「経験をとおして技術を学ぶ」と「経験をとおして教訓を学ぶ」は似ていて非なるな‥と気がついた。
そこで「経験から学ぶ」ときの学びは何なのかを明らかにしようとした「イギリス経験論」に目を向けてみることにした。「経験論」とは、真理をつかむための媒介を「経験(観察)」による実証にもとめる思考である。対極には「合理論」すなわち、理屈や法則から真理を導き出そうとする思考がある。
言語はこれら真理と私たちを介在する役割を果たす。つまり、経験論を通じた真理にせよ、合理論を通じた真理にせよ、表現されなければ私たちには伝わらない。そこで、ある種の翻訳、イメージから言葉へのメディアの置換が行われる。そのとき、伝えられるものは言語の限界によって制限される。もっといえば、私たちの限界によって制限される。
本書の前半は、「経験論」と「合理論」の歴史的変遷について、後半は言語と真理の関係性についての歴史的変遷について書かれている。最終章で結論として統合されるようなつくりになっているので、2回に分けて概要をおさえていきたいと思う。
以下、前半の目次を示してから概略をまとめることにする。
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1.イギリス経験論のアクチュアリティー
2.ロックと道徳感覚学派
3.ヒュームによる蓋然的推理批判
4.ヒュームの懐疑論と寛容論
5.スミスにおける道徳哲学の展開
6.ベンサムの言語論とみるの道徳科学
7.パースの実験主義とジェイムズのプラグマティズム
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主要な登場人物は、以下の13人となっている。
ルネ・デカルト(1596‐1650)、トマス・ホッブズ(1588‐1679)
ジョン・ロック(1632‐1704)、第三代シャフツべリ伯爵(1671‐1713)
(ジョージ・バークリ(1685‐1753)、フランシス・ハチスン(1694‐1746)
デイヴィッド・ヒューム(1711‐1776)、ジャンジャック・ルソー(1712‐1778)
アダム・スミス(1723-1790)、ジェレミー・ベンサム(1748-1832)
ジョン・スチュアート・ミル(1806‐1873)、チャールズ・パース(1839‐1914)
ウィリアム・ジェイムズ(1842‐1910)
以下、できるだけ簡単に流れを追ってみたい。
1.まず、なぜ「経験論」がイギリスを発祥の地とするのか。
これは、イギリスの多文化主義に由来すると考えられる。「階級格差」「信仰」「党派」を含む多様な他者との交流において常識の通じない事態を数多く経験し、理屈では説明しきれない真理を唯一のものとはせずに、その場の観察から導き出すという実際的な態度が身についたのではないかと推理する。
ドイツを中心とする「合理論」では、要素を足し算すると経験になると考えるので大事なのは科学や機能のありようとなる。これがデカルトのとる態度である。一方、イギリス経験論は要素を全部足しても判断材料にはならないとして実践知を重要視する。
デカルトは脈絡のないものはすべて整理して位置づけられた状態を世界としたが、ホッブズは「想念(conception)」が連なるその脈絡のない状態がそもそも世界であると考えた。そして、そのために起こるもめ事を回避するために「共通基準(common measure)」となる「法」を重視する態度をとった。もしも、道徳や価値を中心にすると、多様な価値観であるはずのなかに正解が生まれてしまい、多文化が乗り切れないという現実的な知恵がそこにはある。したがって、経験論においては、真実はいつも相対的であり、時と場合に応じて決めなおされるものとして扱われるのである。
ヒュームもまた同じ態度をとる。「人間の生活についての注意深い観察から収集し、その実験結果を、交際や仕事や娯楽における人々のふるまいを通じて、世界の通常の成り行きの中で現れるままに受け取り、それら実験結果を思慮深く集め、比較する」その推理の蓋然性や影響力について検証するのである。
「経験論が探究する諸原理は、経験を可能にするために論理的に演繹される諸原理ではなく、あくまで経験から推理される因果的仮説である。そして、それは、さらなる探究を続けるのに役立つ作業仮説でもある」「部分と全体の連関について、よりよいバランスをとるための実践知の探求」であり、答えのない問いを探り続ける姿勢ともいえる。
2.ジョン・ロックは「われわれの知識はすべて経験の中でつくられ、最終的にはみずからを経験から引き出す」として、自分の内面の観察も「経験」と見なした。彼は経験が人を刺激することによって人が諸要素を編集すると考え、経験には人の知性が関与することを示した。
個人が体験する「経験」は、その個人が「抽象(abstraction)」をおこなうことによって「一般的代表(general representative)」となり、それを「範型(patterns)」に当てはめられることによって普遍へと昇華する。範型はまた「一般観念(contrivances)」とも称されうる。説明/判断の分別がつかない混沌をなにかしら説明づけることで「経験」は知へと変容する。経験を表現する行為はまた「話者の観念を聞く者に知らせる」という他者とのコミュニケーションが前提となっていることが示される。
シャフツべリは、経験から生まれる道徳について考察をおこなった。「情愛(natural affections)」はさらなる経験をつくるという「形成的自然(plastic nature)」を人間がもつということを示した。また、ハチスンも他者を観察(経験)することから道徳が生まれることを支持している。
3.バークリは「存在するとは知覚されること」という言葉を残した。すなわち、ロックとは異なり、経験ありきではなく、人が知覚するからこそ経験が形づくられると考えた。それを「思念(notion)」と呼び、むしろそれは拒むことのできない人間の性質であると考え、神の仕業と考えるのである。
ヒュームも知覚はたとえ傾向性(propension)があろうとも、人間は有無を言わさず知覚させられる。そして人はそれを経験として整理し、知見と変える。その過程で彼が着目するのは「推理(reasoning)」である。彼は「われわれはいまだ経験していない未来にまでこの原理が成り立つという考えを正当化する理由をもっていない」にもかかわらず、非合理な想像力によって信念をもつという。彼はそのように諸知覚がさまざまな信念へと形成されていくときに何が生じているのかを観察し、因果関係にない2者を結びつける「推理(reasoning)」を発見した。そして、因果的推理とその結果としての蓋然性は、彼によると1)自分の経験との比較、2)見聞きした経験との比較から生じるとされた。たとえ、それが未来に向かっての推理であって根拠がまったくなかったとしてもである。彼はその根拠のない結びつきによる総じた概念を「対象をある特定の仕方(mannar)」で束ねた「想念(conception)」と名づけた。すなわち、類似による連想が私たちが真理を作る方法と考えたのである。
4.しかし、人間の知覚とそこから導き出される知がすべて想念に由来するとなると、真理を保証する方法はなくなってしまう。ヒュームはこの危機を「人との対話」で回避することを提案する。個人の頭のなかだけで考えた妄想も他者と共有することで真理へと近づきうる。それを担保するのが「言語」である。言語化された想念が人に通じることで一般化されるのである。
そうして作られた目に見えないもの(「正しさ」「善さ」など)の共通基準を「コンヴェンション(convention)」とよぶ。これらは理性ではなく、経験から生じる「利益の共通感覚」に基づくことで人々に共有される。コンヴェンションは時代や社会の変容に応じて変化する。自分たちは自分の都合でなにかを思い込む、その思い込みを「批評(criticism)」し、「中庸(medium)」を探るために「寛容さ(indulgence)」をもって他者と対話する姿勢をもつことが重要だとヒュームは説いた。
INDULGENCE | 意味, Cambridge 英語辞書での定義
5.この章では、前章をふまえて発展したイギリス経験主義における「正義論」が成立する経緯が語られる。