乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

著者 :
  • 扶桑社
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レビュー : 59
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594075583

感想・レビュー・書評

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  • 従僕に英雄なし 正鵠を射る 空腹に不味いものなし 天下泰平 最後まで読み切った本がないまま一生を終わる人は決して例外的ではない 難解であると歎じたたんじた 自分の意味をまるで持ち込めないような本は、百遍はおろか、一度の通読もできない。 読者が本の家来になるのではなく、年下の友人であるという自己規定をすると、たとえつまらぬ本でも、なにがしかの発見は可能になる。 心に刻まれないことをいくら記録しても何の足しにもならない 書物は心の糧である 知的メタボリック 偏食も過食と同じくらいよろしくない 読書メタボリック症候群型近視 セレンディピティ 青黴のペニシリン 海豚の言葉 怪我の功名 諷刺『ガリバー旅行記』 開架式 寺田寅彦 ゲシュタルト心理学 常住坐臥じょうじゅうざが アナロジー=類似 ぎ擬して 牽引 修辞的残像 残像による余韻 松尾芭蕉 十七音の短形 残曳ざんえい作用 知的な話し上手ほどテンポが速い 一考を要す 称揚 らくせい落勢は止まらない 編集は料理に似た加工であるというアイディアが閃いた エディターシップの概念を創り上げた。第二次創造論である。 徴用ちょうよう 世情一変 雑誌のまいそう埋草うめくさ 思想的ファッショ=ファシズム 日本語はアイランド・フォーム、つまり島国的性格を帯びている。国境で他国と隣合わせになっている国のコンティネンタル・フォームとは対照的である。コンティネンタル社会の言葉の論理が、ライン、線状であるとすれば、アイランド・フォームの言葉の論理は点的であるということができる。点と点は、受けてによって、結びつけられる。点と点が直線的な並び方をしているのは面白くないから、蛇行状に点が飛ぶ。コンテクスト(文脈、前後関係)をとらえていない受け手には、これを読み''解く''ことができなくて、わけがわからなくなったり、間違った筋として受け取る。アイランド・フォーム社会は、そういうのを野暮として相手にしないのである。通人は、飛び飛びになって散乱している点を適宜結び合わせて、言外の意味までも了解する。それが言葉の面白さと考えられるのである。俳句はそういう日本語の論理がもっともはっきりあらわれた様式で、コンティネンタル言語になれた人には謎のようになる。日本人にとっても、人によって点の集合が異なることがあって、同じ意味にならないことがある。 古文書が煙滅 思想上の革命 稿本こうほん くだる降る 小著しょうちょ 談論風発 俳諧連句 ぶんげいしゅんじゅう文藝春秋 遺稿集 所謂通俗健康本 文武両道 記憶はそのまま保持されるのではなく、忘却によって変化させられる。そのあと、忘却し切れなかったものが、再生される。この記憶も暫くするとまた忘却のスクリーニングを受けて少し変貌する。 記憶の新陳代謝 回想は常に甘美である。甘美でないものは消える。「詩は回想によって生まれる情緒である」 吟業 遊業 嘱目を句にする 生木 回想の抒情 忘却力による創造的変化 新忘却の思考 忘却は、記憶に対して破壊的であるけれども、一部では、記憶を回想に美化させる働きをもっている。美しい回想は記憶と忘却の働きによるというのが新しい忘却の美学である。 ビジネスマンの耳目じもくを集めている とやま外山しげひこ滋比古

  • 見当はずれな事を書いてるかもしれないけど、自分が正直に読書後に感じたことを

    思考の整理学の時の感心を求めて手に取ったのが間違いだったかもしれない。
    タイトルの通りなのでこの一冊で成り立つような読書では無い。
    勉強を始めた学生が手に取る本では無いし、読書の仕方が決まってきた大人が手に取るでも正直なところ無い。

    いったい誰が手に取って読むのだろうか、と可笑しな皮肉めいた疑問が読書中あたまに浮かんだ。

  • 読了

  • 人とは違う視点をもってる方の文章だなぁという印象。
    自分というものをしっかりとお持ちになっているようだから、少し鼻に付くところが人によって波あるかも。

    内容は
    ただひたすら知識を溜め込むだけではなく、思考すること。
    自然忘却。
    朝方生活
    散歩のすすめ

    が気になった。

  • 作者の考えを読書という視点で記載したもの。基本的には思考の整理学と変わらないように思われる。忘却すること。重要です。

  • 2017/04/05
    ・散歩はいいぞ
    ・乱読してたほうが、良いもの・見落とされたものを見られるのでは
    ・知識ばか、専門ばかになるよりは、自分で考えるとかしたらいいぞ
    ・雑談するといいぞ
    的な内容。
    やってみたくなる。
    まあ広義の自己啓発本だが、それでも面白いし、得るものはあったかなと。

  • 小説だけではなくて、新書や新聞、雑誌、いろいろよもうー

  • ただなんとなく読書が好きで読んでいるだけなのかも、、、とまたその答えを本に求め、書店をうろうろしていた時に買った本。
    「たくさん読んで偶然の発見を楽しみ、自分で生み出すことをしなさい。」という本。
    実にタイトルが中身を表していて面白い。書店で沢山の本を流し見していて、ふとこの「セレンディピティ」という単語が目に留まった。内容を見ていると、どうも乱読に関する本のようで、自分の読書スタイルを悩んでいた自分にはうってつけのように思われた。
    大当たりだった。
    自分の現在の読書スタイルは、 読み分けがされている。結果的に、同時に4-5冊くらい読む形になる。
    - 主に、家の机では、 自分の専門分野に関するをじっくり、通勤等ではノージャンルで気楽に、会社では言語(仕事しろ)といった具合に。
    - あと、本を本にしてしまわない事もある。例えば、本「パスポート学」は、国外からの出張者とのアイスブレークに役立ている。

    いずれも、読んでいて楽しい本を読んでいるが、ノージャンル本はいつも発見の連続でいっそう楽しい。この本もそうであった。

    - ジャンルに縛られず、多様な本を読むことは、センディピティ(思わぬ発見)に繋がる。

    - 本は自分の生き方に影響を与えられるように読むのがよい。ただ知識を増やすだけでは、知識バカになるだけである。

    まさしく、「セレンディピティ」という単語を知らなかったために、セレンディピティを呼んだのである、笑。結果として、現在の僕の読書スタイルはやはり、好きなだけあって、それで今の生活にあっていると、考える。生活が変わればまた、その様式も変わるかもしれない。それで、良いのだ。
    あと、思わぬ結果も生んだ。乱読同様、雑談の力を大いに認める部分があり、確かにそうであると納得。せっかくなので、ピアノを共通キーに座談会を発足させてみた。これからが楽しみである。

  • セレンディピティ、偶発的に出会う僥倖のこと。思考の整理学と似通った点で言えば、脳内の化学反応を起こすことが「考える」ということであり、どのようにしたら読書において、そのセレンディピティが起こるのかと解説している。乱読のススメとも言える主張は、本の新たな読み方の示唆であったが、アルファ読み、ベータ読みに関しては、齋藤孝氏の主張と同じだし、本の乱読こそ、読書の正しい形だという主張は、高橋源一郎の小説の読み方における主張と同じだ。そういう意味では、新たな定説というには既出の論説が多かったが、もともと偶発的に出会うセレンディピティを、意図的、意識的なものへと掘り下げようという試みは真新しいように感じた。部屋は汚い方が、探し物が見つかりやすいってことか。違うか。

  • 外山先生の本はいつ読んでも面白い。
    読むこと以上に話すことの重要性、さらに記憶以上に忘却していくことでストレス回避に繋がるという話が興味深かった。

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著者プロフィール

お茶の水女子大学名誉教授

「2019年 『やわらかく、考える。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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