- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591130445
作品紹介・あらすじ
静岡では上司が「おれっち」と言い、京都では「あしあらい」に誘われる。群馬のバーで「そろそろ行ってみます?」と言われたら――方言と思わずに使っていたというおかしなエピソード、故郷への想いが溢れるお国言葉自慢、なつかしい子ども時代の思い出など、人気作家64名による、かつてない方言エッセイ集。
感想・レビュー・書評
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日本全国のとっさの方言についてのエッセイ集。
方言に最初に興味を持ったのは中学生の時だった。
私と友人は方言に憧れ、仲間内だけで通じる言葉やブロックサインを考えたりした。
他の地方の方言を覚えるのは違うという意識があったからだけど、これは正しかったなと思う。
私達は東京の方言を求めていたのであり、それがどうやらないようなので自分達だけの言葉を創ろうとしていた。
それから数年後、実は東京にも方言があること知った。
その中で1番ショックだったのは、「ひゃっくり」ではなく「しゃっくり」が正しい日本語だったこと。(方言とは違うかも…?)
どちらも聞いたことはあったけど、どちらも正確な日本語だと思っていた。
100回出ると死ぬという迷信の100が「ひゃっくり」のひゃくだと信じていたのだ。
まあ、ショックを受けるのは楽しくもあったのだけど。
この本を読んで、やっぱり方言ていいなと思った。
その土地特有の言葉で話すことは自分がその土地で生まれ育った証だ。
故郷があるということとイコールのような気がする。
でもそれと同時に、池上永一さんのエッセイの「言葉に頼らない会話」にも感動した。
方言を使われたから何を言ってるか分かりません。ではなくて、身振り手振りや表情から相手の気持ちを類推すること。自分の気持ちを分かってもらおうとすること。
それが出来れば標準語でも方言でも、何でも来いって気持ちになれるかもしれない。
相手も私も標準語を使っていたって話がかみ合わないことが多々あるし…、自分が綺麗な日本語を話しているという自信もない。
相手に伝えようとする気持ちは大切だと心から思う。 -
作家さんを中心に様々な人が日本各地の「とっさの方言」について書くエッセイ集。日本の北から順番に色々な方言が出てくるが、特に山梨の辻村深月さんの「シャア、訛ってんなあ」に爆笑。
私は方言が大好きで、方言で喋るキャラクターが出てくると嬉しくなってしまうタイプだ。最近読んだものだと、中島京子「ハブテトル ハブテトラン」の備後弁、原田マハ「でーれーがーるず」の岡山弁、中田永一「くちびるに歌を」の長崎弁などなど。なんだか素朴で可愛くてほっこりするんだよなあ。自分自身も色々な方言に囲まれて生きてきたからかもしれない。
そんな私の「とっさの方言」はと考えてみても、特に思いつかない。両親共に大阪弁で私も普段は大阪弁。でも小さい頃からえーかっこしいの私は「全然訛ってないね。東京出身?」と言われるほど外では標準語(友人とは方言)を操っていたため(笑)特に気恥ずかしい思いをしたりしなかったのだ。とっさに方言が出てしまう状況って、この本でも書かれていているが、住むために初めて“上京した時”な人が多い気がする。標準語に囲まれても関西人は動じない(笑)
最近はあまり方言で話す人もいなくなってきたけれど、ずっと守られて欲しいなあと思う。方言はやっぱり温かいよね。 -
本書を読むことにしたきっかけは3つ。
①万城目学氏の文が入っている。
②以前読んだ星野博美氏の「島へ免許を取りに行く」の五島教習所の人達の話し言葉がとても温かくて魅力的で、いいなあと思った気持ちが忘れられない。
③自分は生まれも育ちも東京なので(現在は違う)、方言そのものというより方言による同郷のよしみのような結びつきが羨ましいし、憧れる。
自分には帰省する田舎も無かった。
何と表現したらいいのか、東京というところは誰もが東京の人として暮らしていけるところだ。
どの人が生まれも育ちも東京の人なのかという見分けがつかず、従って山手線で隣に座った人や銀座や渋谷で接客してくれた人と、同郷だという概念も帰属意識も団結力も湧いてこないのだ。
(下町のチャキチャキの江戸っ子のことは私はわからないので除く。)
そこへいくと、方言を持つ道府県の人は、世界の果てに行ってもそこでお国言葉を聞いた途端に知己のように打ち解けられるのだ…たぶん。
さて本書は、残念ながら万城目氏の文章は、以前読んだエッセイと全く同じだったが、全編大変面白かった。
主に作家さんが書いているのだが、多く共通していたのは、「地元の人は誰もこれを方言だと思っていない。方言だとは、他の県や東京へ転居して通じないという体験をするまで気づかなかった」という意識と、「文字では微妙なイントネーションの違いを訴えかけられずもどかしい」という思い。
また、「これを標準語に変換しようにも、ぴったりくる一語は無い」と語っているのも多かった。
確かにそれぞれの説明を読むと、いくら標準語で最も意味の近い言葉を持ってきてもそれでは表しきれない。
方言の方には、相手を包み込む慈愛のようなニュアンスが含まれているようだ。
なんとなくわかるような気がするし、だからこそ羨ましく思う。
余談だが、本書で解説をされている篠崎晃一氏は東京女子大学の教授で、氏のゼミの学生さん達が作った方言アプリのようなものが話題になっていたことがある。
私は本書を読む前からそれを(テレビで見て)知っていて、家族でやってみたし、息子に大学の友人達にも試してもらったところ、百発百中で出身県が当たった。
やっぱり方言は素晴らしい。 -
なんとも可愛らしいエッセイだ。
そして読むうちに湧き出してくるのは、えも言われぬ「恥ずかしさ」なのである。
その正体は郷愁に違いない。 -
日本全国津々浦々、
各都道府県の「とっさの」方言と、それにまつわるエピソード的なものを、ご当地ゆかりの作家さんたちが紹介する。
いや~、いろんなトコロにいろんな作家さんがいらっしゃるのですね。
全編方言で書かれた、私の出身県の章はナカナカよかったです。うん。
しかし、活字になると、何ともいえずこっぱずかしいモノですな・・・。
他県の読者諸氏、解読できただろうか? -
yumyum=nME!(DELICIOUS!). アギジャビヨウ(アキレタサ-)=it's unbelievable . 아이고,죽겠다=Umm, it like a dead. / i'm tired.
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学校の図書室で借りた本。
全部の都道府県についての方言が、各都道府県1~2名の作家・有名人が数ページずつ書かれた本。
自分の出身地や、住んだことのある地方の言葉は、懐かしくいろいろと思い出しました。
ひとつだけ、「すがる」が方言だったことを初めて知りました。
マジか~!
いろいろな土地で普通に使ってたけど、何の支障も無かったけど・・・。 -
言葉って面白い。方言の奥深さを知る。ここにこそ、その人の真髄が隠れてるよね。
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64人の作家たちによる方言をめぐるエッセイ。全都道府県を網羅する。もっとも、面積の上からは小さな大阪府でさえ地域によって大阪弁はかならずしも一様ではない。阪神間(大阪とは少しずれるが)の山手に住む富裕層は語彙もイントネーションも標準語で話すし、大阪の北部と南部でもまた違う。もちろん、方言は上代の昔からあり、例えば東(東国)の枕詞「鳥(鶏)が鳴く」は、東の言葉は鳥が鳴くようで、何を言っているのかわからない(異説あり)ことからきているし、あるいは『日葡辞書』にも「下の言葉」として当時の方言が記載されている。なお、もっとも難解そうなのが「ヅマヌマールドゥ」(石垣島)、おかしかった(失礼)のが「ちんぷりかえる」(静岡)。
お国言葉って、私も好きです。
時々、何を言ってるのかな?と、わからない時もありますけど、
にこにこ楽...
お国言葉って、私も好きです。
時々、何を言ってるのかな?と、わからない時もありますけど、
にこにこ楽しそうに話してたりする表情や、面白いイントネーション聞いてるだけで、なんか心地いいんですよね~^^♪
(意味は推理する、として♪)
方言は恥ずかしい、とか相手に伝わらないとかの理由で、使われなくなっていくとしたら、少し寂しい気もしますね。
この本も面白そうですが、池上さんのエッセイも興味深いです。
「なんか心地いいんですよね~^^♪」
そうなんですよね!
響き…とでも言えばいいのか、標準語よ...
「なんか心地いいんですよね~^^♪」
そうなんですよね!
響き…とでも言えばいいのか、標準語よりも柔らかい印象になったりして、とてもほっとします。
(逆もあるのでしょうが…)
「方言は恥ずかしい、とか相手に伝わらないとかの理由で、使われなくなっていくとしたら、少し寂しい気もしますね。」
何人もの方が関西弁は全国フリーパスですごいと書いていらっしゃいました。
今は全国に似非関西弁の話者がいますもんね…(実は私もその一人ですが)。
あの感染力はすごいなぁと思います。
他の方言も消えていくのではなくて、話せなくても意味は分かるというところまで広まるといいなぁと思います。
「この本も面白そうですが、池上さんのエッセイも興味深いです。」
あわわ…紛らわしい書き方になってしまってすみません。
池上さんもこの本の中でエッセイを書いているんです!
なのでこの本を読んでいただければ両方読めます!すみません!