- Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591121887
作品紹介・あらすじ
「東京に行きさえすれば、どんな目的でも達せられる」-生活の糧を求め、故郷を離れて都会へ向かう一家。皆の希望を乗せた汽船は、夜明けの海を滑り出す(田山花袋『朝』)。塩魚や飴、生姜…行商で各地を巡る男たち。月夜の晩、思わぬ昔話から彼らの運命の糸がつながり出して…(李孝石『そばの花咲く頃』)。ある者は罪を問われて、ある者は人を探して…田舎町の警察署は朝から晩まで警官たちがてんてこ舞い(伊藤永之介『鴬』)。どんな逆境の日も、必ず夜明けが訪れる。朝靄に一寸の光をもたらす三篇。
感想・レビュー・書評
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百年文庫、最終巻に「朝」をもってくるのがすてき。
切なさも苦しさもあるけれど、光も差し込む3篇の物語。
『そばの花咲く頃』の明るい予感とともに迎える夜明けのシーンにとても満たされた気持ちになりました。
伊藤永之介作品、はじめて読みましたがとても好みでした。
田舎の警察署に次々に舞い込む出来事がどたばたと進むどこかコミカルな展開に、貧しい暮らしの悲哀を織り交ぜるさじ加減が絶妙です。
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◆収録作品◆
田山 花袋 『朝』
李 孝石 『そばの花咲く頃』
伊藤 永之介 『鶯』
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どれも庶民の群像のある時間を切り取ったスケッチ的な小説である。田山花袋『朝』に出てくる隣家の爺さん、李孝石『そばの花咲く頃』の一夜の契りとその種であることをにおわせる青年、伊藤栄之助『鶯』では冒頭の婆さんと産気づいた家無しの母親など、印象に残る。67/100
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「朝」
東京に行けば楽になる、そんなものではないのだろうという予感が、文面から立ち上ってくる。
それでも、この家族にとって月給取りになった息子との生活は、経済的なよりどころでもあり、希望でもあるのだ。
新しい生活が始まる朝、船の上から東京を見上げる2人の兄弟の姿をかわいく感じるとともに、頑張って生き抜け、とエールを送りたくなる。
「そばの花咲く頃」
これは、親子の可能性が・・・・
堤川でのドラマが想像できて、なんだか柔らかく静かであたたかな希望の光が見えた気がした。
そんな偶然って、ある?
「鶯」
なんとも忙しくてにぎやかな警察署だ。
ニワトリを盗む人、お金を使いこんでしまう人。
みんなどこか切ないようで、滑稽で、笑ってしまう。
てんでばらばらのような訪問者たちだが、その関係を繋ぐ糸が見えてくるラストが印象的だった。
タイトルは鶯。
貧しい中、日々を生きる人たちの希望や運や、はかなさを象徴しているような気がする。
幸せの青い鳥、か。 -
田山花袋『朝』
李 孝石『そばの花咲く頃』
伊藤永之介『鶯』 -
うーん!ちょっと物足りなかったぁ…
伊藤永之介の「鶯」はすごく演劇的で、田舎の新喜劇・ギャグ抜きって感じがした。 -
図書館で借りようとしたら、1が貸出中だったので、
やむなく100から読むことにしました。
百年文庫100のテーマは朝。
田山花袋『朝』(1910)、
李考石『そばの花咲く頃』(1936)、
伊藤永之介『鶯』(1938)
の3篇が収録されています。
田山花袋の『朝』はそのものずばり、朝の空気を感じます。
長男が東京で職に就いたのをきっかけに、一家は東京へ移り住むことに決めます。
数日間かけて舟で上京するのですが、東京に着いた日の朝は、初めて見る景色に少年たちが目を輝かせている様子が分かるようで、希望が感じられ、こちらまでどんな新しい生活が待っているのだろうかといろいろな可能性を想像して楽しくなってしまいます。
李考石『そばの花咲く頃』は朝鮮の短編。
行商で各地を巡る男たちの話です。
登場人物たちの名前の読みを覚えるのに苦労しましたが、後半、奇跡的なつながりが見え隠れしたところで、ものすごくどぎまぎしました。
伊藤永之介『鶯』は、昭和初期のザ警察24時。
ある警察署の1日を追ったようで、いろんな人間たちが訪れます。
昔連れ去られた娘を探してほしいとおばあさんがやってきたり、常習犯、鶯を売りに来た女、産婆、陣痛の始まった妊婦、と本当に様々な人間が、罪に問われたり、警察に助けを求めたりで訪れます。
さらには、様々な人間模様がつながったりからまったりで面白く楽しめます。
“朝の来ない夜はない”という希望が感じられる3篇でした。