(001)憧 (百年文庫)

  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591118832

作品紹介・あらすじ

「自分は、ポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている嘘つきの化けものだ」-。素朴な人間であることを願いながらも実生活を知らず、小さな出来事に夢想をひろげる少女の内面生活を描いた『女生徒』(太宰治)。パリの放埓な暮らしに疲れた若者が田舎の娘に恋をする『ドニイズ』(ラディゲ)。自ら命を絶つ直前に「小母さんへ」と書き出された久坂葉子の遺作『幾度目かの最期』。罪の意識と愛への憧れがほとばしる、青春の自画像ともいうべき三篇。

感想・レビュー・書評

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  • 『女生徒』太宰治
    『ドニイズ』ラディゲ
    『幾度目かの最期』久坂葉子
    の3篇が収められたポプラ社百年文庫シリーズの記念すべき1巻目が、この『憧』です。
    2010年に創刊されてから、時々無性に読みたくなるシリーズ。それはこのシリーズの装丁が大変好みだから。それに各々の短編は、一筋縄でいかないような(つまり、今まで読んだことのない)予想だにしなかった読後感を与えてくれます。まるで手に持つだけで、自分が文学少女(おばちゃん)になったかのような錯覚に陥るのです。今年は、このシリーズ沢山読みたいなと思ってたところに、ブク友さんの書かれた百年文庫シリーズのレビューが!わかるわかるその感覚と嬉しくなっちゃいました。

    “おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。”

    この最後の1文に、はうっ(〃艸〃)とやられちゃう『女生徒』です。
    「私」は朝からいつも厭世的で、酷い後悔ばかりです。例えば、眼鏡をかけるのはいや。女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なもので理屈なんてない。人の思惑を考えながら、嘘ついてペチャペチャやっている、そんな道徳が一変すればいい。ロココが好きなのは、純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だからなどなど、一日中出てくるわ出てくるわ状態です。
    かなり、世間を斜め上から見たような女の子ですよね。だけれど「私」には、ロマンチックな少女らしさを醸し出す面もちゃんとあるのです。それは、昨日縫い上げた新しい下着の胸のところに、小さい白い薔薇の花を刺繍していて、上着を着ちゃうと薔薇は見えなくなるのを得意がっているようなところ。綺麗な夕焼けの空を見上げては、みんなを愛したいと涙が出そうになるところなどなど。美しいものへの憧れが溢れています。
    わたしにもありました。真っ青に晴れ渡った眩しすぎる朝ほど、悲しみが胸に湧いてきたり、視力の悪い女の子のちょっぴり目を細めて遠くを見る姿に憧れたり、更にはお決まりの少女漫画から抜け出したようなカッコいい王子さま...!そんな時代にこの作品を読んでいれば、「私」と変わらないであろう想いに、うわっ自分がいる!とカァーと恥ずかしくなっていただろうと思いました。そんな季節がとうに過ぎ去った今では、子どもと大人の狭間で揺れ動く少女の心の内が愛しいと思えるのです。
    読む時期によって、読後感が変わりそうな物語ですね。

    早熟な少女時代を過ごし、21歳の若さで命を絶った女性、久坂葉子の『幾度目かの最期』
    彼女は、敬愛する太宰治が心中すると、自分も自殺未遂を起こします。彼女の傍らにはいつも死が寄り添っているようで、彼女にとって死とは恐ろしいものではなく、最期の安らぎ、自分を抱いてくれるものだったのではないかと思いました。
    彼女の遺書とも呼べるこの作品には、愛した過去の男、契約上の男、現在愛している男が出てきます。
    彼女の男たちへの愛は1つではありません。過去はたしか。だけど、過去は現在につながっている。だから今も愛しているんだ。輝かしい猛烈な愛情と静かないこいのような愛情。別の感情で
    2人の男を愛していると。今愛している男は、どう見ても彼女を幸せにしてくれそうにないのだけれど、それでも彼を求める彼女には、そうしなければならない愛の業を感じました。
    今愛する男に、私をみじめにしないでと彼女は云います。まさにその通りです。でも、彼女は思い直すのです。自分が自分をみじめにしている、自分が自分をいじめていると...
    赤裸々に描かれた彼女の男たちへの想いが、ゴシップネタのように扱われることなく、文学として世に出ていることを思えば、惜しい人を亡くしたなと思えて仕方ありませんでした。と、同時に書くことを生業にする人の宿命とは、自らの生きざまと死までをも作品として昇華させることなのだろうと執念をも覚える作品でした。

    『ドニイズ』にあっては、『女生徒』とはまた違う意味合いで最後の一文に、はうっΣ(゚ロ゚ノ)ノとなっちゃいました。

    “それなのに、自分が本当に鼾をかくかどうか、僕には死ぬまで知ることが出来ないとは!困った。困った。”

    もう、このボンボンは...

    • 地球っこさん
      まっき~♪さん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。
      礼儀正しいなんてことないですよ 笑
      すぐ形から入るタイプだけなんです。
      ...
      まっき~♪さん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。
      礼儀正しいなんてことないですよ 笑
      すぐ形から入るタイプだけなんです。
      そして、すぐ挫折するのですが……
      でも、今回は何年かかっても全部読んで
      みたいです(*^^*)
      『憧』、初めてのお話ばかりで集中して
      読むことが出来ました♪
      2019/01/14
    • しずくさん
      こちらは随分と暖かい朝ですがそちらもたぶんそうでしょうか?
      コメントを差上げたのは1年前だったのですね、やっと百年文庫に出会えました!
      ...
      こちらは随分と暖かい朝ですがそちらもたぶんそうでしょうか?
      コメントを差上げたのは1年前だったのですね、やっと百年文庫に出会えました!
      想像通りの装丁に嬉しく思っています。ありがとうございました!
      2020/02/14
    • 地球っこさん
      しずくさん、こんにちは。
      こちらは暖かいですが雨が降ってます。
      本来ならミゾレとかになるのてをしょうけど、今年は本当に暖かいですね。
      ...
      しずくさん、こんにちは。
      こちらは暖かいですが雨が降ってます。
      本来ならミゾレとかになるのてをしょうけど、今年は本当に暖かいですね。

      百年文庫の装丁、気に入っていただいて嬉しいです。本って読むだけでなく、装丁や紙質の手触りなどもテンションが上がる要因ですよね(*^^*)
      2020/02/14
  • [女生徒]
     これは少女の住んでいる地獄の話だ。
     
     後半にかけて胸がぐったりと重くなっていき、沈鬱な気持ちになる作品。それは何度読んでも変わらない。語り手である、この少女の終わりのない絶望を前に、読み進めたというより、目が離せない感じがする。

     少女の内面では、電源を落とすことも音量を下げることもできない壊れたテレビのように、乱暴にチャンネルが切り替わる。亡くなった父親の面影が出てきたかと思えば、次には、生きている母への心配に変わり、すぐさま自己嫌悪と自己批判に変わっていく。
     とめどなく、飽くことなく繰り返され変調に、チャンネルの切り替えのたびに取り残された心象風景が、電波障害をきたしてスノーノイズを発しているようなカオスを完成させる。

     地獄はきっとこんな光景なのだろうと、そう思う。

     少女は少しずつ大人の女性になりつつある。それが彼女にとって苦しくたまらない。

     でもその変化は、無慈悲な揺り返しの連続。認知症を患っている人が、その徘徊の途中に、はっと正気に戻って、そのときには眠っていた意識で、鮮明に自分の置かれた状況が理解できるといったふうに。

     少女がなりつつある大人の女性とは、下卑た作り笑いやお追従やらを身に着けて、世間にしっかりと打ち解けて女としての自負を備えて生活する、垢に塗れた世俗的な女性だ。そして、そうでもしなければとうてい生きて行けそうにもない、彼女自身の絶望が、父親を失った母と娘二人の現実によって、くっきりと形を結んでいく。

     少女はあるときには、母を支えて、女として生きることの運命も受け入れて立とうとするが、あるときには、あれほど嫌っていた世俗の女になることへの嫌悪に押し潰されそうになる。

     そうして演じてみる。世俗の女を心では見下しながら、頭ではきっちりとその世俗の女のイメージを作り上げて、見下す心のままで、見下している女の、心にもないことばを口にし、動く。
     現実と観念との摩擦で、少女の心が擦り減り、目に見えない血が流れ落ちていく。
     前にも行けず、かといって来た道を引き返すこともできず、傷が増えていく。
     
     彼女はそれからどうなったのだろう。
     交際好きの母親に勧められるままに、見合いをして嫁入りしたのだろうか。
     職業婦人として、妥協なく世間に立ち向かったのか。
     それとも、途中で自殺してしまったのか。自殺はある意味で、生が押し付けてくる暴力から、精神を守る最後の選択肢なのかもしれない。
     彼女の独白を、膨れ上がった自我だとか、思春期の無知ゆえの妄想癖だとかで語り終えてしまえるか。

     ただ、わたしには「王子さまのいない、シンデレラ」の、決して珍しくはない少女の肖像画が、頭にはっきりとこびりついてはなれない。

  • 百年文庫、100冊の1巻目にして既に濃厚すぎて
    読んだ後にどっぷりと疲弊してしまう。

    太宰治「女生徒」、ラディゲ「ドニイズ」、
    久坂葉子「幾度目かの最期」。

    若く傲慢で破滅的な<憧>たち。
    取り繕うことなくそのままを露呈した人間らしい
    作品ばかりで感情過多な激情の渦にのまれる。

    久坂葉子さんの遺稿となった作品は、
    醜悪なまでに純粋に自分の本能の赴くまま愛を求め、
    身を裂くような愛に焦がれ、穏やかな愛を求め、
    すべての関係を断ち切れず、自分との関係を断ち切った。

    ラディゲ「ドニイズ」は、主人公がまさに「下衆の極み」で
    もう清清しささえ[笑]ラストの間抜けさもかわいくて
    ふっと息抜きしつつ、ラストでまたどーんと疲弊する[笑]

    愛とは理性のきかないところで起きる
    <愛>と<罪>が混沌として混ざり合うことだと
    見事に表現された作品ばかりで圧巻。

  • 眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。

    久しぶりに百年文庫。6冊目は「憧」。このシリーズの1冊目。

    収録は
    太宰治「女生徒」
    ラディゲ「ドニイズ」
    久坂葉子「幾度目かの最期」

    「女生徒」と「幾度目かの最期」は再読。「ドニイズ」もひょっとしたら昔読んだのかもしれない… 百年文庫の1冊目としては「なるほど」と思わせる選び方。

    上に挙げた「女生徒」のつぶやきに会ったのは確か朝日新聞の天声人語での引用ではなかったかと思う。「人間失格」と「走れメロス」しか知らなかった私には「太宰こんな文章を書くのか」ととても印象に残った一節だった。太宰のもので一番好きなものを挙げると「右大臣実朝」かなあ、と思うが、「一番印象に残っているもの」ということでいくとこの「女生徒」かもしれない。

    「女生徒」はやはり魔力のある小説、と今回読み直して思った。文章にからめとられるような読み方は昔からなかなかできないのだけれど、ページをめくってもめくっても「なんと巧い小説なのか」と思ってしまう。そして同時に「ずるい」と。人の良さそうな表情を浮かべながら悪気もなくすっと人の心に割って入ってきて棲みついてしまう… そんな小説。なんだかんだで唸らざるを得ない。

    久坂葉子の小説が並べてあるけれど、どことなく物悲しい。内容もそうなのだが、「女生徒」と並べると「女生徒」の方が圧倒的に魔力があるように私には思えたからだ。「女生徒」はどこを切っても驚くほど「女生徒」の雰囲気をたたえている。自然に書いたように見えて、しっかりコントロールされている(と思う)。太宰の小説に「憧れてしまった」久坂葉子には「女生徒」は永遠に勝てない相手なのかもしれない。無論勝ち負けではないのだけれど、何かに憧れてしまう、というのはその時点で相手に負けてしまっていると感じる、ということなのかもしれない、なんてことを思った。

    後ろの解説を見て知らなかったことがあった。「女生徒」には川端康成も言葉を寄せているのだ。「作者自身の女性的なるもののすぐれていることを現した、典型的な作品」と。川端と太宰と言えば、川端が芥川賞の選考で太宰に苦言を呈したエピソードなどから、仲が悪いイメージしかなかったので少し意外だった。

    このコメントを見て太宰はどう思ったのだろう。「女生徒」の文の隙間から首をもたげる「ずるさ」が作用して「してやったり」なんて思ったこともあったのだろうか。

  • 太宰治、ラディゲ、久坂葉子の3篇。自分にとっては正直全部読みづらかった。ラディゲの『ドニイズ』はオチが面白かった。久坂の『幾度目かの最期』は読んでいてとにかく群を抜いてつらかった。夭逝した3人のこれらの作品を集めてテーマを「憧」とした意味が読後はよくわからなかったけど、百年文庫HPの「編集者より」を読んだら少し納得できた。

  • 太宰治の「女生徒」実にリズミカルで読みやかった。1秒1秒少女?が思い描いく描写を事細かく、言葉として表現した作品。
    久坂葉子の作品は、ノンフィクションだろうか?常に一人の男性を思っているのに、他の男性にも目を向ける行動。気持ちと行動は別?人間として理解できなくない。
    が、個人としては、不器用なので、恋愛対象として多くの人に目を向けられない。パートナーは一人いいし、それだけの余裕はないから。

  • 非常に似通った3作品、なのはこの百年文庫シリーズの企画上当然なのかもw また、それぞれの著者である、ラディゲ(20歳で病死)、久坂(21歳で自殺)、太宰(自殺)に関連性が見られるのも面白いところ。どれもが自己の内面の描写を主題としており、「女生徒」では若き女性主人公が日々のこまごまとした生活を通して自己の内面を吐露する、「ドニイズ」では若き男性主人公の恋愛感が、そして「幾度目かの最期」では自殺未遂を繰り返す久坂自身の本当の最期(久坂はこの作品を書き上げた直後に自殺する)が描かれている。久坂の作品は単なる「遺書」だと思う。なので作品として成立しているのかどうか疑わしい。

  • 漢字一字のイメージで名作短編を収録したアンソロジーの第一弾は「憧」。
    いきなり難易度高めなお題選んだなあ…。収録された作家は全員早逝している(三名中二名は自死)からか、ひりつくような若い感性が痛々しくも鮮やかです。
    以下、三作品の超簡易感想。

    太宰治「女生徒」
    少女と女の隙間にいる女学生の一日を、女学生一人称で描いた作品。色々なものを嫌悪する幼い潔癖さを持ちながらそんな自分を恥じ、成長していく身体に戸惑う思春期の少女らしさがよく出ています。
    自意識のお化けに振り回されるのは何時の時代の少年少女も同じなんだなあ。なんだか愛らしい一編でした。

    ラディゲ「ドニイズ」
    ある青年の恋物語。色々めんどくさい男だな!!と言いたくなる主人公にイライラしながら読み進めました。お気に入りの子が処女だと気分乗らないから、その辺の牧童に金払って抱かせるってどんな展開だ。
    恋する男のダメさと可愛らしさ、その両方が描かれている短編でした。オチの少し滑稽な感じも良かったです。

    久坂葉子「幾度目かの最期」
    23歳で死を選んだ作家の、小母へと当てた最後の手紙。
    若いとはいえ、ここまで恋愛にウェイトを置いているとそりゃ生きにくいだろうなあ。これだけ読むと少し(?)メンヘラっぽい恋愛脳な方にしか見えませんが、それが創作のエネルギーに繋がっていたのかな。
    読み終えたあと巻末の「人と作品」を見て、ああこの人は綺麗な雪を見ずに逝ったのかとなんだか切なくなりました。

    全百冊?というすごい数量ですが、短編は好きだし字が大きめでさくっと読めるので、ゆっくりとシリーズを読み進めようと思います。
    漢字一文字のイメージで百冊というコンセプトには、厨二と乙女の悪魔合体的な魔力を感じざるを得ない…!

  • 太宰治の女生徒、ラディゲのドニイズ、久坂洋子の幾度目かの最期の3作。
    この時代の小説を久々に読んだけど、ずっと独白してる感じ。ドニイズは良さが分からなかったが、他は訳の分からないメンヘラ感にモヤモヤしたり共感できる部分もあったりで面白い。

  • 今なら中二病と一蹴されるであろう、自意識過剰的な3作を一気読みしてしまうとどうにも胸焼けがしてしまう。特に久坂葉子はしんどいので精神的に参っている人は閲覧注意。ま、いい大人が影響受けることはないだろうが‥
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著者プロフィール

1909年〈明治42年〉6月19日-1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。本名は津島 修治。1930年東京大学仏文科に入学、中退。
自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、戦前から戦後にかけて作品を次々に発表した。主な作品に「走れメロス」「お伽草子」「人間失格」がある。没落した華族の女性を主人公にした「斜陽」はベストセラーとなる。典型的な自己破滅型の私小説作家であった。1948年6月13日に愛人であった山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

「2022年 『太宰治大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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