全て表現するのは無理だし、ある程度、観客の解釈に委ねる部分があってイイと思うんですよね。
そう思えば読まなきゃイイんだろうけど、自分の解釈が合っていたのかどうか知りたい気持ちを抑え切れなかったですねぇ。
まぁ、本作の場合、小説化されないと真実はわかりようがないので、このような表現方法も許されるのかな… という気もします。
それにしても、心理描写があまりにもリアルなので、読んでいて少し疲れました。
こんな気持ちになるのは「東野圭吾」作品以来ですね。