ぼくはくまのままでいたかったのに

  • ほるぷ出版
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感想 : 50
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  • / ISBN・EAN: 9784593500802

感想・レビュー・書評

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  • 以前読んだ本で森見登美彦さんが紹介してた本。冬眠から目覚めた熊が外に出ると工場の敷地内。自分は熊だと主張するのに怠けるなと言われたらい回しに‥。ナンセンスなエピソードに対する絵が見事に合ってて笑える。哀しいけど可笑しい。

  • 痛烈なアイロニーと哀切。
    これはこどもに伝わるのだろうか…。

    冬眠から目が覚めたら森がなくなっていた“くま”。
    森は冬の間に人間が木を全部切り倒し、工場へと変わっていたのだ。
    呆然とする”くま”に、工場の職長が言った。
    「おい、おまえ、とっとと しごとにつけ」
    驚いた“くま”は言う。
    「あのう、すみませんが、ぼくは くまなんだけど……」
    「くまだと!ふざけるな!うすぎたない なまけものめ!」
    職長はかんかんにおこって どなりつけると、くまを人事課長のところにーーー。

    “くま”を現代社会に適合できない人間のメタファーとして見ることができるような気がする。
    工場の仕事ができなくて怒られるシーンは切なかった。
    ホテルでのシーン。
    “くま”は、ほんとうに“くま”になれたのか?
    最後は本来の自分自身に身も心もなることができて、Happy End、ということだと思いたい。




    • 111108さん
      5552さん

      くまの身になって自身を振り返る5552さんは、正直で優しいなぁと思います。私も居心地悪くて辞めたバイトありますが、よくよく考...
      5552さん

      くまの身になって自身を振り返る5552さんは、正直で優しいなぁと思います。私も居心地悪くて辞めたバイトありますが、よくよく考えるとこのくまと同じ状況だったのかも。でもそれを無かったこととして記憶に蓋をしてたので‥。
      それとエンデの『モモ』を連想されたにのはすごく納得しました。『モモ』が正統派だとしたら、こちらはなんちゃって感ありますね。
      2024/01/22
    • 5552さん
      111108さん

      嫌な記憶の蓋を開けてしまい、申し訳ないです。
      みなさん、いろいろありますよね。

      『モモ』は1973年に出版らしく、こち...
      111108さん

      嫌な記憶の蓋を開けてしまい、申し訳ないです。
      みなさん、いろいろありますよね。

      『モモ』は1973年に出版らしく、こちらの絵本は日本での出版が1978年。時代もわりと近いですよね。それと、偶然にも?訳者がおなじ大島かおりさんみたいです。
      なんちゃって感!なるほど〜
      2024/01/23
    • 111108さん
      5552さん

      いえいえ、記憶の改ざんでいい事しか覚えてないのも怖いですし‥。甘酸っぱい気持ちになれてよかったです(^^)

      訳者まで見てな...
      5552さん

      いえいえ、記憶の改ざんでいい事しか覚えてないのも怖いですし‥。甘酸っぱい気持ちになれてよかったです(^^)

      訳者まで見てなかった!大島かおりさんなんですね。優しい言い回しなのかしら?そっちの方から興味深い本見つかりそうです。ありがとうございます♪
      2024/01/23
  • せつなくて、もどかしい。最後が少し…でも、とても良かった。

  • 表紙のインパクトよ。
    自分のことは分かっとったつもりやったのに、やりたいこともあったはずやのに、否定され続け言われるがままに行動してたらアイデンティティごと見失ってしまった。
    社畜やん。

    この人ら動物社会派絵本?のイメージなんやけど、工場の機械の見開きページが素敵すぎ。もっと無機物も描いたらいいのに。

  • クマが冬眠している間に、森が壊され、工場が建つ。
    目を覚ましたクマは、クマとして認識してもらえず、人間として工場で働くことに・・・

    一見、滑稽な話のようですが
    人間の勝手で環境を壊され振り回される動物たちのことを考えるきっかけになるお話です。

  • くまが冬眠から覚めると、洞窟の外の森は工場になっていた。
    くまを見つけた人間達は、くまをクマと認めず、「さぼるな!」と言って工場で働かせます。
    工場内で一番ヒマだった社長が、「自分はクマだ」というくまの訴えを面白がり、くまを動物園やサーカスに連れていき、他のクマ達に会わせます。
    しかしどのクマも、オリにはいってもいない、芸もできないくまをクマと認めません。
    くまは途方にくれてしかたなく工場で働き続けるも、冬眠シーズンが近づいていねむりばかりしてしまいます。
    そして今度は一方的に工場をクビになりました。
    勝手に働かせておいて、勝手に解雇されたのです。
    工場を出て歩きつかれたくまはホテルを訪ねますが、「クマなんて泊められない」と冷たくあしらわれます。
    クマじゃないから働けと言われ、クマだからホテルには泊まらせられないと言われ、くまは自分がなんなのかわからなくなっていきます。

    雪の中には、洞穴へ続くクマの足跡が続いていきます。
    くまは自分がなんだかわからなくなっても、本能で冬眠を始めたのでしょう…。


    勝手に人を見定めて、本人の意思を無視して命令をくだす、
    という人間社会を皮肉った絵本なのですが、
    最近、人間なのにクマのふりをする人も増えてますので、完全同意できない自分がやるせないです・・・。

  • どこかの書評で、たまたま見つけた一冊。

    さ〜っと斜め読みにしていた書評だったのに、その「くまのままでいたかったのに…」というタイトルが惹き付け、図書館の書庫から借りてきた一冊。

    あきらかに、どうみたって、くまなのに、みんなが「おまえはくまじゃない。労働者だ。」っていいながら、一人前の働き人に仕立てようとする。

    くまは、どうにかレールに乗っかろうとする。
    けど、どうしてもうまくいかない。
    だって、くまなんだもん。

    どうにかこうにか、つくろいながら、やってるけど、やっぱり無理で、逃げ出す。


    しかし、あれ?

    しばらく文明の機械のネジになったぼくは山に戻って、果て?
    なにか大切なことが、ぽっかり消えてしまったように思う―しかし、それがなんなのか。うまく思い出せない・・・



    こんな気持ちに、わたしも時たまなることがある。

    それは大抵、我の大切なものを忘れて、社会のヨシとするものにならないと!と焦り、走っているとき。

    そんなときは、たとえ暇な時間ができても、こころここにあらず。落ち着けない。


    時間をかけながら、またいつか来た道を手繰り寄せるように、戻ってみる。

    野の川を歩きながら、風を頬に感じ、草や木々の香をかぎ、季節の花の色を思い出す。

    そうするうちに徐々に、取り戻す。


    でも、もう、、単なる社会のネジにはなるまいとおもう。

    あんなからっぽな気持ちになるのは、ほんとに切ないんだから。


    1970年代にこんな素晴らしい絵本が出ていたのね。

    繰り返しくりかえし、思い出した頃に読みたい一冊。

    出会って良かった。

  • あらすじを見ずに読みたかった。
    なにも知らずに読んだら、どんな風に感じられただろう。

    最初は絵だけを読んだ。
    絵が雄弁だから、それだけでも十分いろんなものを読み取れる。

    それから文を読んだ。
    絵だけじゃ読み取れない心情やセリフで、より深く考えられる。

    最初はこれが書かれた当時の社会状況の中のおはなしかと思った。
    自然=善vs人工・機械=悪 みたいなことかと。
    そんな簡単な話じゃなかった。
    最初は環境のせいでも、仕方のないことでも、そのうち自分で自分を見失ってしまう恐ろしさ。

    すごいものを読んだなあ。

  • 小2のとき学校の図書室にあった、ぼくのなまえはイラナイヨの隣にあった本。表紙がこわかったから何故か今も覚えてる。読んだことはないが。

  • 自分自身を奪われる。
    話を聞かない人たち、想像しない人たち、考えない人たち。
    そんな人たちの中で自分を保つのは、きっと想像以上に難しい。

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