極限メシ! あの人が生き抜くために食べたもの (ポプラ新書 178)
- ポプラ社 (2019年11月8日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591164471
作品紹介・あらすじ
光のない北極、命がけの紛争地帯、
水も食糧も尽きた太平洋上、-40℃のシベリア……
死ぬ気で食わなきゃ、ほんとに死ぬ!
あらゆる「極限」を嘗め尽くした者たちに、
「何を食べ、どのように生き抜いたか」を聞くことを通して、
生きることと食べることの意味を問い直す。
災害やテロなど、いつ極限に陥るかも知れない私たちにとって、
彼らの経験を読み、追体験することは有益なはずだ。
想像を絶するサバイバル・インタビュー集が誕生!
■目次
まえがき
第1部 極限への挑戦
第1章 角幡唯介
光のない世界を歩く四カ月にわたる極夜行。
探検家の胃袋を満たした〝ごちそう?とは?
第2章 白川優子
どんな極限状態でも人は食に喜びを見いだす。
国境なき医師団の看護師に聞いた「紛争地の知られざる食事情」
第3章 服部文祥
捕れたてのザリガニを頬張りながら、
アーバンサバイバルの実践者に「自然」との付き合い方を聞いてみた
第2部 極限からの生還
第4章 齊藤正明
「吐くとわかっていても食う」
船酔い地獄のマグロ船から生還するため、死ぬ気で食べた四十三日間
第5章 佐野三治
たったひとりの生還。
わずかな水とビスケットだけで太平洋を漂流した二十七日間
第6章 中島 裕
マイナス四〇℃超のシベリア。
黒パンをかじりながら、祖国へ戻る希望をひたすら抱き続けた男
巻末インタビュー 角田光代
東北、インド、サラエボ――。
旅とメシを愛する作家が語る、
食べること、笑うことが生きるための保障になる理由
あとがき
■著者
西牟田 靖
ノンフィクション作家。1970年大阪府生まれ。神戸学院大学卒業。等身大のニュートラルな視点を持ち味に、「歴史と記憶」「国境と国家」「家族」といったテーマに真摯に向き合っている。旧日本領のその後を訪ね歩いた『僕の見た「大日本帝国」』が2005年度の新潮ドキュメント賞候補作となる。2014年の離婚をきっかけに親権問題、虚偽DV、“逆DV”、シングルマザーなど家族問題へとテーマを広げている。著書に『本で床は抜けるのか』(中公文庫)、『わが子に会えない』(PHP研究所)、『ニッポンの国境』(光文社新書)、『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)など。
感想・レビュー・書評
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探検家、紛争地の看護師、登山家などさまざまな境遇の人が食べた極限メシのインタヴュー集。
実際の食事の写真が掲載されているが、自分がその状況で食べられるのかちょっと自信がない。日本で普通に生活していると小腹が空けばコンビニでスナックなんか買ってすぐに美味しいものが手に入る。飽食日本に毒されているな。
そんな私も今日アウトドア体験で椎の実を拾ってフライパンで炒って食べた。ミニミニサイズのゆでピーナッツのような味。意外と美味しかった。いつ何時、極限状態になるかわからない。食べられるものを知る、食べ方を知る、食べた事がないものも果敢に挑戦する。大切だな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ネットの「ホットペッパーグルメ」サイトで紹介されてて、読んでみたい~と思った本。
その時に紹介されていたのが太平洋を漂流してたった一人生き延びて帰った佐野三治さんの記事。
読んでるうちに涙が…
仲間とヨットレース中に事故で漂流。
小さなライフラフトで亡くなっていく仲間たち
救出されるまでの27日間
水も食料もない中
仲間と分け与えながら食べた小さなビスケット
想像するだけで恐ろしい…
仲間と食料や水を争って…ということもなく
ジェントルマン的に分け合って食べた話
カツオトリをとって食べた話
そして助け出された時に飲んだ水の話
淡々と語っているように見えるインタビューだからこそその哀しさや嬉しさがダイレクトに心に響く。
一人生き残ることの意味というか
仲間たちのご家族への配慮なども含めて
胸がぎゅっと痛くなる。
他にも…
極夜行を決行した探検家
サバイバル登山家
マグロ漁船に乗り込んだ研究者
シベリア抑留体験をされた方
紛争地で看護従事された方
などなど…
どの方も「極限」を体験した方ばかり
「食べること」=「生きること」
想像を絶する状況下でも「食べること」は必要
生きるとは何か?
食べるとは何か?
本の裏表紙に書いてあったけど
本当にその言葉しか出てこない。
今の世の中には
大食いチャレンジとか
高級食チャレンジとか
贅沢食いとか
なんだかわけのわからないことをしたがる人もいるけど
そんな意味のないことに何の価値があるんだろう…
何日間も飲めない中たった1杯の水に感じる「美味しい」という思いに勝るものはない
「これを食べないと死ぬとなったとき、他の人にあげますか?あげる人ばかりだったら、戦争は起きないわけです。」と語ったシベリア抑留体験の中島裕さんの言葉が深い。
すごいインタビューでした。 -
太平洋を漂流して20数日、生き残った方の証言が衝撃的だった。仲間が、一人、一人亡くなっていく。精神的に良く持ったなあと感心する。「海鳥を手で捕まえて生のまま食べた」それが、生還の理由なのだろう。私にできるだろうか?
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極限の状況を経験した人に、その時食べたものの話を聞く本。冒険家など積極的に極限を目指した人もいれば、事故や戦争でやむを得ず極限に追い込まれた人もいる。内容が内容だけにショッキングな描写も多々あり、極限の状況とはかくも日常とかけ離れたものなのだな・・・と思い知らされる。角田光代さんが対談で言っていた、「(極限の状況下で発揮される理性は)日本人の国民性ではなくて、その人個人の個性によるもの」という言葉が印象的だった。自分が水も食料もないような状況に置かれたらどう行動するだろうか。野生の鳥を手掴みしてでも生き残るような意志があるんだろうか?自分よりも弱っている人を思いやれるか?願わくばそんなこと経験しないで一生を終えたい。
個人的に、「極限状態での食事」を扱った本やドキュメンタリーにはハズレがないと思っているが、今回もそれを裏切らない面白さだった。 -
作者の文章は難し過ぎず易し過ぎず、とてもバランスが良くて読みやすくて、好き。一つ一つのエピソードにはすぐに理解できない説明が必要な内容が含まれているけれど、作者の解説付きで理解しながら前知識なしで読めてとても良かった。
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「極限」という状況を経験された方々へのインタビュー。食べるということがそれにどのように影響されたのか、生きることと食べることの関係がどのくらい深いものなのか。様々な極限によっての本人が感じる違いや共通点を、そこから見出そうとされています。本書では2つのパターンに分けて書かれています。「極限」に自分から入っていった人、巻き込まれてしまった人と。その違いからも食べることに対しての捉え方が違ってくることが分かります。極限を経験するとき人はどうなるのか。いざ自分がそのような状況に陥った場合に備える心構えについて考えるきっかけになるかと思います。
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インタビューされているのは、「極夜行」の角幡唯介さん、「紛争地の看護師」の白川優子さん、「たった一人の生還」の佐野三治さんなど、図書館にある!という本の著者ばかり。通常とは違う自然環境の中や、紛争地帯、太平洋上の漂流…という状況で、「何を食べ、どのように生き抜いたか」聞き取った本。
[NDC] 281.04
[情報入手先] e-slip新刊案内
[テーマ] 令和元年度第4回備前地区司書部会/フリーテーマ -
角幡唯介氏へのインタビューが興味深かった。
極寒の中での活動には5000キロカロリー摂っても足りないということに驚いた。
今どきのヘルシーなインスタント麵じゃなくてジャンクで高カロリーな辛ラーメンが適しているというのにも納得するやら驚愕するやら。
佐野三治氏の話も凄まじい。
タカ号遭難事件、久しぶりに思い出した。ただ一人奇跡的に生還した佐野氏が元の会社で元気に働いているのを知って感慨深い。
やっぱり生物は食べることが一番大切なのだなーとあらためて思い知らされる一冊。 -
凄く疲れた時や、何か頑張った後の、メシはなぜか、いつもより美味しいと感じる。また、何かやり遂げた後のメシは、いつまでも、記憶に残っていることがある。人は、「情況」によって、食べるモノの味を、変化させているのだろう。これは、他の動物にはない。
メシを、自ら、探すか、作り出すかしか、選択肢がなかった時代から、
現在は、交換するだけのモノに変わってしまった。この変化が、
極限的に進んでいる現代で、人は、ただ、ただ、メシを
、数多くの選択肢から選ぶだけになってしまっている。
これは、人類の歴史の中で、ここ数十年で訪れたものだ。実際、この変化が、私たちにとって、「良いこと」なのか、わからない。
現在、都会に暮らしていれば、生死に関わるような「状況」というのは、
中々訪れない。日本に住んでいれば、飢餓を伴う、生命に危険を及ぼす状況に出会うことは非常に少ない。だから「極限状況」に置かれてしまった時、人はメシにどのように向き合うのかという問いは、わりかし重要な視点だと思う。なぜなら、極限状況というのは、程度の差こそあれ、決して、訪れないわけではないからだ。
極限状態に置かれた(もしくは、意図的に作り出した)人は何を食べたのか、
これは、非常に有意義な視点を与えてくれる。例えば探検家の角幡氏の極限メシのエピソードは、たった一人で、ずっと暗闇の極寒地域での単独横断というものだ。なぜ、好き好んでこんな極限状況の場所に行くのか、理解出来なくはないが、真似したいとは、思えない。
このエピソードからはこれから更に孤食が進み、ずっと1人でご飯を食べなければいけない少なくない個人にとって、せめて内面ぐらいは、豊かにしようと思って、一口、一口の意味を考えるきっかけになるかもしれない。
飢えや寒さを感じないで、誰かと、ご飯を食べれることは、かなり幸せだということが、氏の話しから、よくわかるのではないか。
そして、漂流27日後に奇跡的に生還した佐野氏のエピソードからは、備えあれば憂いなしという、当たり前の対策術が、現代人には出来ていないんだなとわかる。もし何か起こったら、どうしようではなく、起こる可能性を吟味し、生き残る上で何が必要かを帰納的に考える視点である。
氏は、運悪く極限状態に置かれてしまった。それも、極限度は、ほぼ死と隣りあわせである。ここで、記述できないほどの内容と表現だ。
だから、万全の準備をしなくちゃ、やはり対策、対策だよと、安易な思考法に陥ってしまうが、氏のエピソードからは、仮に準備をしても、それが生き残ることに繋がるか、わからない。結果として、一ヶ月近く、ほぼ何も食わず、飲まずで生き残ったいう事実があるからだ。
この著作の極限メシのエピソードは、
どれも非日常から始まっている。
日常からの延長線では、繋がっていない。
朝飯、昼飯、極限メシとはならない。
ただ、誰しもが、極限メシの状況に陥ることはある。それは、災害がきっかけかもしれないし、
ふとした出来事が、極限状況を作るかもしれない。
それは、成功者という方の伝記や話しを見聞きすれば、よくわかる。どの偉人も極限状態を経験している。ちなみに長征に参加した10万ほどの解放軍は、1万2500キロ、山手線約300周を完了後、生き残りは、僅か1000人ほど、生き残る確率は、1000分の1だ。この中から、後にいい意味でも、悪い意味でも、世界中に影響を与える人物が、わんさか出てきた。
私は個人に「革命メシ」を研究していたことがある。具体的には、新中国を建設する上で歴史的にもっとも過酷とされた長征(1934〜36年)時に、人民解放軍は何を食べていたかというものである。詳細は述べないが、人間は極限状態で何を食べたのかを知ることは、非常に価値あることだと思う。
それは、その時の強烈や経験が、後に魔法のように効果を示すからだ。
さて、レビューしようと思う。
「極限メシ」である。 -
ふむ
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