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本 ・本 (154ページ) / ISBN・EAN: 9784591121573
感想・レビュー・書評
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私は「水」に生命のイメージを持っていたけれど、この巻は全体的に「死」の影が濃い。でも「生」の気配も持たせている。生死は分かち難いのかも。
暗い水というよりは、清らかな水。
伊藤整『生物祭』は死と生と性の描写が巧み。
横光利一『春は馬車に乗って』は、まずタイトルが妙。愛がありました。
福永武彦『廃市』はこの巻で一番気に行った。舞台がすごくいい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
死につつある父親と猛々しいほどの春の景色の対比が鮮やかな『生物祭』。
混乱が伝わってきました。
『春は馬車に乗って』の二人は悲しくて切ない。
困難を乗り越えて夫婦となった妻が若くして肺の病に侵される。
病んでしまった自分に苛立ち夫に強く出る妻と困惑しつつ看病をする夫の遣り取りが『死』に近付くにつれて変化する様子が読んでいて遣る瀬無くなります。
スイートピーが連れてきた春を受け取って眼を閉じる最期が絵画のようでした。
主人公が学生時代に一夏を過ごした町での悲しい出来事を書く『廃市』。
誰も悪くはなく、ただ誤解と心の弱さが起こした出来事と複雑に水路が張り巡らされた舞台が重なります。
水神様のお祭りが華やかだからこそ一転しての結末が引き立ちました。 -
『春は馬車に乗って』三十年ぶりに再読。当時いたく感動した記憶があるのだが、今読むと微妙にこんな話だったかと感覚のズレを感じる。
福永武彦『廃市』は見事な構成美というほかない。個人的には丸谷才一の『樹影譚』に連なるモダニストの系譜を印象づける。
伊藤整含めて3人ともモダニストやね。
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横光利一が著者に含まれる作品で最初にとったのがこれ。
・収録作品
伊藤整『生物祭』
横光利一『春は馬車に乗って』
福永武彦『廃市』 -
「生物祭」
死していくものと、若く命のさなかにいるもの。
そのアンバランスさを、気持ちが悪いほど感じた。
父と、父の死を、うまく受け入れられない。
向かい合えない。
それでも、死は世界に食い込んで浸出してくる。
世界は春なのに、死ははっきりと存在している。
そんな感じがした。
「春は馬車に乗って」
病によって、心身ともに苦しみ、苦しみ、苦しんで、死を受け入れる心境に入っていく。
妻の八つ当たりと、それを受け止めたりかわしたりする夫の、夫婦だからこその姿に、胸を打たれた。
最後に贈られたスイトピーの花束は、この2人の姿と重なって、私にはとても優しく柔らかく美しく感じられた。
「廃市」
想像はついた。
が、なんとも切ない。
水の町。
水が多くを象徴する町。
たしかに古めかしい。
芯のある、凛とした、強く、美しく、頑なな古さ。
見方によっては陳腐な話だけれど、すごくうまい。
風景も人も、目の前にあるみたいに読めた。
私は好きだな。 -
伊藤 整『生物祭』
横光利一『春は馬車に乗って』
福永武彦『廃市』 -
・伊藤整「生物祭」
父の病状の悪化で実家に戻ったものの、まわりの風景はすっかり春で花や鳥が謳う。生殖の季節を女の粘液とかける比喩が直截で好きだ。死と生のコントラストが鮮やかでよい。
「鶯の谷渡り」ってなにかと思って調べたら、鶯の「ケキョ、ケキョ、ケキョ、」というのは雄が縄張りを主張すること、と。
それからエッチぃ意味もあって、これは女の身体をせわしなく接吻しまくることだとか。四十八手にあるのだってさ。へー。
・横光利一「春は馬車に乗って」
これも似たような話だが、もう見込みのない妻の病状を看病する夫の話。妻は夫を遊びに行きたがるとか、仕事に夢中になるとかいってなじる。夫は理屈をつけて批判を交わし、本当のところはふたりの心は通じるように思える。死の淵にありながらも、どこにでもある男女のいつもの光景…。
寝床から起き上がることのできない妻に、臓物やとりたての魚介類の説明をする夫のユーモアに愛を感じる。
・福永武彦「廃市」
いまはなき思い出の中の水の都。町中を運河が走り、どこにいても川のせせらぎの音が耳に入る。幻想的、という言葉がぴったりする。
しかし福永武彦の小説はいまいちしっくりこない。
効果を狙いすぎるというか、破局やその後の展開が予兆されているような書き方が一枚のすでに出来上がった絵を見ているような気分にさせる。
クラシックのように小説を書いたということだから、あるいは予定調和というのも美学なのかもしれんが。
なんか古臭く感じる。 -
2012.10.12読了。
「水」は、いずれも喪失感をもたらすモチーフとして使われている。 -
伊藤整「生物祭」、作者独特の生々しい表現が好きになれない。
横光利一「春は馬車に乗って」、病床に伏した妻と看病しつつも食べるためと言いながら創作にいそしむ作家のやりとり。主人公の妻への思いは伝わらない。
福永武彦「廃市」、この三編の中で一番好きな話。思うようにならない日常が描かれているからだろうか。自分の好きな男が本当は誰を好きなのかという思いこみは、当の本人から「あなたが一番だ」と答えを得ても疑心暗鬼は消えない。思いを遂げることは難しいことだと思わせる。
伊藤整の作品





