- 本 ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591161005
作品紹介・あらすじ
「34歳のときに治らないがんの告知を受けた。
後悔はない。それは、すべてを自分で選んできたからだ。
生きにくさを感じている人に、
生きやすさを感じてもらえることを願って――。」
家族、友人、仕事、お金、自分の居たい場所、そして生と死。
命を見つめ続けてきた写真家が、大切にしてきた「選ぶ」ということ。
自らが取材したがん患者や、患者の関係者たちとの対話を通して見えてきたもの。
最後に選択するという安楽死について。
生きにくさを超えるために、自ら「選びとる」ことの意味を、強くやさしいことばで綴る。
「子どもって人生において選択肢を選べることが少ないですよね。
“与えられた”や“奇跡”という綺麗な言葉で言い換えることもできますが、
親や家族はもちろん、生まれ育った地域で最初の友人も決まるわけです。
社会の大人からいい子であることを求められて、子どものころから選ぶ習慣がないから、
大人になっても自分の人生を選べない、考えることが苦手な人がいるんだなぁと感じます。
子どもの頃って、どうしても選ぶことができないけど
大人になったり、病気で人生が短くなってくると、
じつはなんでも選べるし、選ばないといけないんですよね。
生きにくさを感じている人に、生きやすさを感じてもらえることを願っています。
(タイトルによせた著者)」
【目次】
1章 そしてぼくは、旅に出た。
2章 ぼくたちが求めている自由 ~Kさんへの取材を通じて~
3章 ほんとうの自立とはなにか ~Mさんへの取材を通じて~
4章 逃げ場を失わないために ~Tさんへの取材を通じて~
5章 家族のかたちを選びなおす
6章 ぼくが最後に選ぶもの
幡野広志(はたの・ひろし)/1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『写真集』(ほぼ日)。
感想・レビュー・書評
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子供の訴えは、深く受け止めようと思った。
受け止めた上でどうするか考えないと。
最近保育園での虐待がニュースになるのは、虐待自体は昔からあったことだけど、訴える子どもやそれを聞き入れる親が増えたということかもしれない。
いいことの可能性もある。
暴力は基本いけない。
致し方ない理由がある場合があるが、口で言ったり自分で折り合いをつけることができることに関しては論外だ。
また、もし癌で余命がわかった上に、その種類の癌だと最期が壮絶で家族にもトラウマを植え付けるかも、とわかった時の死に方について…
私も迷わず安楽死及びセデーションを選びたい。
周りの人の干渉で死に方を選べないのは悲しいなと改めて思ってしまった。
余命が避けられないのならせめてあまり迷惑をかけず苦しまず死にたいと思うのは自然だよなと。 -
図書館本
一万円選書推薦本です
初めて幡野さんのことを知りました
30代で余命3年のがんになってからの事を記した本です
子供の優くんに「記憶」として本と写真を残すのは、将来道標になる最高の贈り物ですね
共感部分は
「直系家族」という考え方
私も自分の家族はパートナーと子供
自分の親は、もちろん大切だけど「拡大家族」
優先順位が違います
お互いがその考え方だと良いけど、親の方がそうではない場合大変だと思う
自分の人生を生きるための「選択」
後悔しない人生を過ごすために
「ありたい自分を選ぶ」この一文がとても心に響いた
一万円選書で多くの人に届けたい本になる理由がわかりました -
先日読んだ岸田奈美さんのエッセイにも登場していた幡野広志さん。作中の素敵な写真も幡野さんの撮影のものと知り、こちらの本を手に取った。
何かの病気を患っていない今のタイミングで読めてよかった。
病気と向き合うことは死と向き合っているようでいて、実は生と向き合っていること。
自分がどういう生き方を選択をしたいのかを熟考し、慣習や他者からの期待を振り払って、いい意味で自己中心的に考えているところがいいなと思った。
たまたま今日、医療系(移植とか安楽死など)のお話を聞いたこともあって、自分はどうしたいだろうかと考えさせられる一日だった。
自分自身の選択も大切にするのと同様に、大切な誰かが選んだこと(自分の考えと違っていたとしても)も尊重したいと強く思った。-
『病気は死と向き合っているようで、実は生と向き合っているということ』
の部分に、ああなるほど...と今日イチ深く頷きました...。
『病気は死と向き合っているようで、実は生と向き合っているということ』
の部分に、ああなるほど...と今日イチ深く頷きました...。
2024/10/22 -
へぶたんさん、こんばんは♪
身内の病気の時にも、死に様と生き様って表裏一体だなと思ったけど、この本を読んでいる時も同じことをつくづく思いまし...へぶたんさん、こんばんは♪
身内の病気の時にも、死に様と生き様って表裏一体だなと思ったけど、この本を読んでいる時も同じことをつくづく思いました。
こないだ読んだ別の本に「100%の人間は死に向かって日々進んでる」と書いてあって、当たり前のことだけど腑に落ちて、なんか意味もなく焦っているところです(^o^;)2024/10/22
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「死とはなにか?」を突き詰めると「生きるとはどういうことか?」にたどり着いた作者。写真家、幡野広志さんのエッセイと軽い気持ちで読みだした本。中身は「死」。多発性骨髄腫の診断を受け余命三年と宣告された「死」について考える。
「死」を考えることの先にあったのは、「生」を考えることだった。
たとえば安楽死という選択について「死を選ぶこと」だと考えている人は多いと思う。でも、これは「生き方を選ぶこと」なのだ。自分がどのように生きたか、どのような気持ちでどのように最後を迎えたか、そういう「生き方」の問題と。
何の答えも出してはおられないが、この「死」と「生」を考える問題提議は十分、答えとすれば、すべて自分で選ぶ、自分で決めるということだけですか。
まだまだ動けるこの時に、このような本に出会えるとは、なんと幸せなことでしょう・・・。 -
この本は、一万円選書の著者のお勧め本になっていたので読んでみました。
34歳でガン告知された著者の人生観、死生観を描いたものです。
正直、とても重い内容でしたが、多角的に考える参考になりました。
ぜひぜひ読んでみてください。
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同情を誘うわけでもなく、病気にかかったことへの後悔を訥々と語るわけでもなく、「死ぬこと」から「生きること」を考えた筆者がとても素敵だった。
本の内容から、癌の話、余命宣告を受けた人の話、まあそうではあるんだけど、この本に書かれていることは、どんな人にも届く部分があると思う。
人知れずつらい思いをしている人、とくに家族の問題に思い悩む人にはとても励みになる内容だった。
いま、新しい局面に立たされていることもあって、「生きる」こと「選びなおす」ということが、私にとっても胸に響く内容だった。
感覚的にドライなところも感じる筆者が、心ではなく頭で自分自身の残りの人生と、残された家族がその後の人生をどう歩むかを考える姿は新鮮だった。
つらいこと、しんどいこと、重いことに向き合うとき、ほとんどの人は頭よりも感情が先に動く。
「家族のためにも頑張らなきゃ」という一言が患者たちの心を冷やしていく。
けれども、その軽い言葉そのものが相手を深く傷つける。
「これ以上どうがんばれっていうんだ」と。
この本の中には、癌患者だけではなく、虐待にあった人、自殺を考えている人などの話も出てくる。
私自身も「がんばって」「負けないで」と励ましの言葉を安易に掛けることがある。
不幸な目にあった人に向き合うのが怖くて、安易な励ましの言葉を放ってしまう、そういうところが自分にもあるのかもしれない。
辛辣な言葉が綴られることもあるが、とても冷静な目で周囲の人たちの言動を考えていて、自分にとっても相手と向き合うことについて考えさせられた。
言葉をかけるとき、相手を思いやっているようでも自分本位な言葉がけをしているのかもしれない。
本の題にあるように「選べなかったことを選びなおす」というのが、この本のテーマというか、最終的にたどり着く「生きる」ということの答えになっている。
「選ぶ」ということのなかで「家族」が上がっているのがとても胸に響いた。
とくに日本は親を大切にするという風習が根強くのこっていると思う。
「親御さんを安心させてあげなさい」とか「親孝行しなさい」とか、何気ない会話でもあるけれど、この一言が重たく感じる人も多いと思う。
どんな親でも「親だから」すばらしいわけではない。
親であっても「選ぶ」ことができる、家族は「選ぶ」ことができるそういったメッセージ性はとても励みになった。
私自身、親ではないが、いろんなことに対して「○○だから」という理由で選べなかったことがあるが、それを「選びなおす」ことができるようになるのではないかと。
筆者の幡野さんは、おそらくとても誠実な人なのだろうと思う。
自分の人生や、家族の人生に対して、一人一人の言葉がけに対する分析的な部分も含めて、物事の受け止め方に誠意を感じた。 -
人間関係は選べるし家族も選べるという考えかたは深く頷けます。
直系家族は自分の配偶者と子供と子供の配偶者迄というNASAの判断がとても面白いです。親から見たら子供は直系だけれども、子供から見た親は拡大家族という事です。
愕然とする感じ有りますが、なんとなく心の奥にくすぶっているものを取り出されたような感じがします。
がんで余命宣告されてからこうして執筆していますが、自分と家族の時間を大事にしていらっしゃるようで安心します。家族との時間は誰にも奪われたくないものですよね。 -
著者は30代半ばのカメラマン。妻とまだ幼い息子がいる。
働き盛りの彼は、突然、がんの宣告を受ける。多発性骨髄腫。5年生存率は3割程度、生存中央値は3年、難治性のがんである。
激しい痛みと睡眠不足の中、著者はその宣告と向き合う。
一時は自殺も考えるが、それを思いとどまらせたのは妻子の存在だったのだろう。もし、あと3年しか生きられないとしたら、妻と子に何が遺せるか。そんな思いがこの本の執筆動機の根元にある。
著者は自身の病気について、1本のブログを書く。身構えるではない、気負うでもない。淡々と病気に対峙する姿勢に、多くのメッセージが寄せられる。励ましや応援もある一方、哀れみや非難もある。そして中には、「感謝」のメッセージもあるのだ。
著者は治療が一段落すると、その人たちに会いにいくことにする。
前半は著者の闘病記。
後半は著者にメッセージを寄せた人々を取材したもの。
メッセージを寄せた人たちは病気に苦しんでいるだけではない。多くは家族関係に問題を抱えている。というよりは、著者が心惹かれたのが、そうした問題を抱えている人たちであったということだろう。著者自身も両親との関係は必ずしもよかったわけではない。家族の一員の重病は往々にして家族の問題もあぶりだす。人生に大きな困難が発生した時に、いったい何を選んで何を捨てるのか。重病はそのきっかけになりうる。
そうなったときに、個々人が納得のいく選択ができればよいのだが。
著者は基本、「闘う」人なのだと思う。そしてその奥にどこか「怒り」が混じっているように感じられる。
家族であれ、環境であれ、何かに抑圧されていると感じている人には、その「闘う」姿勢が歯切れよく感じられるのかもしれない。が、弱っている人にはどうなのかなと個人的には若干気になる。 -
死から生を見つめていくこと。
安楽死とセデーション、幡野さんの意見を知ることができてよかったです。私は安楽死に対して否定的な考えを持っていましたが、この本を読んで、本人が選べることも大切だと考えるようになりました。
家族は選ぶことができる。
本当に、そうですよね。
選びたいことを選べるように。
自分が大切にされる選択肢を選べるように。
幡野さんの他の未読本も読みたくなりました。
著者プロフィール
幡野広志の作品






愛するひとへトラウマとか、避けられるものなら避けたいですよね。
日本での安楽死制度も...
愛するひとへトラウマとか、避けられるものなら避けたいですよね。
日本での安楽死制度もうまく条件をつけて整えられたらと思うんですけどね(・_・;
体調悪い時に海外に行くのは大変ですし。
ただ条件も難しいだろうなとも思いますよね…