(066)「お迎え」されて人は逝く (ポプラ新書)

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591146309

作品紹介・あらすじ

死は、けして敗北ではありません。
人生を、医療任せにしてはいけません。
「亡き母が手を握ってくれた」「夫と愛用車でドライブに行った」――これまで幻覚・せん妄として治療対象であった「お迎え」現象が、死生に向き合う貴重な過程として医療現場で注目されている。死を怖れ、痛みとたたかう患者に何ができるのか、緩和ケア医として2500人を看取った医師が終末期医療のあり方、死との向き合い方を問いかける。

感想・レビュー・書評

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  • 最近星5だ!という本になかなか出会えていないけど、この本は私の中では限りなく5に近い内容の本です。いまの私に必要な情報がぎっしと詰まっていて、しかも読みながら3回も泣いてしまった。

    星5じゃないのは中盤と後半に少し内容にブレみたいなものを感じたから。がっちりと一貫していないような…曖昧な要素があって、個人個人の心の問題、とらえ方の問題なので、そういうところが難しいと実感した。


    末期がん患者や高齢者の終末期に多くみられる意識障害の一種の「せん妄」についても詳しく書かれていて、とても助かりました。


    やっと少しずつ広がってきている在宅医療・往診・在宅介護・自宅での看取りなど、脱「病院での最期」はいいことなんだけど、「せん妄」でも何の症状でもロクに話も聴かずに薬で済ませようとする往診医。(うちに来る先生もこんな感じ…)何のための往診なんだか…患者の話や家族の訴えも聴かずにサッサと5分くらいで帰ってしまうのは、見捨てられたような気がして悲しくなるものです。まだまだ終末期医療や緩和ケアは見直しが必要だと思います。


    「せん妄」なのか「お迎え」なのか。話を聴くのか投薬なのか、統一感がないのも残念。だけど「お迎え」現象…というのも難しい問題(現象)で、私は信じる派だけど「そんなことあるわけないよ」という人(医師・医療関係者)もいるので、そこが一番難しいところかな…と思いました。


    4章の「看取りの役割」は、自宅で看取ると考える私が間違っているのだろうか…という迷いや不安を取り払ってくれる章でした。本当に手に取ってよかった。これを読まなかったら看取る覚悟が半端なままだったと思う。私にとっては良書でした。



    「お迎え現象」は「スピリチュアル現象」「スピリチュアルヒーリング」などとは一線を画するもの=27ページ=このあたりの区別は漠然として何となくわかるけど、何となくわからなかった。


    ので、もう一度読み込みします。






    =H27.12.27日 追記=

    雰囲気が似ている本『それでも誰かが支えてくれる』高木慶子さん

    緩和ケアの「スピリチュアルペイン」についての説明は、高木さんの『それでも誰かが支えてくれる』の方がわかりやすく、深く説明されている。

    • MOTOさん
      こんにちわ。
      自分も年をとってくると、当然のごとく親も
      老いてくるわけで…。
      これまでホームや病院を行き来して、親だけじゃなくたくさんのお年寄りと話をさせていただく度に何かこう…募ってゆく寂しさに耐えられなくなる様な。
      かと言って、人は皆死ぬもんだし。なんてクールに達観できる程強くもない私に、
      まっき~♪さんのレビューは心に沁みました。
      年老いた人の側から見た景色が見えた様な気がして。
      思い通りに体が動かない老いた人が望むことは、それを治す事ではなく、優しい言葉をかけてもらえる事、身内に傍にいてもらえる事なのかな…なんて。

      私もこの本読んでみたくなりました。
      良い本のご紹介ありがとうございます。
      2015/12/26
    • まっき~♪さん
      MOTOさん

      コメントありがとうございます。うれしいです♪

      やはり私も同じような感じですよ。
      私はクールに見送ろうと思っていますが、きっとそれは無理で
      号泣しながら見送ることになるんだろうな…と思っています。
      (この本を読んでそれでもいいんだと思えるようになりました。)

      いまはオットの祖母を看ていますが…
      これが終わったら、実母の介護になってそれが終わるとオットか自分が
      同じような立ち位置に立たされるのかな…と思ったりします。

      1970年代あたりから病院での死が当たり前になり過ぎて、家庭や社会から
      「死」というものが触れてはいけないタブーのような存在になってしまい
      触れられない→正体不明→不安・恐怖感…というパターンになっているようです。

      まだまだ在宅医療の不備は多いですが、この流れはいい流れだと思います。


      つらい時や苦しい時は話を聴いてあげてもいいし、手をにぎってあげてもいいし
      ただそばにいるだけでもいいそうです。

      気持ちがふっと楽になりました。読んでよかったなぁ…と思いました。

      MOTOさんの手元にこの本が届きますように。
      2015/12/26
  • タイトルだけ見るとスピリチュアル系の本のようである。だが著者は現役の医師で、病院の診療部長として、臨床と教育の両面で緩和ケアに携わっている人物である。

    近年、日本で臨終を迎える人の多くは、病院で息を引き取る。全体としては8割、癌患者では9割という。こうした状況は実は先進国でも珍しく、背景には日本独自の国民皆保険制度がある。それ自体はすばらしい制度ではあるが、何かあればすぐ病院へ、という風潮は自然、強くなる。
    病院は、その性質上、「病気と闘う」ところである。可能性がある治療法があれば試す。こうすれば治る「かもしれない」、治る「可能性がある」手立てがあれば、提案する。
    ここでは、基本的に、「死」は敗北である。「自分は絶対に治る」と頑張る患者もいれば、「こうすれば助かったのではないか」「こんな手段もありえたのではないか」、とあきらめがつききれない遺族も出る。
    だが、極端なことを言えば、最終的にはヒトの死亡率は100%である。長く見積もっても、百数十年を過ぎれば、どんなヒトでも必ず亡くなる。
    「死」が敗北であるならば、誰しも負け戦を生きていることになる。

    一方で、病院での臨終は、往々にして、画一的になりがちであり、家族から切り離されがちである。
    口から食事が出来なくなれば、点滴で栄養を入れる。
    精神状態が悪くなれば、強い薬で意識レベルを落とすこともある。
    実際に危ないということになれば「ご家族は外でお待ちください」と病室から出される場合もある。
    そうした中で、弱っていく親しい人に十分ふれあう機会がないまま、別れの時を迎える家族もいる。
    これでは患者も不本意であり、家族にも悔いを残すのではないか。

    著者は職業柄、多くの人を看取ってきている。その中で、印象に残ってきたのが「お迎え」現象である。臨終が近くなると、「ああ、お兄ちゃんが迎えに来てくれたよ」「お母さんがあそこで待っている」と、以前亡くなった親しい人の姿を見る人がしばしばいるのだという。
    こうした場合、現代医学では「幻覚」や「せん妄」症状と見なして「治療」の対象とされる場合もある。
    だが、本当にそれでよいのか。
    本人が「あの人が待っていてくれるから」と安心して息を引き取ることができ、家族が「よかったね、あの人に会えるよ」と送り出すことが出来るのなら、「お迎え」現象はむしろ、喜ばしいことではないのか。

    少し前までは、医療者が「お迎え」現象を語るなど、言語道断だった。「非科学的」とも言える現象だからだ。だが近年、医療者の中にもこの現象に注目する人が増えている。

    著者はこの「お迎え」を日本人の死生観にあったものと見る。
    強い宗教的信念を持たない人も多いが、日本人は、神社で手を合わせ、寺に参り、大木を祀ってきた。何とはなしに大気に満ちる「何者か」を敬う風潮は昔からある。
    誰しも「死」を迎えるのは一度だ。どんな世界なのかわからない「あの世」への架け橋を、親しかった懐かしい人がともに渡ってくれるなら、それは怖いことではなくなる。本人にとってはうれしいこと、遺族にとっては安心なこととなりうる。
    盆の迎え火。墓参り。
    「この世」と「あの世」との境界はゆるりと越えるものであったのかもしれない。

    厳しい治療で身体を痛めつけるのではなく、薬で意識を落としてしまうのでもなく、最期のときをゆるやかに過ごせれば理想的なことだろう。

    高齢化社会を迎え、一方で、病院の病床数は限られている。今後は、病院で死を迎えられない人も増えるだろう。自宅での看取りも増えていくと目される。自宅介護には家族の負担の大きさもあり、きれい事では済まない部分もある。
    家族や自分にとって、どんな臨終がありうるのか、どんな臨終が望ましいのか。亡くなった後の葬式や墓を考えるだけでなく、臨終自体を考える「終活」があってもよい。
    もちろん、どんな死を迎えるのか、予測はつかないが、いざそうなる前に、あれこれ考えるヒントをくれる1冊である。

  • 医師である著者が非科学的なお迎えという現象を肯定的に描いている。

  • 「お迎え」を終末医療の観点から意味づける。
    死は生の延長にあり、タブーとは考えない。

  • 「ひとりで死ぬのだって大丈夫」と重なる内容が多かった。

    スピリチュアルペインとは
    逝くときが迫り、自分はもう将来を思い描けない、そんな状態で生き続けることに対する恐怖や「生きがいの喪失」を感じるときの、こころの痛み、魂の叫びこそがスピリチュアルペインP114

    健康の定義:肉体的(フィジカル)、精神的(メンタル)、社会的(ソーシャル)
    緩和ケアはこれに「魂の健康」を加えて考える

    医療が未発達の時代の人間の死生観が記された書:ギルガメシュ叙事詩に学び様々な時代の人がどのように生きて死を迎えたかということについて、神話学、社会学、心理学などのいろいろな視点から考えた

    『御文章』蓮如上人)浄土真宗聖典 四帖三百御詠歌

    死生学を学ぶ意義~自分らしく生きて、自分らしく死にたいなら

    看取りとは、死の予習ができる大切な機会

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