ジロジロ見ないで―“普通の顔”を喪った9人の物語

  • 扶桑社
3.92
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本棚登録 : 91
レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594042745

作品紹介・あらすじ

この本に登場する9人は、顔に手術や治療で治すことのできない、アザや病気、ヤケドを負っている。彼らは、ただ見た目が"普通と違う"というだけで、人から好奇な視線を向けられてしまう。彼らを取りまく環境は、とても厳しいものだ。学校での生活、就職、恋愛など。私たちが、当たり前のように経験するさまざまな出来事でも、彼らはイジメに遭ったり差別を受けている。そんな辛い現実に苦しみ、考えながら、必死に向き合ってきた彼ら。彼らが進んできた道には、力強く前を向かせてくれた、光のような存在があった。

感想・レビュー・書評

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  • 調理台の奥の方、普通なら届かないはずの場所に置いたカップラーメンを、たまたま持っていた洗面器で引き寄せて腕にかぶった。長男の肘にはケロイドが残っています。私たちはたくさんの、たら、れば、で後悔し、そして顔じゃなくてよかったと自分達を慰めました。この本は、その「顔」に傷のある人たちが心の中にある傷ついた経験や今の生活、これからの不安や夢を発信してくれたもの。差別や偏見、そして何より他人からの心ない視線をどう感じて来たかがよくわかる。本当にはわからないのだけど、読んで良かった。

  • 281.04

  • 『無関心でいられる権利がない』というのが見た目に症状のある方が抱える生きずらさの本質なんだと思います。関心を示す側の悪意・善意の程度には教養の差が大きいとも感じました。

  • ”普通の顔″を喪った9人の物語。

    読み終えて、しみじみと思ったのは、人間のどうしょうもないサガ。
    9人どの人の周りにも必ずイジメをする人達がいた。かつ、単なる
    一過性の出会いでも心無い仕打ちをする人たちもいて、
    人間ってどうして相手の人の立場になって、思いを馳せる
    ことが出来ないのだろうと思う。自分がその立場になったら、
    100%怒り狂うだろうに。他者への、余りにも無頓着な振る舞いや
    仕打ちに怒りにも似た気持ちと哀しさを覚えてしまう。

    9人目に登場するある女性の人生の終わり方。
    そういった「世間」で生きざるを得ず、膨大な心のエネルギーを
    使わざるを得なかった結果だったのだろうと思う。写真を見て、
    明るい女性だなって思った後に、彼女の自殺を知ったので、
    ショックを覚えてしまった。

  • 見かけたら気になるかとは思うが、内面は普通の人。外見が違うだけでなぜ社会的に冷遇されるのか、自分を含め難しいテーマだと感じた。

  • 怪我や病気で、「普通の顔」を失った方がたのインタビュー。

    ひとりひとり、いろんな苦しみや葛藤を抱えて、カメラの前ではとても素敵な笑顔を見せてくれています。

    僕たちが何気なく発している言葉や目線が、どのように人を傷つけるのか…とても注意しなければならないと思いました。

  • 親子で読みました。
    言われないと気がつかないかも、という程度の人から、なんとコメントしていいのかわからない…という人まで勇気を持って登場します。
    私は最後の女性のエピソードが辛かった。
    息子も真剣に読み、かなり考えさせられたようだったけど、娘は、なんだかよくわからないから途中で読むのやめた、との発言!
    息子に「ひでぇやつだな!」と罵倒されていたけど、娘こそ差別意識が0なのかもしれないですね…

  • 鴻上尚史さんのエッセイで「大学で学生に毎年勧める本の一つ」と紹介されていた本。子どもが漢字を読めるようになったら、必ず読ませたい本です。

  • 三葛館一般 281||TA

    病気や事故により顔に直すことのできないアザやヤケドがある方のお話です。
    現実の苦しみや差別と向き合って力強く生きていく姿には感動を覚え勇気を与えられます。

    和医大図書館ではココ → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=54556

  • 新聞の日曜版には、本に関するあれやこれ、書評が3ページに渡り載り、結構楽しみに読んでいる。先だっての日曜日、その中のコラムを田口ランディさんが書いていて、駅のホームで顔に障害のある人に出会ったことからはじまって、
    『もう四十歳もとうに過ぎているのに、いまだに顔に障害のある人を見かけると、おろおろしてしまう。どういう心もちで接したら、相手の方のが不快にならないのだろうか。もちろん、平然とふだん通りにできればそれが一番なのだろうけど、どうしても視線のもってきどころに困ってしまう。・・・』とあった。たしかに・・・、同感。
    でも、困ることはないだろう・・?不快な好奇の目とまっすぐな目の区別くらいそういう人には簡単に区別がつくだろうし?気負わない視線でいいのではないのか?って思っていた私は、その次に続く彼女文章にちょっと動揺する。

    『・・・本を開くと1ページ目に「ジロジロ見ないで。これは彼らからの切実な願いです。」と書いてある。ドキっとした。』
    私もドキっとした。
    そして、すぐに読むことにしてしまったのである。

    私がなぜ上記のようなことを思っていたかというと、私も幼いときからジロジロ見られるというものを身体に持っているからである。彼らのように、隠しようもない顔ではないから普通にはわからないし、そのせいでいじめられるという経験もしていない。だから、彼らの苦痛とは比べようもないのだけど、でも、多少なりとも、好奇の目というのが不快なのはよくわかるので、彼らのような人に出会ったときは、自分はそういう目で見ていないつもりだったのだけど、自信がなくなったのだ。

    私は背中に大きな手術あとがあって、小学校のときはプールの時間と、身体測定のとき(とくに学年が変わった最初のとき)がいつも苦痛だった。出席番号がいつも一番だったこともあり、背中の赤いミミズ腫れの傷(すっかり大人になった今は、赤いミミズ腫れなんかではなく、近くに寄らないとわからないくらいに肌色になっているが)は、クラス全員の好奇の目に晒されるからである。順番のため並ばされると、すぐに後ろがざわざわするのがわかる。ひそひそ言っているのが聞こえる。この状態が一番不快なんだよね?
    意外に、スパっと「これどうしたん??」とかって聞いてくれるほうがいいわけ。

    そういうことを同じように、この本の中でも言ってる方がいて、ああ~、やっぱりそうか、私の対処どころはあながち間違ってはいなかったか?と、ちょっとは安心したんだけど、やっぱり「顔」という場所のせいだろうか?
    想像以上の体験もあり、やはり「気負わない視線」・・っていうのもヘンテコな言い方ですが、結局は「ジロジロ見る」ことと同じだな~~と反省した次第。

    田口ランディも上記のコラムでの最後に書いているのだけど、
    『藤井さん(本の最初に出てくる人)は、ジロジロ見られたら笑顔でおじぎをするそうだ。私も目と目が合ったとき微笑むことができるかな。緊張するけどやってみようと思う。せめて、こちらに悪意がないことを伝えたい。笑って会釈しあえたら、すてきじゃないか。・・・』

    私も目が合ってしまったときは、バツの悪い視線ではないことを伝える態度でいたいと思った。

    それにしても、ジロジロ見てしまうという行為には、やはり、人の身体とはどうしてこんな風にもなってしまうんだろう?という純粋に知りたいと思うのも正直なところで。
    この本は、そこのところを満たしてくれる1冊でもあった。

    よく見る赤いアザは「単純性血管種」という病気で、
    皮膚のすぐ下に血管がたくさん集まっている状態だそうだ。
    私の足の持病とよく似ていることがわかり、やはり「聞いてみるもんだ」と思った。

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