([い]4-3)なでし子物語 (ポプラ文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (455ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591142462

感想・レビュー・書評

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  • あなたは嫌なことがあった時、どのような対処法を持っているでしょうか?

    生きていれば良いことも悪いこともあります。それらが半々なんて思えない、自分にはどうして悪いことばかり起こるのだろうか…そんな風に落ち込んでいく時ほど辛い時はありません。”理不尽なことで上司に叱られた”、”子どもがいつまでも泣き止まない”、そして”漠然と、この世から消えてしまいたいと感じる”、辛い瞬間というのは誰にでもあるものです。そんな時、あなたならどうやってその状況に対処するでしょうか?”家族や友人に愚痴を聞いてもらう”、”趣味に没頭する”、そして”やけ食いする”、誰にでも何かしら、そんな辛い思いから抜け出す方法を持っていると思います。そういったものがなければ、この世を生き抜いていくこと自体難しいとも思います。そんな風に考えると、この世を生きていくのは本当に大変なことだと思います。

    さて、ここに、辛いことがあった時に次のように対処するという一人の小学四年生の女の子がいます。

    『いやなことをされたり言われたりしたら、目を閉じてうつむくことにしている』

    その女の子は『学校でグズとからかわれ』たり、『先生に当てられて答えられなくても』、『目を閉じてしまえばいい』と考えます。『頭のなかで時折カラカラと音がして、それが気になると相手の言葉が頭に入ってこない』という女の子。この物語は、そんな女の子が『でも、うつむかない。もう、うずくまらない』と確かな歩みを取り戻していく瞬間を見る物語です。

    『泣いていたらいつも抱き上げられ、背中を撫でてもらえた。とてもあたたかい、大きな手だ』、『手を広げてその人の首に抱きつくといい匂いがした』と記憶を辿るのは主人公の間宮燿子。そんな燿子は『あれはおとうさんかな』、『神様かもしれない』とも思うものの『二人とも同じ空の上の人だ』と現実を認識します。『目を閉じれば、いつだって背中を撫でてくれた手を思い出す』こともあって『つらくなると目を閉じる』という燿子。『学校でグズとからかわれた』り、『仕事から帰ってきたおかあさんが泣いても』、『目を閉じてうつむくこと』で、『そうしていればやがて終わる』と考えます。そんな母親が先月の初めから帰ってこなくなりました。『これまでにも何度かあったので、一人で母を待った』という燿子。『風呂をわかしているときに眠ってしまい、気が付いたら部屋中に煙が立ちこめ』気を失った燿子。『目覚めたら病院にいて、大人にいろいろ聞かれ』、『それからしばらく施設というところに』滞在した後、『よく知らない』『おじさんの家に連れていかれた』というそれから。そして『今朝、その人ともう一人の男に連れられ』、『新横浜という駅から新幹線に乗り、降りたあと車でずいぶん走』った山の中へと連れて行かれ、『どこかに捨てられるみたいだ』と燿子は感じます。車から下ろされた瞬間『大きな門が目の前にそびえて』いるのを見て息を呑んだ燿子。『待っているようにと言って、二人はどこかに消えた』と一人になった燿子は『笹飾りのトンネルの向こうに小さな子どもが立ってい』るのを目にします。『背丈は燿子の肩ぐらい、幼稚園児ぐらいに見える』という子ども。後を追うと『緑の木立のなかに』あるお堂のような建物に入った子どもを『おそるおそる、あとを追う』燿子は、その子を『小さな神様』だと思います。『ゆっくりと神様が振り返』るのを見て『やっぱり…人じゃない』と思った瞬間、『神様が手にしたピンク色の花を唇に押し当ててき』ました。『お菓子?お菓子の花だ…』と思う燿子が『顔を上げると、小さな神様がお菓子の花を食べながら笑っていた』という光景。そして次の瞬間『白髪の老人に抱き上げられていた』という展開。『どこかの織姫様のお供だろ、お嬢ちゃんは。お母様はどこに行った?』と訊く老人に、横から背の高い女性が耳打ちします。抱き抱えられたままお堂を出た燿子が『屋根瓦の星の印』を指し『星だらけ…空の…上みたい』と言うと『これは花だよ。この家の紋、撫子だ』と笑いながら言う老人。『ここは峰生の常夏荘。静岡県は天竜川の奥深き場所。よう帰ってきたな、お嬢ちゃん』と続ける老人は『間宮のお嬢ちゃん。ここがお父さんのふるさと、天竜の源、峰生だよ』と言いました。『あたりを見回す』燿子。そんな燿子の峰生での新しい生活が描かれていきます。

    『お堂に消えた子ども。背中に流れ星を付けたその姿は小さな神様のようだ』といった、まるでファンタジーを思わせるかのような〈プロローグ〉に引き続いて展開するのは昭和五十五年の静岡県の山奥にある峰生という地を舞台とする物語。第一話に入って一気にファンタジー感は消え去りますが、そこに描かれる世界は『この撫子を紋にする遠藤の一族は、江戸の昔から山林業と養蚕業でも栄えてきた』という現代ではイメージが難しくなった昔ながらの山村の慣習が色濃く残る世界でした。『代々、得た富を峰生の里の発展に惜しみなくそそいだことから、いつ頃からかこの集落の人々は遠藤の本家の当主のことを「親父様」、その内向きを取り仕切る女主人を「おあんさん」と呼んでいる』というなんとも時代を感じさせる設定。その中に描かれる物語は今の時代にあっては新鮮ささえ感じさせるほど独特な魅力に溢れています。そんな物語の舞台となるのが、かつて山城があった地に『八年の歳月をかけて造られた豪壮な建物群』が『撫子の別名にちなんで』名付けられたという『常夏荘』でした。『使用人が住む長屋、多くの蔵などが建ち並び、明治の昔は四十人近い人間が暮らしていた』とかつての栄華が思い起こされる『常夏荘』。しかし、この物語で描かれる『常夏荘』は、『今はほとんどが閉めきられ、使っているのはほんの一部だけ』と寂しい状況が説明されます。現代であっても山村に赴くと、かつての栄華を思い起こされるような建物を目にすることがあります。場合によっては重要文化財に指定されるなど、その栄華が今後も語り継がれていくだろう建物もあります。そんな『常夏荘』を今も所有し、使用人も抱える遠藤家には、名家ならではの悩み事がありました。それが『栄えているが、跡継ぎに恵まれない』というその悩み。この悩みが、名家の安定した維持を難しくしていく中で、この物語の舞台設定が形作られていきます。

    この作品は〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた十章の物語から構成されています。その物語は、遠藤家の『おあんさん』と呼ばれる照子と、使用人である間宮勇吉の孫娘である燿子という二人の視点を交互に切り替えながら進んでいきます。複数の人物に視点を切り替えながら進む物語は多々ありますが、峰生のお屋敷を取り仕切る役割の照子と、使用人の小学生の孫というあまりに対照的な立場の二人の視点を交互に切り替えるというのは珍しいと思います。しかし、読み進めれば進めるほどにこの二人を選んだ人選の絶妙さに魅せられていきます。それは二人の立場が極端に異なるからこそ見ることのできる、知ることのできる世界がそこにあるからです。そんな孫の燿子は、父親を早くに亡くし『学校の授業がまるでわからない、頭のなかで時折カラカラと音がして、それが気になると相手の言葉が頭に入ってこない』という中、『何をしても他の子より遅れてしまう』という状況にありました。さらに、そんな燿子を見て『頭のねじが取れてるんだ』と言った母親は男を作って出て行ってしまいます。そして祖父の家で暮らすようになったものの『丸一ヶ月たった十月になっても、クラスの誰も名前を呼んでくれない』という学校生活。『授業がここでもよくわからず、そして最後は給食の食べ方が汚いと言われ』苦しむ燿子は『目を閉じよう。目を閉じればすべてがおわる。目さえ閉じれば、みんながあきらめて放っておいてくれる』と思い、その辛い状況に対処していきます。幼い頃から辛いことがあるとずっと『目を閉じる』ことで凌いできた燿子。人は辛いことがあった時、どう対処するか、その方法をそれぞれに持っていると思います。そのどれが正しい、間違っているということは一概には言い切れないと思います。そのやり方で辛いことから逃れられるなら対処法として間違ってはいないのだと思います。しかし、状況が変わらないことを見て見ないふりをして、ただただ『目を閉じる』ということでやり過ごそうとするのは、単に逃げていることと同じです。それでは、何も前に進みません。そんな燿子にようやく『今の、じょうきょうを変えたい』という気づきの瞬間が訪れます。『グズじゃない。変わるー。変われる、のだろうか』というその瞬間。そして、伊吹さんは、とっておきの『魔法の言葉』を家庭教師の青井の言葉を借りて燿子に語りかけます。

    『どうして、って思いそうになったら、どうしたらって言い換えるの』

    確かに『「どうして」嫌われるの?』と言ってしまうとそれは自分自身を責める内向きの言葉となってしまいます。しかし、『「どうしたら」嫌われなくなるの?』という言い方にするだけで、その言葉は外へと向いていきます。『「どうして」と自分を責めない。「どうしたら」と前に進もうとする』というその考え方の違い。何かにつけて臆してしまい、勉強も苦手だった燿子。そんな燿子の心の中にスッと入っていった『魔法の言葉』の説得力こそが、文庫455ページの長編の中で苦しみ続けた燿子の未来に光を見せてくれるものでした。『どうして』と『どうしたら』。たった二文字の違いですがそこには大きな差があると思います。燿子だけでなく、読者にもとても大切なプレゼントとなる言葉だと思いました。

    独特な世界観の中に描かれる物語は、主人公・燿子が苦しみながらも健気に生きていく姿を見るものでした。『つらくなると目を閉じる』という燿子。『どうしていつも、自分だけ残されてしまうのだろう。消えるなら一緒に消えたい。透明になりたい』とさえ思う燿子。そんな燿子が『どうして、どうしてって嘆き続ける人生より、どうしたら、どうしたらって、必死でもがいて戦う人生が私はいい』と顔を上げる物語。それは、伊吹さんが、ゆっくりと、じっくりと、そして丁寧に生きていくことの大切さを私たちに伝えてくれるものなのだと思いました。

    とても優しく、丁寧に、そして心の機微を感じさせてくれる物語。急いで読むと、その柔らかい世界が一瞬にして崩れ落ちてしまいそうな繊細さにあふれた物語。独特な世界観と共に、魅力あふれる登場人物の描写が強く印象に残った作品でした。

  • 少し前に読んだ「雲を紡ぐ」の解説の中で、北上次郎氏が作者の作品でいちばん気になっていることとして「なでし子物語」に触れて『読みごたえ抜群の書だ』としてあったので、読んでみたいと思っていた。

    最初は少しつかみどころのないお話に思えたが、ゆっくりと山間の里、峰生の、常夏荘での、耀子と立海の物語に惹き込まれた。
    父を亡くし母には置き去りにされ祖父が仕える屋敷に引き取られた少女・耀子。庶子である生い立ちや病弱な体に苦しむ少年・立海。
    互いに仲良しになりたいがそれぞれが持つコンプレックスや育ちの違いもあって接し方が分からず、だけどもおずおずと少しずつ距離を縮めていく様が好ましい。
    「リウのひみつ」に書かれた子どもの遊びや六田家でのクリスマスパーティーなど時代を感じさせるほのぼのとしたエピソードと、大人の事情が生み出す理不尽で苛烈な出来事や過去の経緯が交互に語られていく構成が絶妙。
    その中で子どもたちの心の持ちようや考え方の成長が感じられ、加えて耀子と常夏荘の女主人・照子の目線でこれまた交互に語られることで、親の立場・子の立場、それぞれの視点で受け止めることも出来る。
    夫を亡くし、息子とも心が通わず、過去の思い出の中だけに生きる照子だが、立海の中に夫や息子の面影を見る彼女を通して女親の葛藤もよく描かれており、新婚旅行の逸話は女盛りだった頃の彼女を思わせて味わい深く、亡き夫がその時聞かせたという「星の娘っこ」の話が、これもまた綺麗。
    立海の家庭教師の青井の、二人の子どもを子ども扱いをせず、その個性と人格を尊重してひとりの人間として接し、ひとつひとつ言い聞かせていく姿にも好感。不遇を乗り越えて来た彼女の凛とした言葉はフレーズにしっかりと留めておこう。

    冒頭の解説はこう続く。『3作で十分に堪能できる。しかし個人的な願望にすぎないのだが、このシリーズをあと2作、書いてほしいとずっと熱望していた。…第四部は年内には刊行される予定というから愉しみだ。…まだその第四部を読んでもいないのに気が早いことだが、出来れば第五部も書いてほしい。そのときまで元気でいたい。それがただいまの私の目標である』
    北上さん、あなたが続きを読めないのが残念です。そして、これからあなたの文章を読めないのが寂しいです。

  • Na図書館本

    面白かった〜
    いじめにあってる耀子と、体の弱いおぼっちゃまくんの立海、二人を包むような存在の照子、青井たち。照子の亡き夫龍一郎のエピソードが素敵。
    そして峰生みねおの常夏荘。静岡県、天竜川の奥深いところ。その風景のなか、子どもたちの愛らしい日々と成長が、目に浮かんでくる。
    やらまいか。明日の自分のために、私もそう呟く。

  • 味わい深かった。結構ページ数はあるけれど、一気に読んだ。
    主人公の一人である耀子は、私と同じ時代を生きている。だから余計に引き込まれるのかもしれない。ままならぬ時代と運命を懸命に生きる女性たちの姿が清々しい。
    青井先生が特に好き。2018.8.12

  • 照子の亡き夫との新婚旅行の回想シーンでは、涙が止まりませんでした。

    セミの夫と呼ばれ、長くは生きられぬ身体の夫に
    「夏しか生きられぬセミならば、私が永遠の夏を差し上げます。花は撫子、常夏の花。いつまでも仲睦まじく、千歳、百歳、あなたの隣で咲き続ける」
    そう告げる照子。

    とても強くて美しい人だなぁと思いました。

  • めっちゃ良かった!
    続きが読めるなんて幸せ!
    リュウカくん可愛いし、ヨウヨもこれからどんな大人になっていくのか楽しみ。

  • 一時帰国の際、大阪で買ってきた本は8冊。
    これが最後の1冊(涙)

    伊吹有喜さんは大好きな作家さんの一人。
    この『なでし子物語』は読みたいと思っていた一冊。

    書店で「ポプラ文庫」の棚を探したけれど、見つからず。
    店内のパソコンで検索すると在庫は3冊ある。
    場所を確認すると、先ほど私が探した棚。

    カウンターで尋ねてみると、文庫担当の人に電話連絡してくれた。
    カウンター横で待つことに。
    が…
    かなり待っても書店員さんがやって来ない。
    その後、友人と待ち合わせだったので、カウンターの方に「また来ます」と伝え、売り場を離れた。
    ちょっと歩いたところで、「お客様~!」と後ろから大きな声が。
    私のこと?と思って振り返ると、女性の書店員さんが走って追いかけてきた。

    「お探しの本がありました!」

    書店員さんの手には一冊の文庫本。

    「フェアの最中で、違う場所に陳列していました」と。

    手渡された本を見ると…、フェア用のカバーがかけられていた。
    これは、わからないわ!
    書店員さんが追いかけてきてくれたおかげで、手に入れることができた『なでし子物語』

    書店では書店員さんたちは、本の陳列方法、フェア等々、様々な努力をされている。
    今回は、出版社主導のフェア。
    このカバーがかけられていたら、見逃してしまう。
    書店員さんも探すのに時間がかかったわけだ。
    それでも、私一人のために、探し回ってくれ、書店の外まで追いかけて来てくれた。
    感謝、感謝だ!

    父を亡くし、母の愛情を受けずに育った燿子を引き取ってくれたのは祖父だった。
    祖父と暮らし始めた燿子は、裕福な家庭に生まれながらも自分の居場所がみつけられない立海と出会う。
    幼い日、二人はお互いを思いやり、お互いを支えに生きていくのだが…

    伊吹さんの本と出合ったのは【風待ちのひと】だった。
    2011年、タイの洪水でバンコクに居ることができず、チョンブリのホテルに避難中に読んだだっけ…
    自然の前では無力で、自分では何もできない焦りの気持ちがあった頃。
    ただひたすら”風を待つ”
    そんな時があってもいいよね…
    そんなふうに勇気づけられた本だった。

    やっぱり伊吹さんの本は良い。
    『なでし子物語』の続編も読んでみよう。

  • 先に返却期限の迫った「地の星」を読み始めて、
    20ページほどで、
    これは順番に読まないと!と思って大急ぎで購入。
    アマゾンありがとう。

    凄い良かった。すんばらしくよかった。

    たった数ヶ月の出来事なのに、
    かの地で過ごす子ども達にとっても、
    周りの大人にとっても忘れられない日々であった
    ということがよく伝わっってきた。

    いろんな言葉に励まされ、
    勇気づけられた。「

    「自立(自分で立つこと)と自律(美しく生きること)」
    「どうしてをどうしたら」
    そして「やらまいか」
    いい言葉。

    大人の都合で子ども達が翻弄されるけれど、
    きちんと見てくれている大人もいる。

    大丈夫、リュウカイもヨウヨも
    青井先生も。きっと大丈夫。

    話の中に、時代のわかるテレビ番組(ドリフ)や音楽(オリビア)がでてきて、
    するりとその時代にいけた。

    男の子なのに女の子の格好をさせられている
    リュウカイの話し方が可愛かった。
    「俺」というのに「そうなのよ」なんて、時々出てしまうのが超可愛い。

  • 大人の事情に翻弄されるふたりの子供たち。
    ふたりのささやかな幸せがかなったと思うと、その矢先にくしゅっと大人の手でそれを潰されるようなシーンが何度もあり、その度に、切なく苦しい気持ちにされられます。

    適度な距離感でふたりを見守るおあんさんこと照子と立海の教育係青井の存在が救い。
    でもそのふたりの力も、さらに大きな力には及ばない。

    可愛らしく微笑ましい子供たちの姿が愛おしく、だからこそ切ない。

    自立と自律、前を向いて歩き始めた耀子の成長とその後を知るために、今回はこのままシリーズを続けて読む予定です。

  • 最近とても好きな伊吹有喜さんの本。
    立海と耀子の2人の子供たちが本当に可愛い。色々辛い環境だが、お互いにいい影響を与えあってかけがえの無い存在になってゆく。この2人がこれから共に幸せになってくれることを願ってしまう。

    立海の家庭教師の青井先生がとても良い。自信の無い耀子に対して前向きに生きることを教えてくれる。
    「どうして、と思ったら、どうしたら、と言い換えてみる」...私も実践してみようと思う。
    あと龍一郎が、自分に自信の無い照子に「美しい靴は美しい場所に連れていってくれる」と言って綺麗な靴を送る所が、本当に素敵だった。そりゃ照子も忘れられなくなるよね。

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著者プロフィール

1969年三重県生まれ。中央大学法学部卒。出版社勤務を経て、2008年「風待ちのひと」(「夏の終わりのトラヴィアータ」改題)でポプラ社小説大賞・特別賞を受賞してデビュー。第二作『四十九日のレシピ』が大きな話題となり、テレビドラマ・映画化。『ミッドナイト・バス』が第27回山本周五郎賞、第151回直木三十五賞候補になる。このほかの作品に『なでし子物語』『Bar追分』『今はちょっと、ついてないだけ』『カンパニー』など。あたたかな眼差しと、映像がありありと浮かぶような描写力で多くのファンを持つ。

「2020年 『文庫 彼方の友へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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