牡蛎と紐育(ニューヨーク)

制作 : Mark Kurlansky  山本 光伸 
  • 扶桑社
3.67
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  • レビュー :7
  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594065041

作品紹介・あらすじ

世界的ベストセラー作家が活写する牡蛎の街-その真実の歴史。ニューヨークのカキの歴史は、ニューヨークの歴史そのものだ。その豊かさ、力強さ、活気、貪欲さ、思慮のなさ、破壊的かつ盲目的な側面、さらに、ニューヨーカーたちも自ら認めるに違いない、その不潔さを示す歴史でもある。本書は、ニューヨークが破壊され、その偉大な河口を死に至らしめたような歴史について書かれたものである。

感想・レビュー・書評

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  • ニューヨークと呼ばれる場所にヨーロッパ人が訪れるようになった頃からの牡蛎と人々との関係を多角的にかつ歴史的視点で書いた力作。

    20~30センチにまで育つ牡蛎があのニューヨークにあるなど誰が今想像するだろうか。

    漁業史のみならず、開拓史、開発政策、レシピ、レストランの盛衰、疫病学など様々な知見が提出される本書による食あたりは、牡蛎ならばまぁ致し方あるまい。

  • ニューヨークのカキの歴史は、ニューヨークの歴史そのものだ。その豊かさ、力強さ、活気、貪欲さ、思慮のなさ、破壊的かつ盲目的な側面、さらに、ニューヨーカーたちも自ら認めるに違いない、その不潔さを示す歴史でもある。本書は、ニューヨークが破壊され、その偉大な河口を死に至らしめた歴史について書かれたものである。

    1609年にオランダに雇われたイギリスの探検家ハドソンは中国へと至る新たな航路の可能性(ヴァージニアの北に大西洋と中国の海=太平洋を結ぶ大河があると信じた人がいた)を求めていた。オランダ人はロシア周りの北東航路を探るのが目的だったがハドソンは西へ転進し北アメリカ沿岸にたどり着いた。このころ既にイギリス人は入植していたがオランダ船で訪ねるわけにもいかずチェサピーク湾からデラウェア湾を回り海岸沿いを探検し、3つの大きな川が注ぎ込むローワー湾にたどり着いた。もし中国にたどり着く川があるとここに違いない。3つの川はおそらくラリタン湾、アッパーNY湾の入り口、そしてロッカウェイ湾だと思われるがまだマンハッタンもハドソン川も目にしていない。まずスタテン島に上陸した一隊にレナペ族が近づきヨーロッパ人は道具を、レナペ族は麻と豆そして地元の特産品ーカキーを差し出した。ハドソンはオールバニーまで行ったが中国には当然つながらず、オランダ人はマンハッタンに夢中になった。

    マンハッタンは自然に恵まれた豊かな湿地帯で、花が咲き、鳥がなき、そして川にはシマスズキ、チョウザメ等たくさんの魚が手づかみできるほどいた。クジラ、イルカ、アザラシや陸には熊、狼、ビーヴァー、そしてライオン(多分豹かピューマ)さえもいた。1680年代の旅行社の記録では野生の七面鳥は重さ40ポンド、ロブスターは長さ6フィート、カキは大きさが12インチもあった。オランダ人たちはニューネザーランドと名を付けた植民地でハマグリに穴をあけた通貨を作ってレナペ族などからビーヴァーなどの毛皮を買い、ヨーロッパに売った。

    ニューアムステルダムではアメリカ初のビール醸造所ができ、1641年には居酒屋が作られカキやカメなど地元の料理を出した。他の地域と違いピューリタンではなかったためおおっぴらにビールが飲まれた。このころの逸話として有名なのが1626年マンハッタン島が24ドルで売られた話だ。レナペ族などには土地の所有と言う概念が無く、そのときの族長達に渡した品物の価値を当時の額で60ギルダーと試算し、後に歴史家が24ドルと換算したと言うことらしい。レナペ族としては土地を使わせてやる変わりに貢ぎ物を受け取っただけの話だった様だが。取引は続きとうとう先住民と入植者の間で戦いが始まった。またオランダ本国もイギリスとの戦争に突入し、結果としてはオランダはニューヨークをイギリスに引き渡し変わりにインドネシアの香料諸島を手に入れた。イギリス人はオランダ人をからかってJohnとCheeseをつなげてJankeeと呼びオランダ人も自分たちのことをそう呼ぶようになった。ヤンキーと。NYはその後も交易で栄え、人々が増えていく。活力あふれる移民の街であり、同時に貧しいスラム、ゴミを捨てることによる公害、例えば1770年位人口2万1千人に対し売春婦が500人というな悪徳のはびこる良くも悪くも大都会だった。バットマンのゴッサム・シティと同じ名前がついたのはまさしくふさわしい。

    独立戦争、南北戦争と続く間もニューヨーカーは自分たちのことは特別だと考えていたようだ。街はどんどん拡がるがゴミや汚物はそこらへんに捨てられ水は汚染され、カキは食べられ輸出され姿を消していく。一方で古代ローマから続くカキの養殖技術が持ち込まれ種ガキは別の地域から輸入されニューヨーカーたちはカキを食べ続けた。金持ちはレストランで、庶民は市場で。19世紀後半なってもカキは安かった。行商人は殻を剥いたカキ1クォート(約1.1L)25セントで売り、ホットドック1個10セントの値段で1皿のカキが食べられた。「カナル・ストリート・プラン」と言うカキの食べ放題がわずか6セントで何度も催されていた。1898年マンハッタンが周辺の区と合併した時2百5十万人が1日百万個のカキを消費していた。しかし衛生条件の悪化のため1909年が最後のカキの繁栄の年で1915年から繁殖場は次々閉鎖され、1927年にはラリタン湾の最後の繁殖場が閉鎖された。1913年に誕生したグランド・セントラル駅のオイスター・バーなど新しい店は次々開店したがそれらの店で地元のカキが出されることはなかった。1972年に水質浄化法が制定され今では泳げるレベルになっている。カキを繁殖させる試みも始まっているがまだ食用に適したものではないそうだ。

    本書では所々でカキ料理のレシピも紹介されている。例えば18世紀のNYで作られていたカキの煮込みはこうだ。「カキを1パイント用意する。それにグラス1杯のワインと、1隗のバター、塩少々、胡椒、メース(ナツメグの皮で作った香料)を加えて弱火で煮る。」
    19世紀に入ってもカキは安く料理本には時々殻を取った何百個ものカキや、1クォート入り容器数個を使うメニューまで出てくる。例えば酢漬けのカキの作り方は「百ないし五十個の大きくて立派なカキを用意し・・・」

    「ジュリアス・シーザーが暦の改正を行ったのは主にカキのためだった。彼は暦の上の夏が、実際の晩秋までずれてしまい、カキが特においしい月にRがつかなくなっていることに気がついた。そこで、Rノつかない月を暑い盛りまで押し戻し、ローマ人が9月1日からカキを味わうことができるようにした。さらに、2月にもう1日カキが食べられるようにするために、閏年を考えだした。」ほんまかいな?

  • 第1部 エデンのカキ
    カキ三昧の生活
    二枚貝が棲む豊饒の地
    二枚貝の繁殖力
    すばらしい入植地
    世界のカキとなって
    自己中心的なニューヨーカー
    第2部 ソドムの都市
    ニューヨーカーたちのクラスオストレア的性質
    ニューヨーカーたちが自ら招いたこと
    カキ・マニア的行動
    黄金時代に起こったこと
    逞しい二枚貝

  • 「紐育」とは、ニューヨークのこと。ニューヨークと言えば別名「ビッグアップル」というのは有名だが、その昔「ビッグオイスター」とも呼ばれていた。
    17世紀後半に入植者がニューヨークに入ってからというもの、牡蠣は彼らの重要な食料源だったし、牡蠣もその需要を満たすほどあふれていたらしい。当時は一度の食事に数十個の牡蠣をいっぺんに食べていたというから、驚きである。
    その後も養殖を行うなど牡蠣の黄金時代が続くのだが、突如それは終わりを迎える。全く食べられなくなったのである。ニューヨークに増え続けた人々が排出した生活用水、工業用水が牡蠣に致命的な打撃を与えた。
    どうして、そうなってしまう前に人々が気づかなかったのか、本書は鋭く疑問を投げかける。

  • 【新刊情報】牡蠣と紐育 664.7/カ http://tinyurl.com/6t7cbvq かつてニューヨークは豊かな自然に恵まれた土地で、いたるところにカキの繁殖地があった。人々の暮らしぶりやエピソードなどを交えながら、カキと深く係わってきたニューヨークの歴史を紹介。 #安城

  • 牡蠣の歴史からニューヨークの歴史を読み解く。オモシロそう!と思って手に取ってみたけど、同じ結論を最初から最後まで繰り返しのような気がして疲れてしまった。
    あと、本のサイズが大きくて読み疲れた。

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