16歳の語り部

  • ポプラ社
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感想 : 31
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591148228

感想・レビュー・書評

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  • 当時16歳の高校生が体験した震災を自分たちの言葉で語っている。
    年齢もほとんど変わらないからこそ、同世代の彼らの語りが胸に突き刺さる。
    自分だったらどう震災を受け止められるのか、もしかしたら10年経った今も受け止められないのかもしれない。
    未災地を生きている者だからこそ、いつ起きてもおかしくない震災について考えることが必要だと感じた。

  • 自分がいかに震災を知らないか、気付かされる。
    オーディブルで聞いた。本人たちによる朗読は素人とは思えない。
    震災は自分にはやや他山の石であった。
    3/11 2:46PMの黙祷はする。原発問題を討論した。ボランティアにも行った。防災に関わる仕事をしている。
    それでも分からないことは多い。話の1割以下を受け取れて、自分にも誰かの命を救うための行動ができるかもと、少しアンテナを立てることができたくらい。
    聞き初めは、災害時に聞かれない子どもの声は重要だと考えていた。子どもだからと聞かないのは、権利侵害とも言えるんじゃないかと考えていた。そういう話、ではないところに僕は吸い込まれた。大人も当時何をいうべきか分からなかったことだ。当時彼らと同年代で、今は「大人」となった僕には、「大人」にもいろんな人がいることがわかる。今大人である自分は子どもたちに向き合い、語り部の周りの大人たちのようにすら振る舞えるか?
    朗読者の後悔をしていないこと、心配をかけたくないけれども声を出していきたいこと、誰も恨んでいないこと、これら矛盾するようで矛盾しないバイブス(こんな言い方時はおかしいがしっくりくる)が伝わる。
    人にはいろんな感じ方があること、みている世界が違うこともよくわかる。同じ経験、同じ場所を、大きく見れば共有している。私は外から見ておんなじようなもんだろうと直感していたが、違う。共通するのは外的なことばかりである。社会関係の中で、人によって微妙な糸の繋がり方が全く変わることがわかる。3人の語り部と教師の告白がそれを見せてくれる。
    子どもたちの辛さとその背後にも大人たちの辛さとがあることが、僕には新しかった。僕はまだこの意味で子ども的な目線でしか世界を知らない。危機に瀕して、なんだか責任を背負い込もうとしている「大人」はどれだけのものなのか。等身大の大人像が少しだけわかる。
    仕事で僕は防災を通して人の命を救う。

  • 200318 大事なこと。もう少し読みやすく注釈を入れてほしかった。

  • Yahoo!ニュースで紹介
    小学5年生だった子どもたちが歩んできた3.11の記録と彼らが見据える未来を書き留めた「希望の書」。

  • ふむ

  • この本を読んで感じたことは「震災を実際に体験した方の立場になることはできないこと」「災害は自分事として捉えること」この2つです。
    自分自身も実際に東北に行って震災遺構やスタディーツアーを行いましたが、その方たちが感じたことをその方の立場になって想像しますが、それはあくまで想像。その方たちが感じたことは何倍何十倍のことです。
    けど、実際に行ってそして話を聞くことで、もし自分の周りで災害が起きたときにそのことを思い出して被害を減らす行動は取れると思います。

    本の中には、今東日本大震災の風化が進んでいるのは現地の子ども世代だと書かれていました。そのような現状もこの本を読まないと気づかなかったでしょう。

    同じ東日本大震災でも、感じたかはその人たちによって違うこともこの本を読まないと気づかなかったでしょう。

    この3人の一つ一つの想いがすごく重みのあるものに感じました。今生きていることがどれだけ大切か。
    もう一度自分で見直すきっかけになりました。

  • 2011年3月11日。沢山の人の命がなくなりました。震災を経験した3人の語り部。目の前で津波にのまれたり、その日を境に家族や友達との別れ、暗闇の恐怖とそれぞれが体験、経験したことが生々しく、当時の恐ろしさがわかります。辛い出来事を経験した子供達だけど、勇気を持ちありのままの事を沢山の人に語り、今後このような辛い思いをする人が少しでも減って欲しい。という思いを大切にしたいですね。

  • 同じ震災を経験していても、視点が違えばこんなにも違って見える。震災は個々の経験なのだ、ということを浮き彫りにしてくれる。決して一括りにはできないのだ。

    彼らに比べれば、全然大したことはなかったけれど、自分の経験と重なる部分もあって、阪神淡路当時、中1だった記憶が蘇った。
    海側と山側で被害が違って、状況が全く異なる生徒が一つの教室にいる不思議。ふわふわとした、でもどこかヒリヒリとした、何とも言いようのない空気を感じていた日々。そして、それでも続いていく日常。
    25年を向かえようかという年月を考慮したとしても、多くを、いや大半を、忘れている自分に気づいて愕然とした。
    あの時、自分は何を考えていたのか。何をやったのか。
    当時のことを記したものは、なにも残っていない。
    被災地でこそ風化するというのは、こういうことなのだろう。

  • 震災当時、小学校5年生だった三人の証言。
    5年生という年齢のとらえ方が、すごい。
    なにもわからないほど子供すぎず、かといって、思春期でもなく、ましてや大人でもない。
    その年齢の子たちの目を通して捉えられた震災の現実。
    彼らは、流される人を見て、目の前にさしだされた手を見て、あまつさえ死体も見てる。
    瓦礫を見て、わが家だったものを見て、それを見てる大人たちを見てる。
    流された家の二階から金目の物をみんな盗まれ、食料を配るときに争う人の醜さも知る。
    震災のことをいっさい話すなという教師を見る。
    教室で荒れる子を見、消えてしまいたいと思う子を見る。

    ああ、こんなにも大変な思いをしたんだね。

    16歳になって、彼らはそれぞれの思いで、語りだす。
    一度踏まれた新芽がのびるように。
    それによりそうおとなたち。
    受け止める「未災地」のこどもたち。

    かつて被災体験を封印しようとした教師と、語りだした生徒の手紙の往復が心打つ。
    なぜなら、正解はないから。
    人の数だけ、答えがあるから。
    そして、それをつなぐのはまごころだけだから。

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