サリー・ダイヤモンドの数奇な人生 (ハーパーBOOKS)
- ハーパーコリンズ・ジャパン (2024年8月23日発売)


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本 ・本 (552ページ) / ISBN・EAN: 9784596778758
感想・レビュー・書評
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★5 壮絶な過去に向き合う女性、人間の可能性と成長に痺れる傑作 #サリー・ダイヤモンドの数奇な人生
■あらすじ
アイルランドの田舎町、変わり者のサリー・ダイヤモンドは義父と二人で静かに暮らしていた。ある日彼女は義父が病気で亡くなっているのに気づく。生前自らが亡くなってしまったら焼却炉で焼いてくれと言っていたのを思い出し、そのまま遺体を焼却してしまったのだ。
警察からは温情をいただくことになったが、マスコミから注目の的にされてしまう。人とコミュニケーションをとるのが苦手な彼女は、これからひとりで生きていくことは可能なのか… そして彼女は義父から遺された手紙を読み、衝撃の事実を知る。
■きっと読みたくなるレビュー
許せない。
他人を傷つけることを許容してしまうと、どんな結果が待ち受けているのか。不幸とはこうやって生まれるという教訓を魂に焼き付けられます。
そしてもうひとつ。人間の可能性、戦うことの意義を教えてくれる素晴らしい作品でもあります。
本書は大きく二人の視点で物語が進行していく。一つ目は変わり者のサリーが過去と向き合っていく現在の視点。二つ目はサリーの出生と関する者の過去の視点です。
サリーは幼い頃の記憶がなく、できる限り人と接触せずに生きてきた。もちろんそれには悲しい理由がある。本来頭がよく音楽の才能に溢れるにも関わらず、その結果自閉症気味になり、人とコミュニケーションが取れなくなってしまった。
しかし彼女はどんなに辛い事実を知っても、自分自身に立ち向かって戦い続けた。よく聞き、よく学び、自身の価値観を信じ、誇りを忘れずに胸を張って生き続けた。知恵と勇気を振り絞り、周りの人たちを信じる優しい心を持つことで、全てをやり直していくんです。すごい…
昨今、経済的なことを理由で犯罪に手を染めてしまう若者がいっぱいいます。卑劣な境遇に生れ落ちてしまうこともあるでしょう。でもこのサリーの生き様を見て感じてほしい、諦めるな。
一方もうひとり、過去の視点での物語… サリーに関係する人物が出てきますが、カッと目を開いて読んで欲しい。他人に甘え、自分に負ける人間はどうなるのか。
生きるってこういうことだったと思い出されてくれる傑作だと思います。ただ心臓が抉られる物語です、覚悟して読みましょう。
■私とこの本の対話
以前息子が不登校になってしまいました、登校時に吐き気が止まらなくなってしまったんです。
彼から悩みを聞き、学校にも相談し、病院にも行きましたが改善がされない。これ以上追い込んでしまうことで更なる悪化を恐れた私は、ひとまずゆっくり休むことを提言したのです。しかしどれだけ休養しても、不登校は解決されませんでした…
その後彼は、勉強の壁にぶつかっていたことを自分なりに認め、塾に通い始めるようになりました。すると学校への登校も再開し、自分らしく学園生活を送れるようになったのです。
やっぱり問題から遠ざけても何も解決しないんですよ(もちろん人それぞれ個性があると思うけどさ)。あらためて戦うことの重要さを教えてくれた、私にとって大切な一冊になりました。 -
最初から最後まで、サリーから目が離せなかった。最初は引きこもりの経歴と発達障害のある女性と捉えていたけど、父の死をきっかけに記憶のない6歳以前の過去が明かされるとともに、サリーは周囲と関係を築きながら変わっていく。
第2部以降はそんなサリーと同じくらい重要な登場人物であるピーターの目線で過去に何があったのか、二人の章が交互に紡がれる。ピーターの物語も壮絶で、たぶんサリー以上に孤独な人生。生まれや育ちにおいて傷のある二人がどう生きてきたのか。その半生を辿り、二人の道が交差してからのラストはめでたしとは言い難い。でも単純な結末に落ち着くのではなく、余白を残しつつ考えさせられるところがこの作品の面白さ、深さだと感じた。
女性蔑視と虐待の描写はきついものがあるけれど、加害と被害の連鎖やトラウマを背負いながら生きることの困難などいくつもの問題提起を含んだミステリー。読んだらしばらくサリーの存在が頭から離れない、魅力的な作品だった。 -
ジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」のような描写がなかなかショッキング。
でも洋書苦手人間の私ですが洋書だってことを忘れてしまうくらい読みやすくて助かりました。
昔の洋書みたいな翻訳だったら500ページ超えのこの小説は無理だった、、、
サリーはアラフィフ?で人間あそこまで変われないと思うし素敵な人だなと。
養父は毒親だったかもしれんがピーターのほうが何倍も気の毒で可哀想よ。
一方、最後のあの子は同じ境遇でもキラキラしていて尚更気の毒で…
サリーが変わっていく様子に前向きなメッセージの小説かと思ったら最後は意外。でも周りに心配してくれる人がいるってことはやっぱりサリーの根底はいい人ってことになるんだよねー。
そして最後の2人の新しい叔父って?????? -
「死んだらゴミといっしょに出してくれ!」そう言っていた養父が亡くなり、実際に養父をごみ袋に入れて焼いてしまったサリー…
そしてそのことを隠すこともなく、「自分で焼いた!」と話すサリーには情緒の欠陥があり、変わり者と呼ばれている
物語はそんなサリーが自分の過去を知り、自分を変えていこうとするパートと、彼女の過去に関わる重要な人物の視点で語られるパートで進んでいく
そして徐々に明かされていく二人の過去はあまりにショッキングで…
ダークで悲惨で、決していい読後感というわけではないが、作品はとても読みやすく、サリーのキャラクターのせいか最後までほぼ一気読みだった
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町外れで世間から隔絶された状態で過ごしていた42才のサリーは、父親の病死で遺言通りに焼却炉で遺体を焼いてしまう。と言う突拍子なく始まるミステリーは彼女の来歴を遡りながら、少しずつ社会性を取り戻して行く様子を描いていく。並行して、ある意味監禁状態のピーターの生活も記され、不穏な先行きに目が離せなかった。
読んでいてとても辛く、特に42才に設定されたヒロイン像が哀しかった。読後感もどんよりとした気分が抜けなかった。 -
はいはい、変な人、集まれ-!
自分が変だと思っている人も、周りに変な人がいる人も、読めばわかる。
「ああ、あるある」
「いるいる、こんな人」
うんうんとうなずきながら、妙な納得とともに読めるはずだ。
サリー・ダイアモンドはちょっと(いや、だいぶ)変わっている。
専門家(サリーの父・精神科医)の保証付きだ。
『おまえの言動の矛盾は説明がつかない。ときにあることに旺盛な好奇心を示したかと思えば、別のときにはその好奇心がなくなっている。ほかの人々がどうでもいいと思っているのに、たまにわたしがとめるのも聞かずに話しかけることもある。』(80頁)
『おまえの言動はつねに矛盾している。それは悪いことではない。ただわたしが知っているどの診断にもあてはまらない。』(80頁)
実は、私は「周りに変な人がいる」視点で読んだ。
家族にサリーを思わせる人がいるので、
「ああ、そうそう」
「うん、こういうとこ、ある」
「あの人、そうだよね」
サリーのしでかすあれこれに、しばしばうなずきながら読んでいた。
「私って変わっているから」という人!
いやいや、サリーの方が変わっているから!
サリーが変わっている理由は、彼女の出自が由来なのだが、サリーの出自は、たいていの人が敵わない変わりっぷりだから!
だからかもしれない。
「一気読み」とはいかなかった。
サリーの出自が明らかになる頃は、なかなか重くて、読むのにいつもよりパワーが必要だった。
ちょっと今日はパワーが足りないなという日は、本を横にのけてすごしていた。
そこを越えてしまってからは、読み進めていけたのだけれども。
たいていこんな「変な人」の物語は、主人公が子供だ。
変な子がしでかすあんなことや、こんなことで、周りの大人がびっくり騒ぐてんやわんやを描く物語である。
いっぽうサリー・ダイアモンドは40代の女性だ。
これがいい。
40代の女性が、自分のあれやこれやを認めながら、ようやく世間になじんでいく話である。
え、40代女性の、世間になじんでいく物語?
うわ、つまらなそう! と思ったあなた。
そう聞くとつまらなさそうだが、大丈夫。
主人公がサリーだから、非常に読み応えがある。
だって、たいていの人は、愛する父親の死体(自然死)を、裏の焼却炉で燃やしはしないでしょう?
それに真面目に取り組むサリーだからこそ、その後の話が面白い。
それに至る話も面白い。
「面白い」という言葉がどうかという気もするが、他によい言葉が思いつかないのでしようがない。
『サリー・ダイヤモンドの数奇な人生』にむかない人は、ブラックジョークや皮肉が嫌いな人だ。
だって、父親の葬儀に、赤いステキな帽子を被っていく娘(いい大人)って、どうよ。
だが私は、とくにこの場面は、映像で見たいなあと思っている。
そして良かったなぁ~♪
そして良かったなぁ~♪
前向きに生きてるだけよ^^
前向きに生きてるだけよ^^