([お]5-2)喋々喃々 (ポプラ文庫 お 5-2)

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  • / ISBN・EAN: 9784591124192

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、季節の移ろいを何に感じるでしょうか?

    私たちは四季が存在する国に暮らしています。”春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて…”と平安の世にも歌われる季節の美しさは、四季を当たり前に感じられる私たち日本人だからこそのものだと思います。

    とは言え、昨今の異常気象がそんなこの国のありようを変化させていく気配を見せています。四季がない日本、それは過去の日本人のこころに繋がれなくなってしまう未来を暗示しているようにも感じます。四季を愛でられなくなる日常、それはあまりにも味気ない毎日なのではないかと思います。

    さてここに、12の章に日本の四季の移り変わりを色濃く感じさせる物語があります。『東京の下町の風情を残す谷中という町で、アンティークのきものを売って暮らしている』という主人公の一年が描かれるこの作品。そんな一年の始まりに出会った一人の男性への思いが描かれるこの作品。そしてそれは、四季の移り変わりとともに、主人公の感情の変化を映し取っていく物語です。

    『何か、お探しですか?』と、『きものの入っている棚の前で立ち止まり、遠慮がちに数箇所、指先できものの生地に触れた』男性に声をかけたのは主人公の横山栞(よこやま しおり)。『えーっと、きものを探してまして』、『男物は、置いてありますか?』と訊く男性に『男性用のおきものでしたら、あちらです』と案内する栞。『東京の下町の風情を残す谷中という町で、アンティークのきものを売って暮らしている』という栞は、『三軒長屋で、一階は店舗、二階は住居として使っている』店に『ひめまつ屋』という名前をつけました。『縁もゆかりもない土地にとつぜん店を構えて、ゼロからのスタートだった』という栞ですが、『親切な町の人』たちにも支えられながら今日までやってきました。『実は、初釜に着て行くきものを探してまして』と言う男性に、『丹後ちりめん』の『状態のよいの』を見つけた栞は、男性に羽織らせてあげます。『とってもお似合いですね。素敵です』、『着たことがないので、ちょっと照れますね』と会話する中に男性の『携帯電話がブルブル震え』ます。一旦外に出た男性は『緊急で仕事を確認しないといけなくなっ』た旨説明します。それに、『もしよかったら、ここの机使ってください』と勧める栞に、机にノートパソコンを広げて向きあう男性。『一時間ほどして仕事を終えた男性に『これね、五智果っていう、近所の和菓子屋さんのお菓子なんですよ』と勧める栞は一緒の時間を過ごします。そして、『なんとか間に合うよう、直しに出してみますね』と伝え男性を見送りました。『キノシタハルイチロウさん』という名を『心に刻』んだ栞は、『「木ノ下春一郎」と今度は漢字で書いて記憶』します。『左手の薬指に結婚指輪をはめている人だった』という木ノ下。場面は変わり、『初釜があるという日の前日』に『きものを取りに来た』木ノ下を駅まで送ることになった栞は、『夕暮れの空が広がる』街を一緒に歩きます。『いつもきものなんですか?』と問われ、『きものを着ていると、それだけで守られている感じがするんですよね』と返す栞。そんな『きもの』に興味を抱く木ノ下に、『アンティークきもの』の仕入れなどについて会話を弾ませる栞。そして、『目の前に延びる跨線橋をまっすぐに進』んだ栞が、『跨線橋の中ほどで』、『いつものように過ぎ行く電車を見下ろ』すと、『待ってください』と、『すごい勢いで駆け寄って来』た木ノ下に『後ろから左腕を掴まれ』ます。『僕、高い所が駄目で』という木ノ下に向き合う栞は、『力強く摑まれている手の上にそっと自分の右手を重ね合わせ』、『手と手を繫』ぎます。『目をつぶって歩いてください。私が向こうまでご案内します』と言う栞は『目をぎゅっと閉じ』た木ノ下を率いて橋を渡り終え『もう目を開けて平気ですよ』と告げます。それに『助かりました。お恥ずかしい姿をお見せしちゃって…』と『こういう場所がダメ』な理由を説明する木ノ下は『ありがとうございました』と言うと『何度も振り返ってお辞儀をしながら、人ごみの中に消えて行』きました。『たくさんの人が行き交うのに、木ノ下さんのいる場所だけが、ぽっかりと陽だまりのように浮かび上がっていた』と感じる栞。そんな栞が、木ノ下との時間を大切に思う一年が描かれていきます。

    “東京・谷中でアンティークきもの店を営む栞。ある日店に父親に似た声をした男性客が訪れる ー 少しずつふくらむ恋心や家族との葛藤が、季節の移ろいやおいしいものの描写を交え丁寧に描かれる”と内容紹介にうたわれるこの作品。「喋々喃々」という書名がなんて読むの?とまず疑問から始まるこの作品は”ちょうちょうなんなん”と読み、その意味は”男女が楽しげに小声で語り合うさま”を指すのだそうです。2009年2月に発表されたこの作品は小川糸さんの二作目の小説ですが、読み始めてその先に代表作「ツバキ文具店」にも繋がっていくなんとも味わいのある表現の連続に驚きました。小川糸さんの小説はほぼコンプリートした私ですがもっと早くに読んでおいても良かったなとも感じました。

    では、この作品の味わい深さを二つの方向から見てみたいと思います。まずは春夏秋冬の表現です。この作品は12の章から構成されていますが、それは〈新春〉、〈梅〉、〈花見〉、〈鳥待ち〉、〈五月雨〉、〈風待ち〉、〈文月〉、〈秋風〉、〈菊〉、〈小春〉、〈雪待ち〉、〈春待ち〉と一月から十二月までの季節の移ろいと重なります。数多の小説の中にはこの作品同様に一年を12章で描いたものもありますが、この作品の季節の表現は純和風、現代社会というより失われつつある、”古き良き時代”の日本を遠い目で見たくなるような表現がなされていくのが特徴です。まずは、四つの季節を抜き出して見てみましょう。一月、〈新春〉からスタートします。

    『セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。真っ白い粥に細かく刻んだそれらを放つと、そこだけ春になった』。

    『仕事始めの朝、ストーブで七草粥を炊く』という作品冒頭の描写がこれです。如何にも日本の新春!という雰囲気感がいきなり醸し出されます。なかでも『そこだけ春になった』という表現は絶妙です。次は日本の春と言えばこれしかありませんね。四月、〈鳥待ち〉に進みます。

    『桜の開花宣言が発表されると、まるで空気に紅をさすみたいに、町全体が少しずつ淡いピンク色に染まっていく』。

    異常気象の中で桜は三月のものになりつつありますが、日本の春と言えばこれです。『空気に紅をさす』とはよく言ったものだと思います。この感覚日本以外では通用しないくらいにザ・日本です。そして、七月はそのまま〈文月〉です。

    『もうすぐ七夕がやって来る。毎年、色紙で吹き流しや提灯、網飾りなどを作り、店の前に飾っている』。

    これも日本ならではですね。七夕飾りを知らないという方はいないでしょう。作品には『店先に短冊とマジックペンを置いておくと、近所の子ども達が願い事を書いてぶら下げていく』とも記されています。最後に、十月、〈小春〉です。

    『この週末、三崎坂沿いにある大円寺では、恒例の菊まつりが開かれている。夜にはよみせ通りを中心にパレードが行われ、宝船を象った山車の上では和太鼓が演奏される』。

    秋といえば『菊』ですね。『和太鼓が演奏される』というのは栞が住む谷中で近年に復活した『谷中菊まつり』のことを指します。物語では、『ひめまつ屋を閉めてから』、まつりへと駆けつけ『菊酒をちびちびと飲みながら、秋の夜長にうっとりする』という栞が描かれます。季節の移ろいを感じながら読み進めることのできるこの作品、四季の移り変わりの中にそれぞれに良い味を感じました。

    そしてもう一つは『きもの』です。この作品では主人公の栞が『アンティークきもの』を取り扱う店を営んでいます。『きもの』に囲まれた生活をしているだけでなく、普段の生活にも『きもの』を着る様子が描かれます。少し見てみましょう。木ノ下と出かけるに際して『湯島天神の梅』を見に行くのに『どのきものを着て行こうかと』散々に迷う栞の選択がこれです。

    『落ち着いたグレーのお召に、いろいろな花の模様が刺繡された黒い綸子の帯を選ぶ。梅が焼きもちを焼くといけないので、半襟にだけさりげなく桜を取り入れてみる』。

    『梅が焼きもちを焼くといけない』とは上手く言ったものですが、その裏側にはこんな理由があるようです。

    『きものの世界では何でも季節を先取りするから、例えば梅の季節に梅の柄を合わせるのは無粋とされる。本物の梅の美しさには、どう背伸びしたって敵わない』。

    『きもの』の世界の奥深さを感じます。何も考えずに『梅』に合わせてといった考え方をしないのが『きもの』の世界。他にも『グレーのお召に、柔らかい水玉模様の帯を締めている』、『白っぽい紬のきものに、川遊びをしている様子が描かれた古い帯を合わせている』…といったように季節とお出かけ先に合わせて身なりをしつらえていく栞の姿がこの作品には自然に描かれていきます。季節の表現に、『きもの』にと、とても日本を感じるこの作品の魅力を改めて認識しました。

    そんなこの作品は、『えーっと、きものを探してまして』と『ひめまつ屋』を訪れた木ノ下と栞の関係が描かれていく物語です。如何にも日本を感じさせる物語は細やかな箇所にも配慮がなされています。それが、木ノ下の素性を『左手の薬指に結婚指輪をはめている人だった』という一文で表してしまうところにもあります。店にたまたま訪れた客である木ノ下との出会いの先に思いを深めていく栞の心の内はこんな風に柔らかく描写されます。

    ・『木ノ下さんと会うことを想像するだけで、胸にたくさんの花の蕾が詰め込まれたみたいになり、呼吸が苦しくなってしまう。落ち着いて深呼吸をしないと、酸素不足で息が詰まりそうだった』。

    ・『いいのかな、と頭では思っても、体は木ノ下さんのいる方へ駆け出してしまう。磁石に衣を着せたみたいに、私の心は木ノ下さんを求めてまっすぐに進む』。

    どうでしょう。あまりに初々しい表現の数々に読者の方が照れてしまいそうです。『胸にたくさんの花の蕾が詰め込まれた』や『磁石に衣を着せた』といった巧みな比喩表現にも心惹かれますが、兎にも角にも栞のいじらしいまでの思いが自然と伝わってくる表現の数々は読者の感情移入を自然に誘います。

    『私は、最後のドミノがコトンと音を鳴らして伏せるのと同時に、勇気を振り絞って言った。「栞って呼び捨てにしてください」』

    そんな風に二人の関係性は一つずつ壁を乗り越えてどんどん深まっていきます。しかし、そんな意地らしい描写の一方で、『左手の薬指に結婚指輪をはめている人だった』という木ノ下の属性が読者にどこまでも引っ掛かりを与えます。言ってみればこれは不倫ということになるわけですから当然とも言えます。不倫の相手方が物語の主人公であり、視点の主、読者の感情移入先となるというのがこの作品です。この作品が不思議なのは、そんな栞が主人公であるにも関わらず、そこに穢れた雰囲気感が全く浮かび上がってこないことです。それは恐らくは木ノ下の背後に全く家族の存在が感じられないことが原因なのだと思いますが、ここまでそれを徹底して描ききる小川さんの描写に驚きます。物語はそんな二人の行く末を季節の移ろいの中にどこまでも、どこまでも、やわらかく、やさしく、うつくしいまでに描いていきます。そして、その先に待つ物語の結末。大きな事件が起こるでもなく、あくまで淡々とした栞の日常が描かれていくこの作品は、そんな世界観自体を楽しむ物語なのだと思いました。

    『春一郎さんに会えない時間は、いくら伸ばしても永遠に切れないゴムみたいで、やたらと長く感じる』。

    谷中で『アンティークきもの』を取り扱う『ひめまつ屋』を営む主人公の栞。この作品では、店の客として偶然に出会った木ノ下に思いを深めていく栞の一年が描かれていました。日本を感じさせる季節の描写に酔わせてくれるこの作品。谷中の情緒豊かな街並みと美味しい食の風景にも酔うこの作品。

    “古き良き時代”を感じさせる物語の中に、あくまで美しい世界観を紡いでいく小川さんの魔法のような筆致に酔う、そんな作品でした。

  • 谷中でアンティークの着物ショップを営む栞が、客として訪れる春一郎と次第にひかれあっていく様子を、栞の心の葛藤や、魅力ある近所の人たちとの交流なども交えながら描いたストーリー。

    春一郎からの電話を心待ちにしたり、会えるとふわっと心が暖まったりする栞の様子は、恋愛初期のドキドキ感を思い出させる。
    しかし、春一郎には妻子がいるため、意を決して、もう会わないと伝えた栞。切なく苦しい思いでいた栞に、地元のおじさん、イッセイさんがかけた言葉になんだか救われた気持ちになった。

    "蝶々喃々"とは、男女が楽しげに小声で語り合うさまを指す言葉だそうで、読み終えてみて、タイトルがふに落ちた気がする。

    小川糸さんの作品、やっぱり好きだぁ。
    そして、作品の中に出てくるエリアやお店が魅力的で、そのエリアを歩いてみたくなった。

  • あらすじの内容とのギャップを感じた。
    許されない恋なのに、なぜか純愛の話を読んでいるみたいに感じてしまう。
    栞の丁寧な暮らしぶりや、着物を大事に扱ったりする心が、不純に感じさせないのかもしれない。

  • 小川糸作品は、どんなに長くても短くても
    読むのに普通の3倍かかる。
    ゆっくりと丁寧に読まないと勿体ない。
    とくにこの作品はいっぺん一遍
    大事に寝る前に読んで楽しんだ。
    ゆっくり酸素を吸い込むような
    澄んだ時間を楽しめる作品。

  • 最初から最後までずーっと、せつなかった。

    現実と幻想が あや織りになったようなストーリィ。
    ここは、きっと主人公の女性の願望…
    きっと、ここまでがものがたりの現実…
    そう思いながら、読了してしまった。

    文章には書かれていない、
    行間から滲む 寂しさ、
    そして罪悪感。

    吸いこまれるように美容室に入って
    切れるだけ髪を切り
    毎日をわざと忙しく過ごし
    綺麗な夕暮れにあっても
    一緒に見たいと思わないように、する。
    少しずつ、好きな人とのことを
    なかったことにして、
    ぜんぶ、夢だったと自分に思い込ませる…。

    そんな恋は、しない方が幸せかもしれない。
    なのに 自分ではどうすることもできず
    魅かれてしまう、そんな切なさ。

    最後の初春は、彼女の見た夢だと思う…。
    物語の現実はきっと「お別れ」で
    終わっている。

  • 読み終えてしまうともったいない気持ちになる小川糸の本。不倫話も出てきてしまうので人によってはかもしれないけれども、なんでこんなにもまるで目の前に本に出てくる人、建物、風景、食べ物があるかのように表現されるのか。話の中に出てくるお店や町並みをお散歩したい。

  • 街並みも食事も、生活描写が美しい。

    けど、けど、けど、、不倫なのよ。

  • 主人公が道ならぬ恋をしているのが小川糸さんの著書としては意外な感じだった。
    彼女のエッセイを読み始めて以来、主人公の感じる感覚が著者のものであるのように感じてしまう。「動物園はあまり好きではない」とか。季節や昔ながらの行事を大事にする様とか。小川糸さんっぽい。
    春夏秋冬の谷根千を描いた物語なので、一緒にあの辺りをめぐっている気持ちになれる。話に出てきたご飯屋さんやカフェなど行ってみたくなった。今回も手作りの美味しそうな料理がたくさん出てきた。イッセイさんがとても粋な男の人で好き。

  • 春夏秋冬、好きな人と一緒に過ごせる幸せ。
    ただそれだけで幸せなのに。。。
    好きだった人の事を思い出した。

  • 人を好きになることは、純粋に素敵なことだと思わされた。
    不倫や浮気がとりあげられて問題視されることが多い今の時代だけど、人を好きになること自体は理屈じゃないなと。
    いろんなこと抜きにして読むと、ピュアな恋愛物語だった。

著者プロフィール

作家。デビュー作『食堂かたつむり』が、大ベストセラーとなる。その他に、『喋々喃々』『にじいろガーデン』『サーカスの夜に』『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』『ミ・ト・ン』『ライオンのおやつ』『とわの庭』など著書多数。

「2023年 『昨日のパスタ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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