天湖

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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620105765

感想・レビュー・書評

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  • ★★★
    東京育ちの学生柾彦は、祖父柾人の遺灰と形見の琵琶をもって祖父の故郷へ来た。
    柾彦は、生前の祖父柾人が琵琶をみて語った「糸が鳴ろうと思って待ち、引手が糸にたずねて弾く」ような新しい曲想を見つけ出したいと思っている。
    祖父の故郷である天底はダム建設で水没し、かつて柾人の家は「お蚕さま屋敷」として村の中心だった。

    柾彦は祖父の村で巡り合わせのように村の人々と出会い、二つの死に合う。

    初めに会ったのは、若い頃はお蚕屋敷に奉公に出いてて、今は薬作りで生計を立てるおひなと、娘のお桃。
    おひなに薬作りを伝授したのは村の産婆だったお愛で、捨て子だったところを柾彦の玄曾祖母なずなに拾われ育てられていた。
    お愛は唖の女、さゆりを養っていた。さゆりの母は、旅の途中で村の象徴でもある桜の木の下で瀟洒な帯を腹帯にして赤児のさゆりを抱いて死んでいた。その桜の下の水は極上の甘露で、多くの行き倒れの旅人の死に水を取った。
    お愛はさゆりを水呼びの巫女、山と里の水の路を繋ぐ沖の宮の巫女に育てていた。
    さゆりの祈願で瀕死から戻ったとさゆりを観音と思っている村の男の克平、村の長老千代松爺、お寺の者たち、人々が語る伝説的な旅の琵琶弾き水麿。
    村人たちは夢と現実の境はなく、夢の中でかつての天底への道筋を探し、行き来し、誰彼に会っている。

    柾彦は村で人の原始の部分に触れる。
    ★★★

    なんというか、読んでいて涙が溢れて溢れてそのたびに読むのを止めて、読み終わるのにえらく時間のかかってしまった一冊でした。
    柾彦は弦が自ら見つけ出す音楽を探そうとし、村の出来事が深いところに共鳴するわけですが、私にとってもこの作品の文章がどっかに共鳴してしまったんでしょう。直接的に哀しいでも大いなる感動という強いものでもないんですが、とにかく読むごと読むごとになぜか泣けてしまいます。

    <「銀杏の木の立っとります、あそこに。神さんの木じゃがあれは。銀杏の木の、まだ立っとるでしょ、墓守して。
    おうちの墓はその下に見えますど?わたしには、水の底になってから見えまっせん。銀杏の木しか見えまっせん。ここからいつも線香あげよります。並みの木じゃなかですもんね。六人ばっかり、大人が手えまわしても抱ききれんよな大木ですよ。それがもうだいぶ曲がってきて。あのご神木が水の中で年取って。私も年取って」>

    <何気なく聞いていたことが記憶の隅々から溢れだして柾彦を取り囲んだ。水は記憶だった。湖の底から、柾彦の二本の足に向けて伝わってくる感じがあった。はじめは微弱な稲妻に似ていたが、ふいに胸にこたえてよろめきそうになった。鋭く甘美な衝撃だった。柾彦の中に内蔵されていて、ついぞ今まで鳴ったことのない弦にそれが触れた。調べというよりは、玄音というようなものが、ほんのかそかに鳴ったのだ。>

    <「お棺ば穴の中に担ぎ下ろすときの、あの重さがなあ、なんともいえん。死んだむくろとはいうても、一人の人の重さじゃ。穴の底にぎちっとつけて、この人もこの世の役目ばこれで終えらした。俺も少しは役に立ったかちゅう気になる。なにかひとつ果たした中気持ちになる、焼き場じゃと、どうもしみじみとはならん。重油の燃ゆる音のして」>

    <やれやれ克平の病気のまた出たぞという表情で、おしず婆さんが皆を見回した。
    「そりゃあなお前、何年前のことか。ダムの来る前の話じゃろが」
    「はい、ダムの来る前の話じゃった」
    「お前まだ、その頃は餓鬼だったろう」
    克平はひどく嬉しいことを言われたとでもいうように、髭面をうつむけてはにかみ笑いをした。こんなに愛らしい笑い方をする男を柾彦は見たことがない。
    「ほんに、餓鬼も餓鬼、山猿じゃったなあ」>

    <柾彦は、さっき火葬場でおしずの語った夢の、克平の蟹みたいに、生まれてこの方二十三年かかってできた感性の表皮が、鼻筋や目のあたりからしずかに裂けて、爪の先まで剥がれてゆくような感じを覚えた。心も躰もまるで無防備で、生まれたての赤児よりももっとやわらかくなって、あたたかい川床の中に立ってゆれながら、ほとんど無意識に、水を引こうとしている自分の指を感じていた。>

    <柾人さまはそういうて、わたしが道端に小積んでおいたハミの萱束ば、馬の背に積みなさいました。そして、にこにこしてこう言いなはります。
    『俺ぁ、死んだらな、この天底に戻ってこようと思うて、みんなのおるところば、上の方から眺めとった。魂になったら、どの方角から村に入ろうか。空からきて、この石飛の角から朝の陽ぃさまの光と一緒にパアッと出てこようか。歌坂から、歌うて入ろうか』
    なんと返事したものか、わかりまっせん。柾人さまは最後の兵隊かもしれん。
    (…)
    ほんとは柾人さまは、兵隊には行きとうなかばいな、と思いました。
    『なあおひな、魂になってから、どこから戻ってこようか』
    わたしはここで泣きでもしたら、噂になると思うて、声作って、ふつうに言いました。
    『ああ、そんときにゃ、あの水麿さんのごつ、歌坂から、琵琶抱えておいでまっせ。みんなで走ってお迎えに行きます』
    柾人さんも笑い声でいうて下さいました。
    『おお、魂になって琵琶抱えてか。そりゃよかなあ、みんなが迎えに来てくれて。なあ、かつら。山の方から戻るならば、この馬に乗ってと今さき思うとったが、やっぱ歌坂の方がよかぞ、なあ』>

    <あくる日の朝、桜は伐られた。電気鋸は克平の想像とはまるで違っていた。樵さんたちの大切にしている手挽きのあの大鋸とは、音からして、まるで異質のものであった。
    「前に出るな!こらっ」
    と誰かが叱り襟首をつかまれて引き戻された。同時に鋸が唸り始めた。金属的な非常な音が、谷間中に響き渡った。すべてがあのとき切断されたのだと克平は思う。血が噴き出した、と誰もが思った。飛び散る鋸屑は鮮血の色をしていた。この世が色を失ってい行くような音と景色の中で、お愛さまがさゆりの肩を抱いて立っているのが見えた。桜は盛りの花をつけたままゆっくり倒れ、生首をとられたもののように転がった。巨大な姿だった。
    祖母が膝でいざり寄りながら、赤い伐り口に手を差し伸べ、その縁をさすりながら低く低く嗚咽した。
    『ああ、すまんじゃった、すまんじゃった。私たちの身代わりに伐られて…。貧乏で、買い戻しきらんじゃった。天底ぜんぶ、買い取れるものなら、買い戻そうごたる』
    ほかの老婆たちもよたよたときて座り込んで、血の色をした鋸屑を掌に乗せ、指でこすってみては、泪をこぼした。
    『すまんじゃった、すまんじゃった、かんにんして下はり、かんにんして下はり…』
    幼い目にも、それはなにか、圧倒的な景色だった>

    ↑これ写すにも泣けてきて止まらない(; ;)
    気分直しに軽い話。
    柾彦の家系が「天皇さまの次と言われるような古い家系の、九州の麻生」ってもしや元首相の傍系にあたる?なんて考えてしまいました。

  • 教科書で名前だけは知っていた著者の小説を初読み。詩人だと思っていたもので。

    都会の雑音に疲れ、亡くなった祖父の故郷を訪れた青年が、神歌をうたう母娘や気のいい村人たちに出逢い、癒されていく物語。…と書けば、よくある田舎への逃避行のすえの自己再生なのだが、それでは語り尽くせない詩情がふんだんに盛り込まれている。読みこなすのにやや難渋。

    小さな村の連帯感と疎外感、女の悲しみや純情な男の痛み、などをさりげなく描いている。主人公というよりも、仁平という男の存在が後半に物語を引き立てている。

    時間を置いてから、また再読したい。

  • 本の紹介の中に 癒しの物語、詩情に満ちた傑作 という文につられて選んだ作品。 方言を使うおばあさんの言葉は多少難しい箇所もあるが、この感じは以前にも読んで感じた物のようだ。
    初めて訪れた祖父の故郷で、村人達に懐かしがられ、祖父や祖母達の当時の行為が感謝され、居心地のよい思い出となった柾彦の人柄も大層好ましく気持ちのよい作品であった。

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