- Amazon.co.jp ・本 (177ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591121672
感想・レビュー・書評
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プロレタリア作家二人に挟まれた形の十和田操が素晴らしい。外套、洋服、靴といった外観に家庭の格差の全てが現れていた時代の方が、親ガチャなる言葉にあふれる現代よりもむしろ子どもたち自身で自身の境遇に立ち向かっていたのかもしれない。何か複雑な気持ちにさせられる。33/100
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小林多喜二を読みたくて。
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「駄菓子屋」
貧しいということの苦しさや、お婆さんのこわばってしまった心が切ない。
もう、新しいことを目指せるほどの柔軟さも資金もない。
自分と他者とを比較して、独り煩悶を重ねる。
ましてや、隣に自分よりも新しく優れた同業者がいるとなると、なおさらであろう。
息子が学校を出たら。
その、小さな光を支えに思うお婆さんの姿をいじらしく思った。
「判任官の子」
出だしから笑いがとまらなかった。
実に子供らしい。
少し頼りないけれど人のいいゆたかの姿がほほえましかったり、切なかったり。
それぞれの家の空気の違いも伝わってくる。
最後の出来事の顛末も、悲しい。
嘘をついてしまった加代ちゃんの気持ちも、渡のしたことも、先生に信じてもらえず濡れ衣を着せられたゆたかの震える心も。
ひび割れが広がっている子どもたちの関係が修復されることを願いたい気持ちになった。
「三月の第四日曜」
まだ幼さの残る弟を迎えにいくサイ。
サイは、都会の生活になじみつつも、そのずるさや厳しさ、ままならなさも味わっている。
弟を想えども、励ますことすらできない。
最後の弟の声は、読む者の不安を掻き立てる。
厳しい現実だ。
田舎から働きに出てきた者の辛さと寂しさを感じた。 -
小林多喜二『駄菓子屋』
十和田操『判任官の子』
宮本百合子『三月の第四日曜』 -
小林多喜二「駄菓子屋」。流行りから取り残された駄菓子屋のお母さんが、家財を質入れしないと家計が成り立たないことを嘆きながらも、子ども達の明るさに寄り添いながら生きていく話。時代の今昔、規模の多寡は問わず、商売はむつかしいものだという感想を持った。
十和田操「判任官の子」。子買い屋あそび「子買うよう、子かよー」こんな遊びがあったんだ。洋服を買ってもらえず、不満たらたらの男の子の心情。子どもと親の心情。思うままに好きな物を買ってやれない親と、級友の持っている物をねだりたい子どもの心理。時代が移り変わっても、規模は違っても本質は一緒のこと。なんと言って聞かせるか。また、ずるい子に悪さの濡れ衣を着せられたときも、どう振る舞うかはどう育てるかにかかる、そんな気がした。
宮本百合子「三月の第四日曜」。戦時下の話、東北から東京に出て働いている若い女性が小学校を終えて同じく東京に出て働き始めた弟を案ずる気持ち、職場の監督役の若い伍長に対する同僚たちの表に出せない思慕の念が交錯する。
何時の世にあっても普遍的な心のうちを集めた作品。
著者プロフィール
小林多喜二の作品





