小心者的幸福論

著者 :
  • ポプラ社
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レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591123959

感想・レビュー・書評

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  • 極度の小心者を自負する雨宮処凛が自分が日常を穏やかに暮らすための色々な考え方のコツみたいなのを書いてるのだけど、書いてあることがけっこう適当で「おい、それはどうなんだw」とかツッコんでしまうようなとこがあった。 細かいポイントで批判を挙げていくとキリがないので、重要だと思われるところをいくつか述べたい。

    (この本の良かった点はレビューの下の方に書いてあるので、そちらが知りたい人はちょっと飛ばして読んでください)

    まずいちばん気になったのは、「泉ピン子(ドラマ内の)に焦点を合わせて生きる」という章。これは、「渡る世間は鬼ばかり」や「おしん」などのドラマで悲惨な目に遇っている泉ピン子を見ることで、自分の幸福度の基準が下がり「あー、自分はこんな風な目には遭ってないし、しあわせだなぁ」と思える、という話。

    いやいや、まぁ確かにドラマ内の他人を見て、自分の幸せを確認すること自体はいいけど、実はこれを実際の世界の「悲惨な他人」に向けてやってる人って沢山いるんじゃないのか。

    よくある話で言えば、「アフリカとか発展途上国の人たちは、戦争や飢餓で苦しんでいてかわいそう(だから先進国・日本で平和に暮らす私たちはしあわせ)」とか、「仕事が大変でつらいけど、それでもホームレスになるよりはマシ」とかいうライフハック。

    新自由主義は、貧困者に懲罰を与え、見せしめにすることで労働規範や社会の秩序を維持しているわけだし、こうした価値観を内面化することで、日々のつらさを正当化している人は、日本ではたくさんいる。これは、「より悲惨な人ばかりが問題として注目されるせいで、比較的度合いが大きくない問題が問題として認識されない」という「犠牲の累進性」と呼ばれる問題である。そんなことは、反貧困運動に大いにコミットしている雨宮に指摘するまでもないと思う。けど、ここで書いてあることって、結局それじゃないの。

    雨宮の方法は、その対象がドラマだからいいのだけど、もし「ホームレスになりたくないから、ブラック企業だろうがしがみつく。それでも幸せです」と大真面目で言う人に会ったら何といえばいいのか。雨宮処凛がその時「そういう思考、幸せのためには大切だよ☆」というとは思えない。

    というか、もっとハッキリ言うと、日々を穏やかに暮らすために幸福のレベルを下げるから、いつまで経っても日本人の人権意識は向上しないし、貧困を問題として捉える意識も共有されないのではないか(「おしん」なんて、それこそ清貧・勤労礼賛装置だし)。あれ、日本の若者は幸福度が高いとか抜かしてる、某若手社会学者の言葉が頭に浮かぶ…

    この章への批判は、その後の「「どうでもいい」を味方にする」という章への批判ともリンクしている。「そういうアパシー(無関心)が、日本社会に諦念を生んでるんじゃないの」って言いたい。これじゃ、「世の中に希望を持って、変えていこう」って言えないじゃん。「自分を無理やり正当化する」という章も、実はものすごいブラック企業で働きながら、「でも自分は仕事がすきだから」っていうような人の姿とオーバラップしてしまう。

    もちろん、バランスの問題だとも言えるから、僕も雨宮のやり方を全否定するわけではない。

    まぁ強く批判を書いたけど、でも僕はこの本は基本的には楽しんで読んだし、参考になったところも色々ある。特に、「雨宮処凛て社会運動とかやってるのに、けっこう書くことテキトーなんだな」って(いい意味で)思って、なんか安心した。

    個人的におもしろかったのは、「治外法権な存在として生きる」という章で、ロリータ・ファッションに身を包むことのメリットを書いていたところ。ゴスロリだと、第一印象が最悪になるので、その分当たり前のこと(あいさつするとか、幼稚園児レベルのこと)をしただけで、人からいい印象を持たれるというw 「下手に第一印象がよくなってしまうと、その後の評価は下がるだけ」というのも一理あるw

    「比較しても意味のない人としかつきあわない」というのも面白くて、私たちは日常でつまらない比較合戦に明け暮れて、疲れる生活をしているわけだが、ぶっ飛んでたりする人や、世間のつまらない規範や常識から逸脱してる人と積極的に付き合うようにすると、そもそも比べること自体が無意味でバカらしくなるので、変な意識から自由になれる、ということ。これはおもしろい。
    (もちろん、大半の人は付き合いたくもない人間と嫌々付き合わないといけないし、つまらない比較に晒されることは避けられないかもしれないが、そういう比較無意味な人間関係を少しでも持っていれば、つまらない比較合戦もさほど気にならなくなり、超然としていられるようになるだろう)

    この本の内容は、誰にでも参考になる万能薬ではないが(もちろん、雨宮自身もそんなことは書いてない)、暇つぶしも兼ねて読んでみると面白い発見はあるかもしれない。さらっと読めるし。

  • 思索

  • 巷にあふれている「処世術」みたいな本は苦手だし、特にそれが「かつては負け組だった私が如何にして成功したか」みたいな話だと結局自慢話かよ・・と思ってしまう。そこら辺の話は斉藤 環さんの「心理学化する社会」でも取り上げられていたけど・・、トラウマ語りが流行するってのはやっぱり社会が病んでいるんでしょうかね。 雨宮さんの場合物書きとしては成功したけど、立ち位置としてはゴスロリファッションという鎧を着たプレカリアートの女王ということで、ある意味誰にでも推薦できる幸福論かというと微妙なところもある。
    結局のところ他人の承認がないと幸せになれないってところがやっぱりポイントかな、と思います。相互の存在を生きているだけでrespectできる社会ってのは無理なんでしょうかね。

  • 良い意味で違った視点で考えられて良かった。
    ゆるく自分を甘やかし、正当化することも時には必要ね。

  • 【配置場所】特集コーナー【請求記号】914.6||A【資料ID】91110444

  • 本棚に登録しました。

  • 極端だが、強烈なリアリティの溢れるエッセイ。

    (エッセイ、でいいのだろうか)

    時に爆笑し、時にだまりこくって読んだ。

    筆者、およびその周囲がいろいろな意味で究極的すぎるのである。
    良かれ悪しかれ、といったレベルを超えているため、内容に関しては「いいから読め」としか薦めようがない。

    本書は雨宮処凛の社会的関心は比較的なりを潜めており、もっぱら自らの半径5メートル以内のことについて書かれている。

    …いる、のだが。

  • 強烈。

    世の中には様々コンプレックスやら恨みやらマイナスの気を抱えてたり、自己肯定感が低かったり、いっろんなひとがいて。
    大人だからこうならなきゃいけないとか、こうあるべきとか、そんなのは思い込みで、信じられないような大人もいて、生きていて、それでいいんだっていう。

    わたしは狭い世界である意味幸せに生きているんだなあ、としみじみ感じた。
    もっと視野を広く、楽に、生きていっていいんだ、て思った。

  • 作者様は自由人に見えてなかなかどうして苦労人。

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著者プロフィール

作家・活動家。1975年北海道生まれ。愛国パンクバンドなどを経て、自伝的エッセイ『生き地獄天国』で作家デビュー。2007年『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。格差・貧困問題に取り組み、生きづらさや自己責任論に対抗する発言・執筆活動を続ける。反貧困ネットワーク世話人、週刊金曜日編集委員。共著に『1995年 未了の問題圏』(大月書店、2008年)。

「2019年 『この国の不寛容の果てに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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