小鳥か私

著者 :
  • ポプラ社
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  • レビュー :4
  • Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591105405

作品紹介・あらすじ

出て行こう。あの家から。この村から。公園のトイレに駆け込んで暗くなるまで身をひそめていた。財布には四十円しかなかった。バスにも乗れない。水洗トイレの水が凍っていた。セーラー服の下はタンクトップ一枚だ。土手を滑り落ちるように川原に下り、大きな岩の間に隠れていると父の姿が見えた。絶対に見つかってはならない!雪が降ってきた。このまま凍えてしまうのか。家の中で死んでいった、あの小鳥たちのように-。虚飾なき言葉が響きわたる、衝撃のデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • うーん 強烈でした。
    445ページ、怒涛の、ほぼほぼイッキ読みでした。
    友人に紹介されて読んだ本です。
    2008年の小説本、作者は新人さん。

    とってもざっくり言うと。
    日本の地方を舞台に、母を兄弟を、やがては父も、亡くしてしまった女の子。小学校、中学校、高校。上京しての大学。そして社会人、と経済的に貧しい中で生き抜いていく、というお話です。
    時代設定は1970年代~2000年代(出版当時の現代)です。

    そこには死があったり家族の不和があったり知人からの心無い仕打ちや偏見があったり、田舎の共同体の現実的な息苦しさがあったり、恋があったり幻滅があったり性があったり、同棲があったり不倫があったり病気があったり、ヤケクソと希望と再生と自堕落と愛と血と涙が、コレデモカとばかりにてんこ盛り。
    実に大変にドラマチックな30年間くらいのジェットコースター。
    分量の割に冗長なところが無く、重く暗くはありますが、けっこうエンターテイメントだったりします。
    文章表現ですから内面描写でぐいぐいと押していくんですが、コトバ的な装飾が少なく、相当にハードボイルドだったり、時折グッと詩的だったり。
    自意識過剰なクドさがありませんでした。

    身も蓋もなく言ってしまうと。
    精神的な孤独感。
    家族や共同体や「健全な市民社会」ってものからの疎外感。
    そして現実的な経済的な困窮。
    …っていうことなんですが。
    細部描写がとても豊富なので、ものすごく説得力があります。
    目の前に疑似体験として浮かび上がってくる感じです。

    上記のような孤独感、疎外感、経済的な引け目、と言ったようなものがあるときに。
    それは、当事者ではない、対岸に居る者からすると、皮膚感覚としてなかなか判りずらいものです。
    それでもなお、対岸の人たちと同じような姿勢で現実的に暮らしていくことは、実は大変に難しいことです。
    そして哀しいかな、対岸に居る者は、
    「それでもその人がちゃんとしてればいいのにサ。本人の問題じゃない?」
    みたいな一言で済ましてしまうことが多いんですよね。

    この場合、面倒なのは、その「対岸に居る人」というのは、あくまで精神的な立ち位置なんですね。
    その人の精神史的なことでしかないので。
    物理的には物凄く近くに居ても、対岸は対岸なんですよね。
    例えば、クラスや職場で隣の席だったりしても。

    そういう意味で、久しぶりに、「当事者意識の問題」というのを感じました。
    個人的には、沖縄で暮らしていた若い時期に、いわゆる基地問題ということからはじまって、色んなところで痛感したコトなんですが。
    だからと言って、特段な解決策や妙案がある訳ではまったくなくて。

    「同情してもしょうがなくて、同情するのは見下していることと、とても近い」ということとか。

    「どこまで行っても、ひとりひとり顔かたちと同じように”違い”というものはあるので、安易に同化しようとしたり、分かったような気になったり、罪悪感を持っても、これまたしょうがない」ということとか。

    「どこまで行っても、善悪や優劣の問題では決してない、というダンコたる確信を持つことしか出来ない」ということとか。

    そういうことでしかないのかなあ、と。
    簡単に結論を出して良い話題ではないので、まあ、死ぬまで時折は考え悩みながら暮らすべき事柄なんですけどね。
    想像力の問題でもあります。



    いつも思うのですが、想像力の問題、というコトで言うと。
    やはり映画やドラマや本という「疑似体験」っていうのは大事だと思うんですよね。
    やはり、とっかかりとか具体例が無いと、想像も出発できませんから。
    恋愛映画や恋愛小説を読んで、恋愛の美しさや甘さや苦さや醜さを疑似体験して、そこからの想像力で現実を判断して生きる訳ですし。

    「戦争」や「死」や「貧しさ」や「差別」や、「江戸時代」とか「大家族」とか「子どもの愛らしさ」とか「スキー」でも「アメリカ」でも「ナチス」でも「殺し屋」でも「豊かな自然」でも、「命の大切さ」「人生の辛さ」みたいなことでも。
    何でもやっぱり、自分と家族など周囲の人の見聞や体験があれば、皮膚感覚として実感が持てますけど。
    そうでもなかったら、何かしら無意識でも「疑似体験」からしかヒトはモデルケースを見出せませんからねえ。
    悪い方の例で言えば、いじめも辞さない「いじり」みたいな人間関係しか持てなくなるようなことも、そりゃテレビのバラエティ番組ばかり見ていたら、そうなってしまったりするでしょう。
    (言い方が雑ですみませんが。素敵なバラエティ番組も、もちろんあると思いますが)

    自分の身内に、魚屋さんがいたら、魚屋さんの暮らし、喜びと悲哀、というものがなんとなく想像つくと思います。
    そうすると、肉屋さんでもクリーニング屋さんでも、そこから引き伸ばして想像がつくと思います。
    でも、身内がみんな会社員だったら、そういう自営の人の暮らしや感情って、やっぱりサッパリワカラナイ。実感としては、まったく共感できるアンテナを持たないまま、大人になる人も当然いる訳です。
    それが善だの悪だのって規定するつもりはありませんけどね。何でもかんでも俺は分かる、という人は絶対居ない訳ですから(笑)。
    そこで安易に言うと、細部まで豊かな魚屋さんのお話を見たり読んだりしたら、そこで一つ、疑似体験でも「体験」できて、想像するとっかかりが出来たり。
    「罪と罰」を読んだら、サスペンスの犯罪モノのエンターテイメントの中で、「貧しさ」「不公平」「なぜ人を殺してはいけないのか?」などなどの葛藤を、疑似体験できる訳です。



    そういう意味では、この本も、小説とは言え。
    「自分とは違ってこういう状況の中で暮らす人も、知人にいなくても、日本に現代に、確実に居るんだよなあ」
    という、実に平たい当たり前の実感とともに、「当事者性」だとか、「何が普通なのか」ということについて、当たり前に考えたり想像するきっかけになったりすると思います。

    また、それが1人でも100人でも、「この主人公は自分と似たようなところがある。わかる。同じような血を流しながら世間を泳いでるんだなあ」と思える人もいると思います。
    そういう人にとっては、実はとってもありがたい、孤独から救われる、励ましになる希少な本なのでは、という気もします。

    amazonで購入出来たりするので、気になる人にはお勧めです。



    蛇足ですが。

    実体験でも疑似体験でも、この本の主人公のような具体を知ることで、安易な差別や偏見や批判や悪意が減少すると良いなあ、と思いました。
    この国だけでも、嫌韓やら嫌中やら、テレビやネットで誰かによって作り出される「悪者たち」への熱病的な悪意やら、障害者や妊婦の人への冷たさやら、とにかく深い洞察や考察や想像の無い安易な悪意や切り捨てが、そこかしこに目につくだけに。

  • 夕子の不幸な人生の記録。
    淡々と支離滅裂。
    卑怯であり、優しくもあり、恋もするし、絶望もする。
    破綻しちゃってるいろんなことを隠さない
    その統一感のなさが、なんとも人間らしくて。

    過去と和解しちゃうと生きづらくなる、それは、
    過去の誰かを憎むことで平安を保っていた心が
    支えを失ってしまうから。

  • 大変な人生だねぇ,頑張れって終了 

  • 主人公夕子が3歳の時、二人の弟を道連れにお母さんは自殺をしてしまいます。
    ここから、夕子は「お母さんが自殺をした子」という肩書きに縛られていきます。やがて生活の荒れ始める父親と年老いた祖母の三人での生活となっていきますが、それは淡々とそしてリアルに綴られていきます。
    激しい起伏のある小説ではないだけに、成長していく夕子の人生が、ひしひしと静かに伝わってきます。すごく面白いと言うわけではないのですが、胸に残る一冊でした。

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